緑を溶かす
武上 晴生
ヒーロー
今を輝くヒーローがいる。
5人5色のカラフルなそのチームは、街で怪人が暴れれば颯爽と現れて、華々しくやっつけて、ポーズを決めて、去っていく。
そんな戦隊に憧れた俺は、自分もヒーローになりたくて、ついに立ち上げた。
『見習いヒーローのなんでも相談事務所!』
ここで沢山の人を助けて、名声を得て、実力をつければ、俺もいつか、彼らの一員に──
「──その戦隊に追われているんです、助けてください」
目の前の男は深々と頭を下げた。
初仕事、初依頼、巨大案件。しかし。
もし目の前のクライアントを助けたら、それ即ち、俺は、憧れのヒーローの敵、になってしまうではないか。
「で、依頼、受けちゃったんですか? なんで?」
依頼人が去った部屋に、心底呆れた声が響く。彼は助手のアタラ。やたら身長の高い彼は、椅子に座る俺を、相当な角度から見下ろしている。その高さから、ご自慢の金属の義手でコーヒーを荒々しく置いた。机がやや軋む。
悪態をついても勝ち目はないので、代わりにVサインをお見舞いしてやる。
「二つ返事で了承した」
「バカ?」
食い気味の暴言と同時に後頭部に衝撃。
「正義の鉄槌です」
「人命舐めてる?」
「これでも感謝してるんですよ貴方のこと」
「伝わらないよ?」
突然、アタラは急に神妙な顔になった。
「でもまぁ、依頼受けたのは正解ですよ」
彼は俺の後ろに立ち、腰をかがめ、耳打ちをする。
「簡単な事です。その依頼人さんが敵だという証拠を掴み、捕まえればいいんです」
後ろを振り返れば、アタラは目を細めて笑っている。
「そうすればヒイロさん、貴方は文字通りヒーローですよ。そのためですよね? こんな仕事をしているのは」
「そんなつもりで依頼受けたわけじゃ……ただ可哀想だから、勘違いを解いてやるつもりで。まぁそこで戦隊5人に会えたら嬉しいなってちっとは思ったけどさ」
アタラは大きくため息を吐いた。
「あなたが一番分かっていると思うんですけど、特殊能力も持たないあなたですから。ぬるいことをしていてはどうにもならないって。
ヒーローになるには、実績です。
依頼人さんは、追われているんです。
それなりの理由が、ないわけないですよね?」
コーヒーが冷めきったころ、小さな事務所にバタバタと大きな荷物を抱えた人がやってきた。
「あっ、依頼人のナメルです~。荷物持ってきました。お世話になります~」
「この人ここに住む気ですか?」
「アタラ、独り言が大きい。俺がそうしろって言ったんだ」
「いや住みはしませんよ? 3日間です、それさえ凌げればあとはどうとでもなるので」
「そんなことあります?」
とりあえずナメルには数日間事務所で生活してもらうことにした。
様子見で3日間は事務所で匿って外に出さず、戦隊たちの様子をうかがう。
買い出しなど外に出る用事は、アタラに行ってもらう。アタラは外で誰かにつけられたときにすぐ気がつけるし、万が一戦闘になったとしても彼なら回避できると踏んだ。
俺は事務所に残り、ナメルの安全を確保しつつ情報を聞き出す。事務所に誰かが来たら、仕方ないのでクローゼットに隠れてもらう。
まさか正義のヒーローが、突然許可もなく事務所の窓をキックで突き破って入ってくることはないだろうが、万が一を考える必要はある。
あと、一応。アタラには教えていないが、俺に特殊能力がないわけではない。いざというときはこれを使えば。その自信があるから事務所を立ち上げられたのだ。とはいえ、対戦闘での有効な使い方も強さもまだまだ分からないので、追いつめられたときの自分の頭脳に期待するしかない。
コーヒーの粉が切れた、と言ってアタラは外に出た。事務所に静寂が訪れる。
「まだ全然追われている感じはないな」
俺が呟くと、ナメルが首をぐるんと回し、ソファーの背もたれに頭を乗せる。
「ヒイロ、くん、ですっけ。あなたの特殊能力は?」
「急になれなれし……あんまばらすものじゃないだろ」
「でも手で触ったものに影響を与えるんですよね」
思わず人差し指がビクッとはねる。ナメルはにやりと笑った。
「図星。僕ね、身体のどの部分に特殊能力を宿しているか、見ることができるんですよ。君は指先が光っている」
俺はふーんと鼻息を吐いて唇を尖らす。目を泳がせて、アタラがまだ帰ってきていないことを確認して、
「誰にも言うなよ」
しゃがんで、カーペットに手をついた。
そこから、わさわさっと緑が生え、茎が沸き上がり、つぼみが膨らみ、花が咲き乱れた。
「お花畑だの弱っちいだのさんざん言われた割には、意外と有能だと思うんだよなぁ。どんな植物も一瞬で育てられるし、食べられるし、クッションになるし、グリーンカーテンもできるし。枯れれば元通り。便利。どう?」
得意げに自分の周りだけ生長を早くする。ツタが自分に絡まってきてあれよあれよと言う間に身動きが取れなくなる。ツタの隙間から「わっぷ」と顔を出すと、生暖かい目をしたナメルがいた。
「お見事です」
「まぁ、アタラはただ純粋に力が強い物理的破壊最強能力だから、ヒーロー感でいったら絶対あっちが強いんだけどさ」
「でも、ヒイロくんは自分の力を誇りに思っているんですよね? だから僕に見せびらかした」
「誇りかは分かんないけど、空いた緑枠には十分値するんじゃねーかな、多分」
「空いた緑、ねぇ」
ナメルを追っているという戦隊は、数か月前からグリーンが失踪している。最後に敵と戦った現場には、謎の緑色の液体が残っていたという。今は4人で悪の組織と渡り合っているが、やはり赤青黄緑桃で揃っていた頃の方が盛り上がっていたように見える。
昔からヒーローになりたかった俺は、これをチャンスと見て、密かにその座を狙っていた。
「人を助けた功績を上げれば世間でも有名になって、『うちの戦隊に入りません?』ってきっと声がかかる。いやこっちから実績をエントリーシートか何かに書き殴って入れろって頭下げる。そうすればきっと道は開ける。『事務所つくって何でも屋やれば助けられたい人も依頼も舞い込むんじゃないか』って、アタラも後押ししてくれたし」
「ずいぶん時間かかりそうな話じゃないですか?」
「大事なのは熱意だよ。結果論だけど、現にヒーローにお近づきになれる案件は舞い込んできたわけだし」
「じゃあ、敵に回っちゃって大丈夫なんですか?」
一瞬、答えに詰まる。遠くでパトカーのサイレンが鳴る。
「追われているのが誤解だって言うなら、そんなこと言うなよ」
先ほど生やした植物を枯らして、元通りになったカーペットを手ではたいた。アタラが帰ってきた音がした。
「いざお前が極悪党だったら捕まえて差し出すだけだし」
「君も面と向かってそんなこと言わない方がいいですよ」
「やっぱりナメルさん怪しいですね」
帰宅するなり、アタラは耳打ちをしてきた。
「どうした」
「風呂の鏡、見ました? 溶けていたんです」
「どういうことだ」
慌てて見に行く。確かに鏡が、歪んでいた。昨日までなかった4本の線。鏡の上に、指でひっかいたあとのように引かれている。近づいてよく見ると、その線は鏡が凹んだ跡で、線のふちは盛り上がって歪んでいる。
鏡の枠に手をかける。あるはずの垂直抗力が働かず、指が、真っ直ぐに鏡に吸い込まれていく。指先が鏡を溶かして、進んでいる。数センチひっかいたところで、指を外す。そんな様子が、なぜか簡単に想像できた。
刹那、緑の液体が地面に遺されたニュースの映像を思い出した。
「グリーンの失踪?」
気づいたら声に出していた。
アタラが頷く。
「グリーンが最後に戦っていたとされる現場に残っていた緑の液体は、グリーンが溶かされた跡だと推測されています。もし、物を溶かす能力をナメルが持っていたとしたら、彼がグリーンを倒したと考えても妥当です。やはり彼は危険人物です。ヒーローたちが寄ってたかって目の敵にしていても辻褄が合います」
アタラが真剣な表情でこちらを睨んでいる。俺は顎に手を当てて歪んだ鏡を見つめた。
「鏡、あれナメルがやったの?」
アタラがいない時間に、聞いてしまった。
「ずいぶん直接的に聞きますね」
ナメルはニコッと微笑んだ。
そして、うなじを触ってきた。
「ひぇ」
「溶かしませんよ。これで、君も物を溶かせるようになりました。逆に、溶けたものをもとに戻すこともできますから、気になるようならあとで鏡、戻しとくといいですよ」
「やっぱお前がグリーンを……」
ナメルは答えなかった。遠い目をして、窓の外を見ている。今にも雨が降りだしそうな天気だった。
「僕が、なんでこんな立ち上げ間もない小さな事務所に、『ヒーローから匿え~』、なんて無謀な依頼したか分かります?」
「え……? アタラがいたから……? 他に誰も引き受けてくれないからでは」
「金さえ積めば悪に染まる組織なんて世の中いくらでもありますって。アタラくんに『お困りごとありませんか』って聞かれたのは確かにきっかけだったけど。決定打は、ヒイロくんが事務所のオーナーだと聞いたから」
ナメルがこちらを向いた。
「アタラくんは危ない。早く逃げてほしい。君には恩があるから」
「え?」
ナメルはニッコリと笑うと、窓を開けた。
「今度は追って来ないでね」
ナメルが窓枠に足をかける。
「あの助手に伝えといて。『石飲み場に集合』、って」
がらんどうになった事務所で呆然としながら、パソコンを触る。
ちょっと指先に意識を持っていくと、どろぉ、っとキーボードが溶けて手にくっつく。
「わー、ほんとに溶けるんだ」
手に黒い粘度の高い液体がついている。
そのときだった。突然、思い出した。
小学生のときだった。
廊下を全力疾走しているやつがいた。なぜか、服と、口元まで真っ黒にして。
必死の表情だった。泣いているのが見えた。
予鈴は鳴っていたけど、ちょっと気になったので追いかけた。
すると、さっきの少年が、窓枠に足をかけていた。
どうすればいい、より、どうにかしたい、が勝ってしまった。
彼が飛び降りた瞬間、後を追う形で自分も窓の外に飛び込んでしまった。
少年の見開いた目を覚えている。そういやここ、4階だった。
無我夢中で何かに触ろうとした。草を生やしてその上に着地すれば助かる、と地面に向かって手を伸ばした。
しばし記憶が飛んだ。でも、意識はあった。
目を開くと、目の前に花が咲いていた。
起き上がると、自分も少年も、泥の中に入ったかのように全身真っ黒になっていた。
きょとんとしていると、少年が先に口を開いた。
「誰も追いかけてきていないと思ってた。何、こんなとこまで」
「いや……わかんない。君こそ何があったのかなって」
少年は不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「習字の授業だったんだけど、墨汁の容器触ったら溶けて壊れちゃって。中身があふれ出しちゃって。雑巾でふくと真っ黒になるから」
「まさか飲んだ?!」
「あ、そう」
心底意外そうな顔で、こちらを見てきた。
「そんなこと誰も考えないよって言われたんだけど。めちゃくちゃ引かれて、あり得ないって叫ばれて、敵だとか言われて逃げてきたんだけど」
「でも墨汁飲むのはお腹壊すと思うよ」
「頭も壊れてるって言われた。考えて行動したのに誰も聞いてくれなかった」
彼は嬉しそうに天を仰いだ。
「そっかー、飲む人、ぼくの他にもいたんだー」
「飲まないよ?」
あれはきっと、ナメルだった。
普通と違う行動をとったから、怪しい奴と勘違いされていたのだ。きっと、今回も。
「どうしたんですか」
突然後ろから低い声が聞こえて我に返った。
「いや、考え事」
「違います、そのパソコン……」
振り向くと助手、アタラがひどく黒目を小さくして、顔を真っ青にしていた。
「あ、ごめん金もないのに壊しちゃって。あとで直すから……」
「そうか、やっぱりナメルなんですね。彼と接触して、その溶かす能力が移ったんですね」
「あたら?」
言葉を理解する間もなく、とつぜん殴り掛かってくる。
「あぶねぇ!」
「ナメルの場所を吐いてください、ナメルと同じ能力を持つ以上、あなたも敵です」
「アタラ?」
「言ってませんでしたけども、貴方を倒すために明かします。私は隊員。ナメルに腕を溶かされた、グリーンです」
広い道路が封鎖されている。以前、グリーンが失踪したとされる場所だ。
街のいたるところから人が湧いて出る。窓から顔を出す人。立ち止まる人。スマホを取り出す人。テレビ。動画サイトの配信。
人の隙間を縫って前に行くと、見えるのは、ナメルと、それに対峙する5色のヒーロー。
「グリーン! 戻ってきたのか!」
「見つかったのね、腕を溶かした犯人が」
グリーンと呼ばれたアタラは、銀色の腕をカチカチと鳴らしながら、どこか嬉しそうにしていた。
「はっきり確認いたしました。あれが私の腕を溶かした、ナメルという者です」
「2人いるけどどっち?」
緑の指の先に、ナメルが立ち、その隣に俺が立っている。
グリーンは顔を背ける。
「1人は操られています。敵は、触れた物を溶かして操ることができます」
「何で来たの」
俺を見るなり、ナメルが口をとがらせる。
「助手くんはヒイロ君も倒すつもりだよ、グリーンの座を狙うなら」
「へーえ。『悪』をとっちめるショーが極間近見られるってわけかぁ。いや恐ろしや。ナメル、そんな悪いことしてた?」
「……言いますか。アタラが先に攻撃してきたんだけどね。不可抗力で、腕を溶かした。仮にもヒーローの腕溶かしちゃった悪人だし、うなじを触ればその能力をだれにでも分け与えられる、つまり悪い能力を持つ怪獣を生み出せる。追われるには十分じゃない?」
「で俺はその手下。最悪か」
ナメルが道路を殴る。コンクリートが割れる。その破片がどろおっと溶けて、変幻自在に動き出した。
「3日もあればアタラとヒイロを引き離せると思っていたんだけど。巻き込んじゃってごめんね」
ナメルの操る液体が、戦隊を襲う。戦隊は応戦する。
「操られた破片は核の部分を叩けば止まる!」
「操られた人は心臓をつけば止まるってわけだな!」
アタラが叫びながら向かい、それに応じた仲間が一を聞いて十を知る。流石の連携プレー。相対さなければならない地獄。
地面に手をついて巨木を生やす。殴り倒される。ツタでアタラの足を取る。ブチブチブチッと引きちぎられて止まらない。拳が目の前に来る。自分の頬を触って草のクッションをつくる。それでも勢いは抑えきれず10mほど飛んだ。打ち付けられた片腕が痛い。
砂塵の向こうから、緑色の影が近づいてくるのが見える。
「グリーンが失踪した日、お前はナメルを攻撃したそうじゃないか。なんでそんなことをした」
倒れたまま俺が叫ぶと、グリーンは静かに語り始めた。
「昔、同じクラスに墨汁を飲んだやつがいたんですよ。直感で敵だと思って。彼は実際にそのあとも奇行ばかり繰り返していました。
敵はいつも理解不能です。
あの日は町で、石を溶かして飲んでいたやつがいました。変身して戦ったのですが、腕がなくなる重傷を負い、敵を逃がしてしまいました。だから、私は単独で敵を探し、今度は情報を集めてから、戦隊全員で倒そうとしているわけです。ヒイロさんならお分かりいただけると思いますが」
先ほど折った巨木を片手に、グリーンは俺の前に立っていた。
「ごめん。そんなんで攻撃までしちゃうヒーローさんのことは分かんないや」
そう答えると、巨木がミシッと軋む音がする。彼の銀色の指が幹に食い込んでいた。
「グリーンの座を狙うような奴が出るのも、なくした腕も、あいつ、ナメルのせいですよ? 結局危険だったわけです。私は間違っていなかった。私は貴様を止めて、ナメルを倒さなくてはならない」
グリーンは腕を振り上げた。
咄嗟に立ち上がって、手の平を上にして、受け止めるための姿勢を取る。
巨木が振り下ろされる。指先に力が入る。幹が手に触れた、その瞬間。
どろぉ。
木に触れて、溶かす。その液体が次の瞬間、緑に染まる。
彼の足元に垂れた液は、グンと背の高い木になって、グリーンの身体を持ち上げる。
ヒーロースーツがとれて、いつものアタラが姿を現した。
「すぐ倒せると思ったのに」
アタラは歯ぎしりをして、こちらを見下ろしている。
「首をさわれ!」
ナメルが叫ぶのが聞こえた。彼は4人の戦士に囲まれて、身動きがとれなくなっていた。
俺は木を枯らす。落ちてきたアタラに手を伸ばし、そのうなじを触れる。
着地したアタラの表情は、絶望に変わった。
「大丈夫。怖がるなよ。人を操れるとかはお前の勘違いだから」
ナメルが諭す。アタラの表情は依然、固まったまま。ナメルは続ける。
「この場所に呼んだのは訳がある。その義手、取り外してごらん、腕が戻るよ」
アタラは呆然としながらも、言われた通り、ゆっくりと義手を取る。
すると、コンクリートの隙間から、緑の液体が寄ってきた。
テレビをつけると、『グリーン復活!五人そろった○○レンジャー!』の話題で持ちきりだった。
「グリーンは腕を溶かされた後、リハビリのため姿を消していた。」「腕を溶かした犯人と和解した。」「敵はグリーンの腕を戻した。」「巻き込まれた一般人一名もいた。」……といった風に報道されているようだった。
「よかったね、グリーンの座に戻れて」
俺が助手に向かって言ってやる。
「よく聞こえなかったけどよくないです、やっぱり缶は悪です」
「飲んでから言って」
眉間にシワを寄せながら、アタラは缶コーヒーの蓋をカリカリと撫で続けている。
「たすけてくださーい」
突然、事務所のドアが開いた。聞き慣れた声。ナメルだった。
驚いたアタラは缶を溶かしてしまった。俺はすかさず乾いたタオルを投げる。
「喉が渇きました~。果物生やしてください」
「うちの所長は実績欄に書けないような小さな依頼は受けつけないそうです」
「やめてよ、実績のためだけにやるのは違うなって考えなおしたんだから。目の前の困っている人を助けてこそのヒーローでしょ」
そう言いながら、俺はキッチンに生やした木の実を溶かして、3つのコップに分けて入れた。
緑を溶かす 武上 晴生 @haru_takeue
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