兎の担架兵は戦地に跳ねる

底道つかさ

兎の担架兵(1)

 東欧の平原、青空の下、晩秋の小雪にぬかるんだ大地を疾走する者がいる。

 兎の姿をしていた。

 だが、その兎の体躯は人間よりも大きく、更には軍服を着て、ポーチが並ぶ防弾ベストや長い耳を覆うニット帽を付けている。加えてライフルや手榴弾、無線機などの軍用装備を持っていた。

 兎獣人の兵士だ。

 その移動は駆け足による上下運動の揺らぎや、車両が地形に邪魔されて起きる重々しい乱れも無い。まるでレールの上を滑走しているかのように平行に、安定して高速の移動を成していた。

 兎が高速移動によって相対的に生じる強風の中で呟く。


 「二十一世紀になろうが、全地球規模のパンデミックが起ころうが、常任理事国が侵略戦争を起こそうが、この風景に何ら及ぼすものは無い。それが善性でも悪性でも価値を持たない」


 無気力のような、諦観したような、平坦な口ぶりだ。


 「獣人だろうが、亜人だろうが、人間だろうが。等しく無力であるならば、戦禍の中の善性は何も生みだしはしない。合理的で冷静な判断だけが、生き残る未来に続いていける」


 無線機がノイズを鳴らす。そして通信が送られて来た。


 『こちら基地本部。応答してくださいシュメーツ・マリア・エックハルト伍長』


 兎は答えない。

 だがそれを見越していたように、厳めしい別人の声が代わりに告げてきた。


 『こちら作戦本部、ガブリエルだ。聞いてるなマリア』

 「……ええ、全く良く届いていますよ、ボス」


 ゴーグルの下の目元をしかめながら答えた。


「しかし、洗礼名で呼ぶのはいい加減に止めてもらえませんか。女と勘違いされるのも嫌になって来た」

『ならば最初から通信に答えろ。指令系統を厭って独断しようとするな』

「了解です。それで、例の攻撃されている塹壕拠点の戦況詳細は判明したんですか」

『部隊のほぼ全員が敵射程の外まで何とか後退した。今は殿しんがりとして亜人一人、人間二人の計三名が交戦中だ。最終交信までは全員生存を確認している』

「先に言っておきますが、到着したときに死んでたら帰りますよ。死にそうになっていても同様です。命がけで救出はしません」


 兎獣人の兵士は淡々と言葉を口にする。味方を見捨てるような冷徹な意見だが、迂闊な善心に惑わされない全く合理的な、戦場における常識的な判断であった。


『それは当然だ。現地での判断は貴様にゆだねる。だが東部方面軍の後退は参謀本部の決定だ。その撤退支援はにとって最優先目標となる。ゆえに、早く見切りをつけ過ぎるな。可能な限り最善を尽し、一人でも多く友軍を無事に後送せよ』

「最善……ね。まあ、命令である以上従いますよ」

『それでいい。能力の限り任務をこなせ、マリア。オーバー』

「……了解。アウト」


 通信を終えて、兎はため息をつき独り言ちた。


「だから洗礼名で呼ぶなっての」


 そして、疾走をさらに加速する。

 その進路の先では、戦場から立ち上る黒煙が空の青を濁らせていた。


                ●


 晩秋の青空。

 泥濘の平原。

 早暁の爆音。

 自分は凍てつく塹壕の泥に足首まで沈みながら、聞き慣れ過ぎた砲撃着弾による衝撃を受けた。数多いる霊長類の中でも、獣人、亜人に比べてひ弱な人間種のこの身は、普段であれば退避壕に飛び込むところであるが今は出来ない。

 南北へ延びるこの塹壕へ、東から敵部隊が進行してきているのだ。

 幅三メートルの牢固な塹壕線から、泥まみれになったブラウンの髪と顔を出して機関銃を迫る敵兵に放つ。

 同時、部下へ安否を確認した。


「リョーシャ、シーマ、無事か!?」

「Да-с!もちろんです隊長」

「なんとかまだ生きてます。コースチャ軍曹」


 リョーシャと呼んだ部下は人間ではない。

 狼亜人。

 肉体の様相は人間に近く、二本の脚で立ち、十の指がある手でライフルを撃っている。しかし軍服の隙間から見える体表は白い獣毛で覆われ、頭は鼻面が長く前に突き出し、鋭い牙が並んだ大開きの口があった。

 獣の様な相を持ち人間同様に立ち振る舞う霊長類、それが亜人だ。

 その亜人であるリョーシャは流石にタフだった。人型様ひとがたようで、五指の手まである人間の形に近い彼であるが、軍の訓練もあってそう簡単には行動不能にならない。

 何とも頼りになる奴である。

 しかし人間のシーマは疲労と負傷の影響が如実に現れているらしい。だが休ませてやるわけにはいかなかった。その理由は目の前に迫って嫌でも見えている。


「また突撃が来るぞ、気ぃ入れろ二人ともっ」


 敵兵が彼らの軍からの砲撃で吹き飛ばされながらも、残った者たちが身も屈めず接近していた。

 声にリョーシャが応じる。


「Да-с!俺の家はクリミア戦争の時からこの土地に根を張って生きてんだ。侵略者なんぞに気合で劣りやしません」

「その意気だリョーシャ。シーマ、きついだうろが踏ん張れっ」


 自分と同じ人間のシーマは、疲労で真っ青な顔を泥まみれにしながら乱れた呼吸の間に応答してきた。


「大丈夫、まだやれます。これ以上、同胞たちを妹みたいに虐殺させるもんか」


 二人のそれぞれの応答を聞きながら機関銃の反動を体に響かせ、発射音に紛れぬ大声で檄を飛ばす。


「そうだ、それでいい。俺たち殿しんがりが粘ればそれだけ味方の後退は安全になる。立て直した部隊から救援も必ずやってくる。だから、撃ち続け生き続けろっ。俺たちは、死なない!」

「応!」


 既に何度も交わした会話を、まじないの様に強く繰り返す。自分の心は折れず、リョーシャもシーマも奮い立って戦闘を続けている。

 その勇敢さに感動する一方、好青年の彼らをこんな地獄へ呼び込んだ敵国への愚痴が口から零れた。


「ソヴィカ連邦め。何が特別軍事作戦だ。ふざけた出鱈目で俺たちウルシーナを侵略しやがって」


 現在の東欧において、世界秩序を構成するはずの常任理事国であるソヴィカ連邦が、不当な扱いを受けている人間種を救い、秩序回復を行うという名分で特別軍事作戦と称した全面侵略を我らがウルシーナ国へ開始した。

 ソヴィカ連邦は我々の圧倒する軍事力を持つ。

 だがそれを覆してウルシーナ軍は首都防衛に成功した。更に内部へ侵攻していたソヴィカの戦線を局地的とはいえ押し返えしたのだ。

 それを見たNATOや米国の支援が入り始め、以降は大国ソヴィカに一歩も引かぬ敢闘を続けている。

 開戦以降の約二年の記憶が思考を巡った、その一瞬を断ち切るように部下たちのやり取りが聞こえる。

 

「シーマ!腕が上がんねえならグレネードよこせ。俺が投げる」


 自分の背後を投げ渡された手榴弾の束が通る。射撃を続けながらリョーシャへ指示をした。


「リョーシャ!機関銃で右手前の窪みに敵を追い込む。二、三発放り込んでやれ。合わせろシーマ!」


 言葉と同時に機関銃の連射を左から右へ、煽るようにゆっくり動かす。シーマも動かずやり過ごそうとした敵兵へ銃弾を送り同じ方向へ追いやった。敵兵がこちらから見て右側、30メートル程前方にある、砲撃で抉れた浅いクレーターに隠れて密集した。


「リョーシャ!」

「食らいやがれ、クソッタレども!」


 両手に握られている手榴弾が亜人の強力な腕力で投げられた。それは敵が身を隠すクレーターの内側へと吸い込まれ、爆発して土砂を弾けさせた。


「ビンゴ!」

「よくやったリョーシャ」

「こんだけ長々とやり合ってりゃ、地獄の塹壕戦もちったあ慣れるもんですよ」


 現在、敵国ソヴィカ軍と我々ウルシーナ軍は、東部で旧世紀さながらの塹壕戦を展開している。互いに制空権を抑えきれない事もあり、凍える土地に塹壕を構え、戦闘を繰り広げていた。


「敵から砲撃がありゃ横穴の退避壕へ避難。味方砲撃隊の応撃が始まったら塹壕から頭を出して、近づいてくる敵兵を迎え討つ。馬鹿な俺でも流石に覚えちまいますよ」


 リョーシャの言う通り、この数か月はひたすら同じことの繰り返しで前進も後退も無かった。地理的制約が要因の南部の膠着とはまた違う理由で東部戦線は停滞している。この状況では、敵の弾に当たることもだが、不衛生な塹壕特有の多種多様な疾患と、氷より熱を奪う泥の方がある意味ではより厄介な脅威だった。


「だけど、今日は変ですよ軍曹」


 シーマがマガジンを換装しながら言ってくる。


「敵の歩兵がこちらの塹壕に至る直前になっても砲撃してくるなんて。確かに応戦を受けることはないけど、ボンボンと兵士が自軍の砲弾で吹き飛んでるのに」

「ケッ、仮に塹壕を突破出来たとしても摩耗した戦力でその後の作戦行動は出来ねえ。ソヴィカの指揮官は友軍の命を何だと思ってやがんだっ」

「何とも思ってないからこんな真似ができるのさ、シーマ、リョーシャ」


 部下達へ返事をしながら頭を巡らせる。

 シーマの言う通り今回の敵攻勢は異常だった。機関銃による面制圧すら間に合わない莫大な人員数のせいで接近を許し、迫撃砲群の投射によって味方砲撃部隊が損害を受け、後退せざるをえなくなったのだ。

 そして今、我々三人が殿として圧殺的な敵軍の進行を押し留めているのである。

 だが、機甲戦力や砲門、歩兵数で圧倒的に負けていようと、我が軍は世界2位の軍事国家と戦える力と、祖国を、故郷を守るという強い意志が兵士一人ひとりまで満ち満ちている。故に一時的に後退させられても直ぐに再攻勢に及ぶのだ。救援が来るという言葉も断じて嘘ではない。


(その為にも、三人全員でここを生き抜かねば!)


 再三の奮起を自身へ促した時、陽炎を昇らせる機関銃が「カチン」と小音を立てて連射を止めた。


「リロード!」

「カバー!」


 装填行動を告げ、隙を守るけん制射撃を二人に任せて、屈んだ足元の箱から新たな弾帯を掴む。それを機関銃に通そうと身を起こそうとした時だった。


「……なんだよアレ」

「軍曹、て、て、敵の、兵がっ」

「どうした、何が来た!」


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