第19話 姫はサウスポー

「中原~!そんなの全然、決め球ウイニングショットじゃねえぞ~!もう、お手上げかよ!?」


 僕と佑夏を引き合わせた神野翠、彼女が卓球台の向こうで笑っている。


「中原くん、次いくよ~!」

 翠の隣にいる、佑夏がサーブのトスを上げる。


 外は晴れ渡った五月の五月晴れ、こんな日は屋内競技である卓球は少し惜しいかな、と思う。


 公園のツツジやサツキの鮮やかな赤、紫色の藤の花が美しい季節である。

 六月にかけて、活動最盛期の蜜蜂の群れも、羽音を立てながら、飛び回っている。


 余談だが、蜂蜜を使ったハニーローストピーナッツは、僕の大好物。

 蜜蜂を応援したくなってしまう。


 そんな今日は、どういう訳だか、大学生五人で卓球の練習をしている。


 ダブルスで組んでいるのは、佑夏と翠、そして僕と、大学の同級生であり、バイト仲間の須藤竜矢。


 佑夏と須藤が顔を合わせるのは、去年の冬のコンサート以来、二度目になるか。


「上手いな~、かなわないよ!」

 須藤は笑いながら、呆れかえっている。


 分かっていたことだが、小、中、高、大、ずっと卓球部の佑夏に、僕達、男二人は手も足も出ない。


 翠は卓球部ではなかったが、佑夏の手ほどきだろう、少なくてもビギナーではなく、かなりの腕前だ。


 彼女は、佑夏とは小学校と中学で一緒、僕とは高校と大学が同じである。


 この時には、翠の親友である、この県教大ケンキョーの「卓球姫」が左利きであるのは、既に分かっている。

 僕の家で、幼い苺奈子ちゃんにサツマイモのお菓子を作ってあげた、彼女の包丁を持つ手は左だったし。


 どんなスポーツでも、サウスポーは有利だが、卓球はことのほか、その通り。


 高校時代は、左利きサウスポーのアドバンテージを存分に生かし、佑夏は全国大会まで、あと一歩のところまで行ったらしい。

(左打ちの佑夏は、カッコ良すぎて頭がクラクラしてしまう。)


 その「黄金の左」から、ちょっと本気っぽく打たれると、僕と須藤のラケットには、文字通りかすりもしない。


 だが、ストロークを交わす内に分かってくるのである。


 姫は決してデタラメに打っているのではない。


 対戦相手ぼくたちの為に、一球一球、大事に心を込めてボールを運んでくれていると。


 佑夏の卓球は、優しく、美しく、感動的で、相手にいつまでも、この時間が続いて欲しいと思わせるような、心地良いものだったのである。


 公営体育館ここの傍にある河原では、僕が来る時、ヒバリがさえずりながら、空高く舞い上がっていた。


 いわゆる、「ヒバリの一点飛翔」というものだが、鷹や隼に狙われないのかな?なんか、ほっこりするけどね。


 そして今、僕と須藤に卓球を指導しているサウスポーの姫は、野鳥に負けず劣らずほっこり、おっとりした性格で、とても体育会系とは思えない。


「中原くん、須藤さん、私のやる通りに振ってみて。」

 こう言って、ラケットのスイングを、佑夏は教えてくれる。


 彼女は左利きであるから、右利きの僕達と向かい合わせに立つと、ちょうど「鏡の状態」となり、分かりやすい。


 何とか、見よう見まねで、ズブの素人とはいえ、男の腕力を駆使してボールを打ち込んでみるが、佑夏と翠の二人にはことごとく、楽々打ち返されてしまう。


 左利きの佑夏と、右利きの翠が組むと死角が全く無い、しかもこの二人、小学校以来の親友で、息もピッタリである。


 しかし、特筆すべきは「左の卓球姫」の指導法。


 決して、こちらが届かないボール、初心者には速すぎるボールを、佑夏はその左手で打っては来ない。


 ギリギリ、僕達が届くコースに、見本のような回転のかかったショットが、お姫様の左腕から放たれて来る。

 ため息の出るような、美しい軌道、卓球とは、こんなにも芸術的なスポーツだったのか。


 こちらを上達させる為のボールを打ってくれているのが、ひしひしと感じられる。

 絶対に他人を怒鳴ったり、説教したりしない彼女の性格そのまま。


 まさに、打てば打つほど上手くなる、魔法のラリー。


 時々、ゆる~い滞空時間の長い変化球を、笑いを取るように混ぜてくれて、僕と須藤の爆笑を誘ってくれる彼女は、サービス精神も満点だ。


 一球ごとに、佑夏とストロークを交わす度に上手くなっていくのが肌で感じられ、楽しくてやめられない。


 氣がつけば、ウキウキ、ワクワク、次はどんなショットが来るのか?姫の次の一打を待ち続ける自分がいてしまう。


 須藤も同じだったらしく、彼の表情も楽しげに輝いている。


 さらに、相手チームぼくたちへの心配りも忘れない佑夏は、こちらの息が上がったと見るや、僕と須藤の満々中に、綺麗なお手本のようなスマッシュを打ち込んで、プレーの中断を告げ、インターバルを取ってくれたりする、いや~至れり尽くせり!


 このスマッシュも、乱暴に叩き付けるのではなく、ボールに回転を与えることで、意志と生命を吹き込む、といった打ち方で、あまりの見事さに自分もやりたくなってしまう。


 ボールは、自らの意志であるかのように飛んで来る。


 とにかく美しく、コースも測ったように正確なのだ。


「佑夏ちゃん、卓球、おもしろいね!」

 インターバルの間、僕は佑夏に笑いかける。


「そう?良かった!」

 微笑みを返してくれる佑夏に、一人の少女が駆け寄る。


「白沢先輩!」

 手にタオルと水筒を持って、彼女は佑夏に差し出す。


 先に僕は、大学生「五人」で卓球の練習と述べた。


 何故ならば、僕と佑夏、翠と須藤の他に、もう一人、女子大生がいるのである。


 熱烈な「白沢先輩」教徒が。


体育館の中に、五月の柔らかい陽の光が差し込み、僕達を包んでいる。


 ちょっと、プレーを中断して休憩中だが、その子は佑夏から離れようとしない。

 卓球姫ゆうかを熱く見つめる瞳、心から佑夏に心酔している情熱の炎が、ありありと見てとれる。


「白沢先輩、汗が。」

 ええ?タオルで佑夏の顔を拭いている。そこまでするのか?


「アハハ!いーよ、ミユちゃん!」

 いつもの調子で笑う佑夏。


 女子大生三人で、この会場にやって来た彼女達。


 僕と須藤には、この子は「ミユちゃん」とだけ紹介された。

(字はどう書くのか知らない。)


 佑夏にベッタリな後輩女子ミユちゃんは、公営体育館ここに、佑夏のスポーツバックを持って現れたのには驚いてしまう。


 優しい卓球姫ゆうかが、他人に荷物持ちなどさせるはずもなく、ミユちゃんが自分から強引にバックを奪い取っていた様子が、なんとなく想像がつく。


 僕達、男二人には、ミユちゃんは一応、「斎藤です。」と挨拶することはした。

 だが、かすかだが、敵意を感じてしまう。


 この中原仁助を、白沢先輩に近づく敵だと思っているのか?誤解だよ、ミユちゃん。


 ああ、分かった。この子だな。


 ちょっと前、佑夏から聞いた、自分に熱烈な想いを寄せてくれている、卓球部の後輩の女の子というのは。


 佑夏と同じ高校の卓球部で、一つ下。

 県教大ケンキョーまで、愛する先輩ゆうかを追いかけて入学して来たのだという。

 もちろん、大学でも卓球部。


 中学も卓球部だったミユちゃんは、中学時代は戦績はパッとしなかったらしい。


 しかし、高校に入ってから、佑夏の「神の左」で指導され、グングン強くなっていったそうだ。


 そりゃ、こんなに楽しく、上手くなる魔法をかけられたように教えてもらえれば、その先輩を好きになってしまうのも、無理はないか。


 元々、中学から、ミユちゃんは思春期の女性にありがちな「男子は嫌い」の典型例だったみたいだし。


 佑夏が高二の夏、とうとう、この斎藤さんから「あなたの何もかも全てが好き」と、まるで宝塚のような、少女漫画の世界さながらな、愛の告白をされたと聞いている。


 男に告白された話は、佑夏は一切しない。

 この頃には、異性にモテた話など、自慢めいた話は、佑夏が全くしない人だというのは、僕には分かっていたけど。


 これだけの美貌、人間性も◎、並み居る男達が放っておくはずないが、意図的に男の話題を避けているというよりは、佑夏の性格上、自慢話には抵抗があるんだろう。


 代わりに、同姓に告白された話は、笑って、よくしてくれる。


 中でも、この斎藤ミユちゃんは、群を抜いて強く深く、愛してくれると。


 でも、ミユちゃん。

 君もいつか、男の人と結婚して母親になるんだよ。


 そんなに、白沢先輩が好きで、どうするの?


ところで、僕達はなぜ、卓球の練習などしているのか?


 こういう訳である。


 近々、佑夏、翠、斎藤ミユちゃんの三人は、児童養護施設で、親の無い子供達にボランティアで卓球の指導をする。


 その施設には卓球台が無い。


 だから、佑夏が自分でトラックを運転し、山の温泉街にある、地元の田舎から卓球台を積んで運んでくる。

 だが、積み降ろしと、練習後の積み込みには男手が必要。


 そこで、僕と須藤に声がかかった、ということだ。


 卓球のことなど、まるで知らない僕達だが、子供達の手前上、一応、球くらいは打てるようにならなくては、話にならないから。


 ちなみに、僕は中学時代はサッカー部、高校から合氣道に専念。

 須藤は陸上をやっていた。


 さて、今回の施設での卓球指導。

 佑夏は、同じ県教大ケンキョーの男子にも手伝いを頼んでみたが、断られてしまったという。


 あくまでも、僕の想像。

 県教大ケンキョーの学生の中には、裕福で優秀な子供達だけが生徒で、施設の子などは、ただの厄介者のゴミみたいに考えているのが多いんじゃないのか?


 中学時代の嫌な思い出が、僕にそう思わせる。

 おかげで、佑夏達と楽しい時間を過ごせるんだけど。


 須藤はといえば、佑夏の名前を出したら、二つ返事で簡単に引き受けてくれたのは、やはり女子大生目当て?


 彼は卓球姫ゆうかが美女であることを知っていたし、たまには自分の彼女以外の女性とも遊んでみたくなったのだろう。


 動機はどうであれ、これから僕達がすることは、大学生らしい立派な社会貢献であり、それはそれでいいんだと思う。


 ん~?しかし、なんでわざわざ、卓球台を持ち込む?後片付けをしながら、聞いてみたくなってしまい、

「佑夏ちゃん、どうして公営体育館ここみたいなところに連れて来ないの?卓球台があるとこ、いくらでもあるじゃない?」


 と言ってみると、傍で聞いていた翠が

「かー!分からねーのか?これだから男はよ!」

 呆れた笑い声を出してしまう。


 佑夏は片付けの手を止めず

「あのね、中原くん。施設の子は、心に傷を持ってる子が多いの。周りから見られるのを嫌がったりするのよ。」


 う、ドキッとしてしまう。

 微笑みながら、そう言った佑夏の表情は聖母のように優しい。


 斎藤ミユちゃんは、相変わらず、この先輩に熱い視線を送り続けているが、ちょっと無理はないんじゃないかな。

(白沢先輩、ステキ~!)と顔に書いてある。


 いや~、優しいんだな、佑夏ちゃん。


 僕は自分が不遇に育っているから、自分のような不幸な男には、世界中の女性は一人残らず侮蔑と蔑みの目しか向けないものと思っていた。(確かに、そういう人もいるが)


 しかし、考えてみれば、そんなはずはなく、この三人の女子大生のように、味方してくれる人達だっているのだ。


 時々、佑夏は三大幸福論について教えてくれる。


 その一人、ラッセルによれば、他人が事実以上に自分を悪く思っていると思い込む「被害妄想」は人間が不幸になる原因の一つで、程度の差こそあれ、誰でも持っているものだと。


 そうだよな、注意しないと。




そして、やって来た五月晴れの卓球ボランティア当日。


 児童養護施設「若葉寮」に、三人の女子大生より先に、僕と須藤は着いており、職員に挨拶した後、会場作りを始めてしまっている。


 すぐに、卓球台を乗せたトラックで、佑夏、翠、斎藤ミユちゃんが到着。

 積み込みは、佑夏のお父さんら、地元の男性が手伝ってくれたようだ。


 運転手は僕の姫ゆうか、車体には「白沢養魚場」の名前が入っている。

 ニジマスの養殖をしている彼女の実家、そのトラックか。


 姫は、一年の時に既に運転免許を取ったが、家の手伝いをすることを考えて、マニュアルの中型免許にしたのである。


 ただでさえ、こういう女性は珍しい。

 まして、トラックを運転する女子教育大生など、果たして全国に何人いるか?

 なんというか、色んな面で、実用性のある人だ。


 卓球台は二台、子供達はすぐに楽しげな歓声を上げ始める。

 佑夏の指導は面白くて、やめられなくなってしまうのは、僕も体験済みだ。


 順番待ちの子を、僕と須藤が遊ばせてあげる。


 意外だ!

 女子大生ゆうかたちが目当てとばかり思っていた須藤が、子供の世話が上手い。


 たちまち、彼はこの若葉寮の入所児童の心を掴み、人気者となってしまっているじゃないか。

 やはり、彼女持ちは違うのか?人間、どんな特技を持っているのか分からないものだな。


 これは、負けられない!

 俄然、僕もハートに火が付き、即席で合氣道の指導を始めてしまう。


 子供にも理解できるように、易しい言葉で技の解説をしながら、ケガの無いよう、丁寧に教えなくてはならない。

 やってみると、自分でも驚くような発見があり、氣がつくと熱中してしまっている。


「指導こそ本当の稽古」という館長の言葉は嘘ではなかったんだ。


 昼食は施設で用意してくれて、ランチタイムは子供達と一緒。

 たわいもない話ばかりだが、五人の大学生と施設児童は色んなことをしゃべくりまくり、とても楽しい時間を過ごす。


 女の子達が、とっかえひっかえ、佑夏の髪の白い貝殻を触りに来て、「これキレイ~!これキレイ~!」と連発していたのはカワイイ。

 姫も「ありがとー!」と、アランな微笑みで返していたっけ。




 でも、楽しいことほど、時間が経つのは早いもので、卓球の一日も終わり、男二人が中心になってトラックに卓球台を積み込む。


 すると、佑夏と翠が見事なロープワークで連携し、縛り上げてしまう、もうビクとも動かない。


 姫は家の手伝いで、翠の実家も専業農家ではないが、田畑はあるから、それで覚えたのだろう。

 何でもできるこの二人。


 ふと、一緒に馬の仕事をしてくれることになったら、頼りになりそうだ、などと、計算づくな考えが頭を掠めていく。


 もう、三人組の女子大生が、このトラックで帰る時間。子供達は名残惜しそう。

 彼女達の地元は同じ。今夜はそれぞれの実家に泊まるんだろう。


 佑夏と翠の真ん中の座席にいた斎藤ミユちゃん、あらためて白沢先輩に惚れ直したようで、姫に抱き着かんばかりに密着していたのを、思い出す。ハハハ!




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る