月とポテチ

せなね

 

 

 高校2年生の秋、遂に念願のカノジョが出来た。

 カノジョの名前は月島さんという。月島さんはセミロングの黒髪の小柄な女子で、いつも愛らしい笑みを浮かべている。性格は温厚で誰にでも優しく、男女ともに人気があった。

 まるで絵に描いたようなモテる女の子。

 100:0でダメだろうな、と思いつつ僕は意を決してそんな月島さんに告白したのだが、何の間違いかOKをもらってしまった。


 それが、昨日の出来事。


 「じゃあ、付き合い始めたんだから、初デートをかねて裏山に登ろうか? 明日ちょうど休みだし」

 ものすごい軽い「いいよ」という返事の後、月島さんがそう提案して来た。


 我が土井山高校には、とあるジンクスがある。


 それは、初デートで学校の裏山の頂上にある、何を祀っているのか分からない祠にお参りすると、その2人は高校を卒業するまで別れなくなる、というものだった。

 何を祀ってるのか分からない祠に迂闊にお参りするのは危ないのでは? と思うのだが、今のところ心霊的な実害が出たという報告は無い。だから多分大丈夫…なはず。

 僕らはその後二言三言交わし、じゃあまた明日と言って別れた。

 びっくりするくらいカップルになったという実感が湧かなかった。


 翌日。


 「おはよう」

 山の麓で、僕は月島さんと合流した。

 「昨日はよく寝れたかな?」

 「普通に寝れた」

 「そうなんだ。私は緊張して8時間くらいしか寝られなかったよ」

 「それ、充分じゃない?」

 「だよね。絶対寝れないって思ったんだけど、気付いたら普通に寝てた」

 月島さんはからからと笑っている。その横顔を見て、本当にこの人が僕のカノジョなのだろうかと不安になる。藪の中にカメラマンが潜んでいて、いつかドッキリ大成功の看板を持って飛び出してくるのではないか? そう疑わずにはいられなかった。

 (やっぱり、どうしても実感が湧かない…)

 本当に、何でこんな可愛い人が僕の告白なんかをOKしてくれたのだろう?

 今の状況は飛び上がるほど嬉しいはずなのに、僕の頭の中はモヤモヤとしたものが晴れなかった。


 やがて頂上についた。


 学校の裏山は地元の人間ならば遠足などで一度は登頂したことがあるらしいが、僕は中学へ入学したのと同時にこの町に越して来た人間なので、実はここに来るのは初めてだった。

 例の、何をお祀りしているのか分からない祠は、予想以上にこじんまりとしていた。

 大きさは小さめの冷蔵庫ほどしかなく、簡素な両開きの格子戸が嵌められていた。うっすら中を覗くと、大きな石のようなものが見える。どうやらこの石が御神体らしい。

 僕と月島さんは手を合わせ、祠にお参りした。

 その際、月島さんは何故かポテチと2Lのコーラをお供えした。

 「こういうのって、普通酒とか饅頭じゃないの?」

 「お酒は持ってるの見つかったら大変なことになるし、神様だってたまにはポテチ食べたいかもしれないじゃん?」

 「あー…そういうこともあるかもね」

 でも、2Lのコーラはちょっと違くないかなぁと少しだけ思った。

 まあ、こういうのは気持ちが大事というし、別にいいかなって思っていると、

 「え、何それ?」

 月島さんがポテチとコーラを手にして僕の方を見ていた。

 「これはここで食べるつもりでもってきた分だよ」

 「どんだけ持ってきたの?」

 「これと、あと2袋。コーラも2Lのがあと一本あるよ」

 通りでやけに荷物が大きいなぁと思ってた。いや、それにしても…

 「ポテチに対してコーラ多すぎじゃない?」

 「水筒の代わりも兼ねてるから。私、基本飲み物はコーラなの」

 糖尿とか大丈夫?と聞くのは、セクハラになるのだろうか? なるならないにしろ、付き合い始めたばかりの女の子に言うことではないなと思い、僕は口を閉ざした。


 祠の側には綺麗な木製の長椅子があり、僕と月島さんはそこに腰掛けた。月島さんは用意周到に紙コップと紙皿を用意しており、ポテチとコーラをそれに分けた。正直月島さんがコーラをラッパ飲みし始めたらどうしようかと思っていたので、僕は心の中でそっと安堵の息を漏らしつつ、ポテチを摘んだ。コンソメ味だ。

 「月島さんはコンソメ派なの?」

 僕がそう言うと、月島さんは「んん?」と不穏な声を上げた。

 「コンソメ派も何もポテチはコンソメだよ。常識だよね?」

 これは参った。

 僕は心の中で両手を上げる。どうやら月島さんは、コンソメ原理主義者らしい。

 

 うすしお原理主義者の僕とは、根本的に相容れない存在だ。


 「違うよ、月島さん。それは狭い世界に生きる人の考え方だ。ポテチ=うすしお、これが世界の真理だ」

 僕は、無知な者に対する大いなる寛容性を秘めた笑みで月島さんを見つめる。

 「んん? んんん?」

 と、再び月島さんは不穏な声を上げた。


 そこから、大論争が始まった。


 その勢いたるや、カップル成立2日目にしてあわや破局かと思わせる程に壮絶だったが、月島さんがふいに取り出した何かの瓶により、討論は劇的な終焉を迎えることと合いなった。

 「何その瓶?」

 ドレッシングとか入れるような細長い瓶に、謎の薄茶色の粉が並々と詰め込まれていた。

 「これはね、私がブレンドしたコンソメの粉だよ」

 月島さんは胸を張って普通ではないことを言った。

 「コンソメの粉ってブレンドして作れるものなの?」

 「作れるというか、作ったの。頑張って」

 「何のために?」

 僕がそう訊くと、月島さんはニヤリと笑い、


 「世の中には、うすしおが溢れ過ぎている」


 と、大分おかしなことを言い始めた。

 「カラオケや漫画喫茶でポテチを頼むと、出てくるのは大抵うすしお。私はそんな現状を打破するべく、この粉を生み出したんだよ。・・・ねぇ、野中くん。キミは、さっきからずっとコンソメを食べてるよね?」

 「食べてるよ。おいしいから」

 「うすしお原理主義者なのに?」

 「僕は他宗教にも寛容なの。日本人らしくね」

 「そうなんだ。でもね、私はそうじゃないんだよ」

 その先の答えを予感し、僕は口に運びかけたポテチを落とした。


 「私は食べないの。コンソメ以外、絶対に」


 月島さんの目には狂信的な光が宿っている。

 「友達とカラオケ行った時、ポテチを頼んだら私は必ず『コレ』をかけるの。友達にキモいからやめてって言われても、必ずかける。それでガチで友情に亀裂が入りかけたこともあったし、あんまりカラオケに誘われなくなったけど、それでも私はうすしおに『コレ』をかけ続ける。・・・どうしてだか分かるかな?」


 ーーー私はね、ポテチはコンソメ以外口にしない、真のコンソメ原理主義者だからだよ。


 「ごめんなさい、僕の負けです。コンソメです。ポテチと言えばコンソメ、ポテチ=コンソメです。生意気言って申し訳ありませんでした」

 僕は深々と頭を下げた。これ以上踏み込んだら、見てはいけない月島さんの深淵を覗いてしまいそうだったから。

 「分かればよろしい」

 月島さんの勝ち誇った声がする。僕はどっと吹き出た汗を拭いながら頭を上げた。

 「あ」


 それで、今更ながら陽が落ちていることに気がついた。


 討論に夢中になり過ぎたらしい。辺りはすっかり暗くなっており、空には中秋の名月が浮かんでいる。

 (そういえば、今日は十五夜だっけ)

 暗くなると危ないから月島さんを早く家に送り届けなきゃという気持ちが半分、このまましばらく月島さんとお月見をしていたいという気持ちが半分あった。

 僕はぼうっと月を眺めながら、ふと月島さんの横顔を盗み見た。

 「んん?」



 僕の横に、女の子の服を着たオオカミが座っていた。



         ※



 「・・・」

 「・・・」

 割と長い時間、両者お互いに無言だった。

 「・・・あちゃー」

 口火を切ったのは月島さん(?)だった。長い爪の生えた手で両眼を覆い隠し、がっくりと項垂れる。

 「しまったー、今日が満月なの忘れてたー」

 はぁぁ、と深いため息を吐く。声は紛れもなく月島さん本人だった。そして、割と大変な状況であるにも関わらず、声は落ち着いていてマイペースだった。

 「・・・えっと、月島さんだよね?」

 「そだよ」

 「どう見てもオオカミなんだけど?」

 「そりゃあ私はオオカミ女だからね。満月を見たらこんな風に変身しちゃうの」

 「へぇー、そうなんだ」

 「そうなの」

 大変だね、と言うのは違うだろうか?

 「参ったなぁ、今まで何とか正体バレずにやってこれたのに、ついにやらかしちゃったよぉ」

 「月島さんがオオカミ女なのって、誰も知らないの?」

 「知ってるのは私の親と、あとは一族だけだね」

 「これはちょっとした興味で聞くんだけど、僕みたいな一般人が正体知ってしまったらどうなるの?」

 「闇の力で消されちゃうね」

 「消されるのかぁ」

 「なんか軽くない?」

 「嘘だろうなって、分かってるから」

 「・・・まあ、そりゃバレるよね。自分で言っといて、闇の力って何だよって思った」

 はぁぁ、と月島さんは再びため息を吐いた。

 「あーあ、平凡な人生を送りたかったなぁ。でも、これから私は突撃系配信者やNASAに追いかけ回される生活を送ることになっちゃうんだろうなぁ…やだなぁ…」

 「突撃系配信者はともかく、NASAには追われないんじゃないかなぁ。それにそもそもの話、僕は今日のことは誰にも言わないよ」

 「・・・本当に?」

 「本当」

 「コンソメポテチに誓って?」

 「そんなものじゃなくて、何に誓ってでも言わないよ」

 「そんなもの?」

 「ごめん。コンソメポテチ様にだね。誓って、今日のことは言わない」

 「・・・」

 月島さんは、僕の顔をじっと見つめている。

 何と言うか、オオカミの顔なのに全然迫力がない。中身が月島さんだと分かっているせいなのか、何だかぬいぐるみに見つめられているみたいで、ちょっと笑いそうになってしまう。

 「きゅう」

 「何今の声?」

 「ごめん、喉鳴り。オオカミ状態になると勝手に出ちゃうの」

 「オオカミ女って、きゅうって声出すんだ」

 「ううん、これは私だけ。他の人はちゃんとグルグルって音するんだけど、私だけきゅうってなるの」

 「月島さんだけかぁ」

 何というか、らしい。

 「それじゃあ、このことについては野中くんを信じるとして…もう一つの方、どうする?」

 「もう一つの方って何さ?」


 「私たちのこれから」


 「・・・」

 僕は少しだけ頭を整理し、

 「え、それってもしかして、別れようかって話?」

 月島さんはこくりと頷いた。

 「・・・野中くんも、イヤでしょ? 私、こんなんだから」

 「全然」

 きゅう、と謎の鳴き声がした。

 「返答早くない?」

 「・・・いや、早いも何も、本当に何とも思ってないからなぁ。見かけはどうあれ、月島さんは月島さんだし。かわいい人だって分かってるから」

 「・・・」

 僕がそう言うと、月島さんは急に鞄の中をゴソゴソし始め、中から大きめのパーカーを取り出した。フードを被ると、うまい具合にオオカミの顔が見えなくなった。ちょっとだけ鼻が出ているけど。

 「・・・これ、緊急用のパーカーなの。顔、隠れるもの持っててよかった」

 「え、今更隠すの? 必要ある?」

 「あるの。今は」

 そう言った月島さんは、何故か少し怒っているようだった。



 それからしばらくして、僕らは帰路に着いた。

 道中、月島さんはずっと無言だった。何か良くないことを言ってしまったのだろうかと思い聞いてみると、

 「そんなんじゃない…むしろ、逆」

 と、ますますよく分からないことを言われた。

 僕はうーんと心の中で首を捻ることしか出来なかった。

 「・・・あ、そうだ」

 山の麓に着いた時、僕はどうしても気になっていたことを月島さんに尋ねた。


 「月島さんは、何で僕と付き合ってくれたの?」


 月島さんはぴたりと歩みを止め、「あー…」と少し唸った後、

 「野中くんって、変わった日焼けしてるよね?」

 「え? ああ、何か全然黒くならないなって、よく言われる。別にクリームとか塗ってる訳じゃないんだけど、僕は昔から日焼けが薄いんだ」

 「それ」

 「え?」


 「野中くんの肌の色、コンソメポテチみたいで可愛いなってずっと思ってたから」


 「・・・」

 僕は、あんぐりと口を開けた。

 うそやん、そんな理由なの? 僕は、何か言葉で表現しようのない疲労感のようなものを覚え、ガックリと肩を落とした。が、


 「でも、今は普通に好きかな。私、野中くんのこと、好きだよ」


 月島さんは、背を向けたまま、そう言った。

 「・・・」

 僕は情けないことに、何一つ言うことが出来なかった。

 空には、巨大な中秋の名月が太陽のように爛々と輝いている。

 僕はカノジョを、好きな人の小さな背中を見つめながら、次に言うべき言葉を必死になって探していた。


   

                  <了>


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