5-3
「相変わらずうまいわねえ、日置くん」
特養のフロアで『りんごの唄』を弾き終わり、利用者たちから拍手が出たタイミングでたまたま近くを通りがかった先輩である年配の女性介護士が航也にそう声をかけた。
「ありがとうございます」
「そんなにうまいならピアニストになればいいのに」
さすがに航也は苦笑した。
「ピアニストなんて無理中の無理ですよ。上には上がいるとかいう次元じゃないです」
「じゃあ、シンガーソングライターとか? 歌もうまいじゃない」
「いやどうも、ありがとうございます」
「やっぱり、人間、なにか一つは取り柄があるものねえ」
生産性。
「俺、そんなに仕事下手ですかね?」
「違う違う。単純に
けらけらと笑う彼女に、別の介護士が声をかけ、やがて航也は一人になる。そろそろ仕事に戻らなければと思う。しかし、しばらく航也はピアノの前から動けなかった。
どんな人でも一つぐらいは取り柄があるものだ。
取り柄を活かして頑張ろう。
じゃあ、何の取り柄もなければ何の役にも立たない人は、どうすればいいの。
なるほど航平は人の、社会の役に立つ障害者だ。障害がありながらとんでもない絵の才能の持ち主だった。仕事としての才能はなさそうだと思ったが、しかしなんだかんだ利益は出るだろうしそもそも一人の画家として社会貢献はできる。だからここにいてもいい。じゃあ祐は? 天才的才能をもっているわけじゃない、何の生産性もない発展性もない、“ただの障害者”はどうすればいいんだ?
史生の施設の利用者が言っていたということ。『障害者は人の役に立たなければならないのだろうか?』。それはプレッシャー。要するに、利益があるなら存在していてもいいよ。人に迷惑をかけなければそこにいても構わないよ。
じゃあ、人に迷惑をかけざるを得ない人、他人に迷惑をかけなければ生きていくことすらできない人は、どうすればいいの。いまここにいる利用者たちのように、人の、職員たちの
どうなればいいの。
どうなってほしいの。
––––どうなってほしいの。
“障害は個性”。
“個性を活かして誰もが輝ける社会に”。
––––使えるなら、いてもいいよ。
––––そうじゃなかったら、いらない。
最近の航也はこの世界に暗い気持ちが芽生えていた。どうしようもなかった。自分がこれまで存在していた世界、自分がこれまで大切にしてきた世界が、あまりにも残酷で醜悪なものに思えるようになっていた。
いや、あるいは自分はどこかの誰かを踏みつけにして、そしてその上に自分の
誰かを殺して––––。
それで自分の世界を成り立たせていただけ。
あるいは、自分が普通に言っていること、自分が普通にやっていること、自分にとって普通のこと、そういったことが、もしもどこかの誰かを殺し続けているのだとすれば?
そうしなければ“普通に”生きていくことができないのだとすれば?
誰かを殺すことで成り立っている世界。
あるいは––––社会とは、そういう風にできているのだろうか?
そしてそんな世界に、社会に生きている自分は、そんなところで平穏な生活を送り続けていた自分は––––“何”なのだろう?
俺は、なんだ?
俺は、なにをしている?
ふと航也はフロアを見渡し、時計を見る。まだ余裕がある。もう一曲ぐらい弾ける。
とにかくピアノを弾きたかった。
とにかく救われたかった。
航也はピアノを弾き始める。曲目は利用者お気に入りの『三百六十五歩のマーチ』。
一歩ずつ前に進んでいくこと。進んだら一歩下がって、それでもまた一歩、一歩と進んでいくこと……。
それでも俺は––––前に進めるのだろうか。
前に進んでいっていいのだろうか。
それでも……前に進んでいくしかない。
それでも生活は––––続いていくのだから。
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