1-2
「ぼく、航平ですぅ」
にこにこと自己紹介をする航平に、航也も顔がどこか綻ぶ。
「航也ですぅ」
と、航平につられて語尾を伸ばしてしまい、航也はなんだか笑ってしまった。
「こうやさん?」
と、顔を覗き込んできた。
「そう。航海の航。航海士の航」
すると、顔がぱあっと明るくなった。
「ぼくも、航海士の航ですぅ。お揃いだー」
航平はさっきよりも表情の“にこにこ”が強まった。同じ漢字を持つ名前の者同士、なにか感じるところがあったのだろう。
「お揃いだぁ」
また語尾が伸びてしまって、自分がなんだかかわいいなどと思ってしまった。
「家、どの辺?」
と、航也が訊ねると、
「あっちの方ですぅ」
と答える。自分の家とはいえ具体的な地名がよくわかっていないのかもしれない、と航也はなんとなく想像してみる。
航平の持っている荷物は、散らばった剥き出しの絵の具と絵筆、それからスケッチブックだった。写生でもしていたのだろうかと思ったがその割には汚れていない。買い物帰り、といったところだろうか。例えば買ったと思ったら封を開けた、みたいな。
二人でのんびりと、てくてくと道を歩きながら、航也は子どものころのかつての同級生を思い出す。
“彼”とは別に特別な会話をしたわけではない。しかし、遭遇すると挨拶ぐらいはした。すると彼は自分をなんだか気に入ってくれたようで、それからもちょくちょく会う度に挨拶をするようになった。それだけだ。「おはよう」と「じゃあね」ぐらいのやり取り。なぜその程度のやり取りで終わってしまったのかというと、友達たちが彼と関わる航也を“なんだか遠巻きに見ている”ように思えたからだ。あるいはそんなものは自分の被害妄想かもしれない。友達たちがそれを突っ込んだことはなかったし、航也自身に距離を置かれたわけでもないから。しかし、それでもって航也は彼とそこまで親密な仲にならなかったというのも事実である。そしてそのまま挨拶程度の仲に終わり、そのまま卒業し、卒業以来一度も会っていない。
これは、ある種の罪悪感なんだろうな、と、航也はつくづく思う。
普段関わっている利用者たちの援助をすることで、自分の罪悪感を抹消しようとしている……というわけではない。だが、そんな気がする、というのも確かだった。彼とは別にそれが原因で険悪な関係になったなどというわけではないのだから罪悪感を覚えるのも自分の気にしすぎなのかもしれない。しかし航也はときどき彼のことを思い出す。彼のなにが自分にそれほどのインパクトを与えたのか、航也はさっぱりわからない。
ただ、ときどき思い出すのだ。
しばらく無言で歩きながら、自分より背の低い航平を見つめる。この子もそんなような日々を過ごしていたりするのかな、などと思いながら。
「航平!」
そのとき、後ろから声がした。二人して後方を振り返る。すると、一人の女性がこちらの方へと駆け寄ってきた。
「あ。お姉ちゃん」
「お姉ちゃん?」
つまり、航平の姉が登場した、ということだろう、と航也は思った。
息を切らしながら彼女は近づいてくる。
すると彼女はそのまま航平の前に立ち塞がった。
「あなた、どなた?」
「え?」
「航平の友達……じゃないですよね」
あからさまに不審者を見る目つきで自分のことを見てくる。まあ、無理もない、と航也は思い、では説明しようと口を開きかけたところで航平が彼女の腕を引っ張った。
「航也さんが、助けてくれて」
「助けて?」怪訝そうな顔で自分たちの顔を見る。「なにかあったの?」
「絵の具とか、絵筆とか、散らばって、自転車が走ってきて、ぼく転んで、足が痛くて、航也さんがお家まで送ってくれることになって」
どうも航平は説明過多なようだな、と思い、同じく説明過多な数人の利用者を思い出し航也はくすっと笑ってしまった。
「なるほど」
と、一気に状況を理解した彼女は、身を正して航也に頭を下げた。
「ごめんなさい。大きな声出しちゃって」
「とんでもない」
「私、この子の姉で」
「お姉ちゃん、ですもんね」
「お姉ちゃんですぅ」
と、航平はずっとにこにこしっぱなしである。
彼女もようやく一安心したようで、航也に向き合った。
「誰と歩いてるんだろうって、不安で」
「なんとなくわかります」
「本当にすみません。航平、足、怪我したの?」
「痛いよう」
どうやら痛みが更に増していたようだった。絶体絶命、まではいかないにしても、やはり怪我をしたこと自体は間違いないようだった。
「骨折はしてないと思うんですが」
「捻ったの?」と、心配そうな顔で航平に訊ねる。「あとで病院に行こうか」
「病院キライ」
「もっと痛くなるよ」
「ぼく、航也さんにお礼しなきゃなの」
「うん……ありがとうございます」
と、更に彼女は航也に頭を下げた。いえいえ、と、航也は返す。
彼女は航平に言った。
「あんた、またお店で封開けたの? 家で開けなさいっていつも言ってるでしょう」
「ぼくの絵の具だもん」
「はいはい。じゃあとりあえずお家に帰ろう」
「航也さんにお礼するぅ」
「あ、いえ」と、そこで航也が前に出た。「大したことしてないし、別にいいですよ。お礼なんて」
「そうもいかないです」と、きっぱりと彼女は言った。「助けてくれたんだから」
「といってもねえ」航也の困惑は止まらない。実際、本当にそんな大それたことをしたとは思っていないのだ。「彼も病院に行かなきゃいけないでしょう」
「あの」と、彼女はここでスマホを取り出した。「連絡先を教えてください」
「え」
「お世話になったし、ご迷惑おかけしたんだから」
「いやあの、本当にそんな大したことしてないんですよ」
「お願いします」
ここで航也はふと、彼女になにか鬼気迫るものを感じた。なんだろう? そんなにお礼をしなければならない理由でもあるのだろうか? そう逡巡していると、航平が右腕を引っ張った。
「お礼しますぅ」
これはもう、お礼をされなければならなさそうだ、と、航也は観念した。
「じゃあ––––」と、スマホを取り出す。「LINEでいいですか?」
「はい。ありがとうございます」
そこで二人はLINEの交換をした。
スマホをしまいながら、彼女は自己紹介した。
「私、海川です。海川史生」
いけないと思いながら航也はくすっと笑ってしまった。
「海で塩なんてすごいキラキラネームで」このツッコミはいつものことのようだった。「すごい嫌なんですよね」
「覚えやすいですよ。俺は日置です」
「日置、航也さんですね。じゃあ、連絡しますから」
「はあ、でもそんな大したことしてないんだけどな」
「この子の家族をやってると、結構いろいろ考えるところがあるもので」
なんとなく航也は、自分が不審者などではないということを史生がまだ完全には納得しきっていないのだろうな、ということを考えた。
史生は再び頭を下げた。
「本当にどうもありがとうございます」
「ありがとうございますぅ」
と、航平も頭を下げる。
「いえいえ」
と航也は答え、やがて史生と航平は「それじゃあ」と言って歩いていく。
航也が後ろを振り返ってすぐ、航平は史生にこう言った。
「航也さん、フォレストだった」
「そうだね。よかったね」
ん? と、航也は振り返る。航平も振り返り、ばいばい、と手を振ったのでつられて航也も手を振る。
「フォレスト?」
なんのことだろう、そう思ったが、それを追及するにはだいぶ距離が開いてしまった。
航平は何度も後ろを振り返り、何度も手を振った。しばらくして姿が見えなくなったころ、いくらかの疑問を抱いたまま航也は来た道を引き返す。
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