兎の担架兵(6)
彼が不意に喋った。
「――なんだ?」
「うおっ」
今までにない急角度の進路変更が行われた。一瞬の油断で振り落とされそうになる。何事かと問おうとしと瞬間だ。
着弾。
爆発。
被弾。
「ぐあっ」
近くで生じた爆発の隅に体を叩かれ、思わず声が漏れる。
事態を把握しようと彼に尋ねようとして、間を置かぬ再びの大きな進路変更で体が揺すられた。
次の砲撃はより近くに着弾した。後少しでも進路を変える機会が遅かったか、変更の角度が少なければ加害範囲に捕らえられていただろう。
耳につんざく衝撃波の名残を鼓膜の中に響かせたまま、彼に言う。
「敵の砲撃精度が急に上がった。なんでだクソっ」
「この音は……」
冷静なままの彼が舌打ちをして、話しかけてくる。
「おい、コースチャ。上を見てくれ」
「なんだ、上だって?戦闘機やヘリの攻撃じゃないぞ。一体……」
言われた通り、担架の上で身を捻って上空を見る。そこに答えがいた。
「あ、あれは――」
「ドローンだろう?」
言葉通りの物が空中からこちらを監視していた。この戦争で最もよく見る四枚回転翼のドローンであった。それこそ砲撃の精度が突如向上した理由である。地上の観測装置からの情報だけで照準するよりも、目標上空の観測機からの情報を加えた観測射撃のほうが圧倒的に精度は高くなる。
「なんで今更。俺たちが防衛しているときは影も無かったのに!」
「出し惜しんでいたのだろう。おそらくあれ一台しか装備していなかったのだ」
そんなバカなことがあるのか。ドローンがあれば敵だって無暗に突撃する必要はなかった。無謀な突撃をしてくる敵兵を自分たちがどれだけ討ち返したか、数など覚えていられない程だった。
「何十人もの兵士の命より、ドローン一台の方が大事だってのか!?」
「それが敵将のやり方という事だ」
マリアが淡々と話す。
「それよりも、厄介はあれだけでは無い筈だぞ。今から少し移動が荒れる。もう一度固定を確認しとけ」
「それはどういうこと――」
言葉を言い終える前に急転進がされる。予告通りそれまでより強い慣性が掛り、歯を食いしばって担架にしがみつく。その直後、着弾が起きた。マリアが強烈な爆風をすり抜けていく。しかしその砲撃は。
「二発だと!?」
「他の砲も自爆処置を解除して使い始めたな。次は三発以上が一斉に来るぞ」
三発。
その言葉に身構える。そして間を置かずそれはきた。
爆発。
爆発、爆発、爆発。
爆発。
五発の砲弾が炸裂した。
獣人は殆ど直角に進路を変え、クランク軌道で回避する。その背の担架に乗っている自分はもう必死だ。だがその大きな回避動作も無理からぬものである。砲撃は最早、精密な照準をせず、大雑把に予測進路と予測回避軌道をまとめて威力範囲に収まるように攻撃している。正確さよりも物量で広範囲を叩き潰す、大砲群本来の運用法だ。
「おいマリア、どうするんだ。このままじゃいずれやられちまう」
「……」
「……?どうしたんだ、黙り込むなんて」
この兎獣人の担架兵は、口が悪く冷淡な印象を受けるが、必要な情報や行動指針は的確に伝えてきた。それが、まるで悩んでいるかの様に話さなく無くなるとは、どうしてしまったのだろう。その沈黙は、襲い掛かる砲撃とは違う別の嫌な気配を感じさせた。
マリアが、回避軌道の合間に口を開く
「逃げ切れない。今の状態では」
それを聞いて、あの感覚が来た。脳を風がすり抜けるような冷ややかな直感。死の予兆に触れる感触。それが相手の言わんとする内容を先読みさせる。
「……積み荷を降ろせば、逃げられると?」
「――そうだ。一人だけならば確実に連れ帰れる」
実際に言われ、だが反発心は出てこなかった。追い詰められた状況では、生き残れるものを確実に生かし、助かる見込みが無い者は残していく。自分の心は嫌うが、それが軍人として妥当な判断だからである。だから積み荷――自分たちを捨てることに意義は無い。しかし、一つだけ認められない事がある。
「分かった。だが頼みがある。俺は降りるから、シーマだけはどうか連れて行ってくれ」
既に命を失ったリョーシャの遺体と、部隊の責任者としての自分はこの場に残されてもいい。だがまだ息があるシーマだけは道連れにすることは出来ない。無理を通してでもその不合理を受け入れてもらおうとした時だ。
「駄目だ。放棄するのは、死体と負傷したお前の部下だ」
「な――」
言葉を詰まらせる。部下見捨てて自分だけが生き残るなど、受け入れられるはずがない!
「そんなことが認めれるか!」
「お前の意見は関係ない」
返って来た声は鉄の様に硬く、冷え切っていた。
「そもそも俺はお前とは別系統の指令下にある。俺の判断にお前の意見を挟む理屈は無い。死体と重傷者は捨てる。生かすのは無事な人間だけだ」
反論しようとして、軌道変更の揺れと着弾衝撃に阻まれる。
「単純な理屈だ。このまま何もしないで三人が殺されるか、一人を諦めて二人がが生き残るか。お前だって考えるまでも無く後者が合理的だと分かるだろう」
「何故……何故今になってそんな非情なこと言う!?」
自分たちを助けようとしてくれているマリアに、初めて怒りを覚えた。
「あんたはあの状況でシーマと俺を助けてくれた。不要であるはずのリョーシャの遺体まで運んでくれた。あんたはこんな戦場でも善良さを持っている人だろう!どうしてそんな冷徹なことを言い出すんだ!?」
自分でも理不尽なことを言っている自覚はある。しかし、どんな極限状態でも人としての善良さに基づいて行動することは、この地獄よりも地獄らしい戦争で、自分が正しさを見失わない為の信念であった。
だが、言葉を投げた相手は変わらず冷静に返答する。
「勘違いするな。生きる見込みが薄い重症者や遺体を回収したのは、それが任務の内だからだ。しかしそれも状況が許してのこと。今こうして追い詰められたなら生かせる分だけを搬送する。俺は最初から自分に与えられた命令以外の理由で作戦行動をしていない」
「そんな、それではまるで――」
「外道な敵たちと同じ、か?」
言葉を詰まらせる。
「分かっているはずだ。合理に徹すれば人心と反する判断を求められる。それは兵士にとって、出来る限り多くの人々、仲間、そして自分を生かすために必要な決断力だ。そしてこれは敵兵が自身だけを考えてする猛悪とは違う」
歯を食いしばり、眉間に力がこもるのを感じながらその言葉を受け止める。マリアのいう事は正しい。今、マリアは少数を諦めてより多くの人間を救うための決断を、最善手として取ろうとしている。それは兵士として当然であり必要な判断で、何も批判されるところはない。まして、指令系が違うと言いながら即座に行動に移さないのは、後送されている部隊の長である自分を気遣ってくれてすらいるからだ。
だがそれでも、自分はまだ四人で帰還することを諦められずにいた。
感情と理性の間で精神が摩耗し、鼓動が早まり呼吸が乱れる。
再びの爆裂。
広範囲に散発した砲撃を、マリアが空振から着弾タイミングを読み、地形や自分の速度を計算して、細糸を縫い込む様に最小限のロスで躱し切る。
しかしその神業でもってしても完全に威力範囲外へ逃れることは困難になりつつあった。
甲高い風切り音を立てた砲断片が自分の頭をかすめ、出血が俯いた顔の鼻先から滴り落ちる。
その時、自分の心の中で何かが弾けた。
「あれを――ドローンを何とかすればいいんだろ!」
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