私野図書館

ignone

 図書館。人類の英知が詰め込まれた本を愛する人々にとってなくてはならない場所。私野図書館は決して、「わたしの図書館」ではない。とんでもない。私は数千数万の本をたった一人で持つことができるほどお金持ちというわけではない。普通の司書なのだ。


 じゃあ、なんでこんな名前なのかというと……私野図書館は望んだ人の目の前に現れる不思議な図書館なのだ。そこで生活して、司書業務に従事しているのだから私も不思議な存在であることは否定できない。自分で自分を「不思議」と形容すると、もっと不思議な気分がしてくる。


 望んだ人がいれば、その人の人生でたった一度だけ、この図書館は力を貸してくれる。


 命尽きる前に思い出の本を読みたい。誰もいない図書館で本を読んでみたい……望み方はさまざまだけれど、この図書館を訪れてくれる方にはそれなりの事情が見え隠れする。



 しかし。私から深入りするようなことは決してしません。司書の仕事は他人の悩みを解決することではありません。最高の一冊と呼べるような読書体験を来館者が体験することができるように導くのが司書の仕事なのです。


 そしてこれが一番の重要なお話です。


 私野図書館には約二万冊の本が登録、管理されていますが、時々、見たこともない表紙が顔を出してくれるのです。初版本であったり、百刷り目であったり色々ですが、紛失する本は全くといっていいほどないのですが、見たことがない本はごまんと現れるのです。


 私はこれを「妖精司書の仕業」だと思っています。妖精でもなければ、そんなことをできるような人は他にいません。来館者の多くは本を求めてこの図書館を訪れてくださるのですから、当然、本は持っていません。そして、私はここを出ることがありませんから、本を持ち込むことができません。


 私がうっかりさんだからという線も捨てきれませんが、何十冊もの本を未登録であったり、全く見たことがないというのは少し信じたくないものです。今日の点検もひと段落したところで、来館者の訪れを知らせる鈴が鳴った。



   ◇



「こんにちは、私野図書館司書の長谷川です。気軽に長谷川さんとお呼びください」



 にこにこと笑顔を浮かべる女の子が今日の来館者のようです。ランドセルを背負っているようですが、ずたぼろになっています。おさがりだからと納得できるようなものではなく、カッターやはさみなどで切ったようなあとがあります。


 体にも生傷が多いですが、いらぬ詮索は置いて、私はしっかりと女の子が話すのを待ちます。来館者がいないときは私は基本一人ですから、待つのには意外と慣れているのです。



「と、ときとうとうこです! 長谷川さん、わたし、本を見つけたいんです!」



 はきはきと喋る様子からとうこちゃんが決して無茶をしているわけではないということが分かりました。私はさらに笑みを増して、どんな本を探したいのか話を進めることにしました。


 どうやら明確にこの本! と決まっているわけではなく、弟の誕生日に本を贈りたいと考えているようです。うーん、少し困ってしまいますね。



「とうこちゃん、ここは本屋さんじゃないから、本を選んだとしても弟のとうまくんに本を上げることはできないんだ。期限が来たら本をここに返してもらわないといけないの」


「あちゃー、とうこ、ドジだからそのこと忘れてたー。でも、どっちにしろ本屋さんに行っても、本を買うようなお金はないもんなー。とうこがとうまに読み聞かせするから、それまではとうこが持っててもいい?」


「それだったらいいですよ。でも、しっかりと期日は守ってくださいね」



 どうやら小学校の図書館にはあまり兄を向けないようで、図書館のルールというものがイマイチな様子です。私は期限の存在や大切に扱うこと、本と図書館の存在意義について説明します。図書館人の私からすれば当たり前のこともとうこちゃんからすれば全く知らなかったことの話なのでしょう。


 私が話している間もとうこちゃんはずっと目をきらきらと輝かせていました。



「とうこ、ここの本、全部読んでもいいの? お金、払わなくても綺麗な本、読んでもいいの?」


「さっき言った私との約束をしっかりと守ってくれれば、自由に本を読んでもいいですよ。とうまくんの本を一緒に探したら、少し読んでいきますか?」


「あ、そっか、とうまの本さがさないと……うーん、時間大丈夫かな? お母さんに怒られちゃうよぉ」


「時間は大丈夫ですよ。この図書館には魔法がかかっていて、ここにいる間は時間が停まっているんです。とうこちゃんが図書館から出ても時間はさっきの続きなんですよ」


「すごい! 長谷川さん、は、魔法使いなのね!」



 小さい子供から魔法使いと言われるとなんだか面はゆい気持になってきます。とうこちゃんにとうまくんがどんな物語を好きなのか、教えてもらいます。



「とうまはねえ、童話? とかが好きだよ。お母さんが本を読んでいる間はとうま、静かになるの。だから、とうこが本を読んであげて、お母さんを楽にさせようって思ってね。うーん、こっちよりもこっちのほうがいいかも」



 とうこちゃんはどうやら小学三年生で家からすぐそこの小学校に通っているようです。弟のとうまくんは未就学児で保育園に通っていないため、とうこちゃんのお母さんはつきっきりで面倒を見ているようです。けれど、このとうまくんが中々の暴れん坊のようでとうこちゃんは少し大変な想いもしているそうです。


 家族のいない私には全く共感することのできない話ですが、小学三年生の女の子がそう言っているのだから大変なのでしょう。



「かっこいいお話よりも、誰かを助けてあげたり、優しくしたり、優しくされたりする話がとうまは好きなんだよー。とうこもとうまと同じ話が好きなの」


「とうこちゃんもとうまくんも優しいんですね」


「う、うふふっそうかしら?」



 褒められて嬉しそうに笑うとうこちゃんの目にはなんだか、それだけで笑っているのとは別の何かがあるようです。しかし、私の図書館司書としての信条は、来館者の悩み事に深入りしないことです。来館者に求められればそうすることもありますが、こちらからむやみやたらに近付くことはよくありません。


 司書と来館者が健全な関係を築くことができて初めて図書館はうまくまわっていくようになるのです。



「長谷川さんはどんなお話が好きなの? とうこが言ってばっかりでずるい」



 子供らしい暴論が出てきましたが、確かに司書が情報を開示しないのもよくありませんね。



「私の好きなお話ですか? とうこちゃんやとうまくんみたいに優しいお話も読みますが、いつも読むのはたくさん苦しんでたくさん大変な想いをして、最後にはお願い事が叶うようなお話が好きですよ」


「苦しむって痛いのも出てくる? げえ……とうこはそんなの読めないなぁ。とうこね、痛いのもうるさいのも、辛いのも嫌なの。だからね、長谷川さんが読んでいる本、とうこには読めないかも」



 びっくりして言葉が出てきませんでしたが、どうやらとうこちゃんは私が好きな本を読もうとしてくれていたようです。大抵の本の情報は登録するときに頭に入れているせいで、最近は純粋に読書をすることから離れていたようです。


 とうこちゃんの指摘がなければ司書でありながら、ほとんど本を読んでいない司書失格になっていたかもしれません。



「大変なことに気付かせてくれてありがとうございます」



 首をかしげているとうこちゃんに詳しい説明はしません。とうこちゃんが話してくれた内容に沿った本を一冊、書架から取り出そうとすると、同じ棚の端でひょっこりと表紙を見せている絵本があります。私野図書館七不思議の突如現れる本です。七つもないのでそう呼べるかは定かではありませんが。


 私は自分が取ろうとしていた本ではなく、突如現れたピンクの絵本を手に取りました。



「とうこちゃん、これなら誰も傷つかないし、とうまくんも喜ぶんじゃないかな」


「どんな絵本なの?」



 首をかしげたとうこちゃんに私はにこりと笑って、絵本の読み聞かせを始めました。久しぶりの子供の来館者なので、読み聞かせも久しぶりです。内心では少し緊張していましたが、とくに噛むわけでもなく、完璧に読み聞かせをすることができました。


 椅子を譲りあうその絵本を閉ざして、私はとうこちゃんに意識を向けました。絵本の読み聞かせに集中していた私はとうこちゃんが泣いているのに気づきませんでした。



「これ、いいお話だね。これにする……」



 他の本でなくてもいいのかとうこちゃんに尋ねますが、よほどその絵本が気に入ったのか頑なに離そうとしません。貸出作業ができないことを説明するととうこちゃんはしっかりとしたがってくれました。別の本の詮索もとうこちゃんは興味を失ったのかその絵本を手渡すと、目を輝かせて出口へと向かっていく。



「長谷川さん、ありがとう! きっと、とうま、喜んでくれると思う! またお礼、言いに来るね!」


「ええ、ありがとうございます。またのご来館、お待ちしております」



 この図書館に訪れることができるのは一生に一度だけ。とうこちゃんがここを去ってしまえば、二度と、ここを訪れることができなくなります。またもや一人になってしまいました。




 ◇




 ある特定の来館者にこだわっていると目の前の来館者を満足に対応することができなくなってしまいます。だからこそ、私は司書として来館者に深く踏み込むようなことはしませんでした。


 しかし、新聞の一面に書かれた見出しと名前には意識が向いてしまうのです。



『九歳女児、五歳男児 餓死』

『警察の発表によると集合住宅の一室に住んでいた時任燈子ちゃん(九歳)と弟の燈真くん(五歳)が死体で見つかっていることが――』


 この図書館を訪れることができなくなるのは、この図書館に再来館を拒むような魔法がかかっているからではないのです。この図書館を訪れ、本を借りた者を確実に『殺す』魔法がかかっているから、この図書館を訪れることができるのは一生に一度だけなのです。


 死んでしまえば図書館を訪れることはできませんから。


 私は大きな溜息をついた。

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