――曰く、「聖女」の「俺」は「命と引き換えに世界を救う」らしい。

井ノ下功

第1話 風呂上がりにプルタブを開けると異世界であった。


 風呂上がりにビールの缶をプシュっとやったらプシューと周りに白い煙が立ちのぼった。


「え? 何これナニコレ?」


 視界が完全に覆われる。

 その向こうからはしゃぐ声が。


「成功だ!」

「よっしゃあ!」

「やったぁ!!」

「伝承通り聖女様が……」

「これで世界は救わ、れ……」

「……あれ?」


 時が止まった。

 間違いなく一卵性の三つ子だと断言できる小男たちがぽかんと首を傾げている。


「男?」

「男だ……」

「間違ったんじゃない?」

「いやでも伝承では……」


 三人は額を突き合わせて、古びた本と俺の顔をくるくると見比べる。


「……濡れたように輝く漆黒の髪」


 風呂上がりだからな。比喩じゃないんだよ。


「……赤い稲妻をめぐらす黒い瞳」


 徹夜明けの眼精疲労だボケ。


「白い衣を素肌に纏い……」


 タオルは衣に入りますか? 腰に巻いといて良かったのか悪かったのか。


「片手に黄金の聖水を掲げ……」


 ビールを聖水と呼ぶか、いい趣味だな。次から俺もそう呼ぼう。


「胸に傷を持つ者、これ世界を救う聖女なり」


 ああ……これはあれ。小さい頃ブランコから落ちた時についたやつ……ってかその条件、女だったらどうやって確認する気だったんだ?


「間違いない! 聖女様だ!」

「いやでも男だから聖男様では?」

「語呂悪いな……」

「せいお……せいだん……せいなん……」

「グギャオオオオオッ!!」

「「そんなこと言ってる場合じゃなかった!!」」


 恐ろしい遠吠えを聞いて三人は跳び上がった。

 わたわたと駆け寄ってきて俺の足元にひざまずく。


「お願いします、聖女様!」

「僕たちをお救いください!」

「取り急ぎあの悪龍を!」

「えっ、いや、あの、ちょ、ちょっと待って!?」


 突然すがられても困るんだが!


「話が全っ然わっかんねぇんだけど!?」

「わっかんないんですか?」

「わっかんないならわっかんないなりにどうにかしてください!」

「わっかんないならわっかんないままでもわっかったふりしてわっかったような感じでわっかった」

「あーもーうるっせぇっ!!」


 三人はぴゃっと手で口を押さえた。

 沈黙。

 それで俺はようやく周囲を見ることができた。


 ……なんなんだこの場所?


 吹きっ晒しの、雰囲気だけは神殿っぽいけれど、どっちかというと生贄を捧げる祭壇みたいな。

 怖。

 つーか寒。たぶん標高もけっこう高い。周りは白い霧に覆われていて見通せない。


 ……この三人に聞く他なさそうだな?


 律儀に口を押さえたまま正座をして、こちらを見上げている三人のチビに、恐る恐る話しかける。


「なぁ、あのさ、ここってどこ?」

「こちらはエルシャード=ヴェルゴスティエイラ神聖連合王国」

「の飛び地にあたる北方ビオストリオ辺境伯領」

「の北にあるヒバ山脈の一部であるパルテミシア山のキャシュレード神殿です!」

「おーう、とりあえず日本じゃない、ってことはわかった」


 外国でもなさそうだけど……。


「なんで言葉が通じるんだ?」

「これは初代国王陛下が使っていらっしゃった言語です」

「初代国王陛下は聖女様と同じようにこの地へいらしたと伝わってます」

「おそらく初代国王陛下と聖女様は同郷の方だと思われます!」

「あー、なるほど……?」


 わかったようなわからないような。


「じゃあその……聖女、って?」

「神より聖なる力を授かりし女性――もとい、男性です!」

「魔王が闇より復活する時、召喚に応じてくれる聖処女――もとい、聖童貞です!」

「瘴気を打ち祓い、悪を祈り清め、我々に勝利をもたらす女神――もとい男神です!」

「よーし今“聖童貞”って言ったやつ前に出ろ、ぶん殴ってやる」


 男女変わっただけでこの印象の差よ。ジェンダーの問題は言葉がある限り解決しないんじゃなかろうか。


「「いやいやいやいや失礼致しましたえへへへへ」」


 と、ぷるぷると首を横に振った三人。

 その内の一人がふいにパッと顔を上げた。


「あっ、思いついた!」

「何が?」

「何を?」

「ヒジリオ様ってどう?!」

「「ヒジリオ様?」」

「そう! 聖の字はヒジリとも読むだろ?」

「なるほど確かに!」

「それいいね!」

「そういうわけですので、聖女様あらため聖男ヒジリオ様!」


 三人はピシッと石畳に三つ指をついて、


「「どうか世界をお救いください!」」


 と斉唱した。


 ええ……いや……世界って……重たっ……待ってまだ状況が飲み込めない……とりあえずビール飲も……。


 ビールはすっかりぬるくなっていたのに、なぜかめちゃくちゃ美味かった。たぶん唯一の心の拠り所になっているからだろう……安心するこの味……。


「ゥルグゴオオオオオオオオオオオッ!!」

「「ひゃああっ!」」


 再びの遠吠えに三人が全身で震えた。


「まずいですまずいですまずいです!」

「ヒジリオ様、どうかお願いします!」

「手始めにあの悪龍をサクッと!」

「いや、んなこと言われても……」


 俺はただの一般人だし。ゴールデンウィークをゲーム漬けにして満喫していた社会人二年目だし。あとはビールキメて寝落ちしてフィニッシュだと思ってたのに。悪龍とか言われてもちょっと何言ってっかわかんないっす。ゲームやりすぎたかな……。


「――い! おい!」


 ガシャガシャガシャ、と足音がして、霧の向こうから甲冑の男が現れた。


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