第26話
「……!」
「目覚めた!」
「OK.どっからでも来なさい!」
ハッと目が覚めて飛び起きる。痛む身体を無理に起こして、薄暗い地下牢の中で坂口とアルが身構えていた。凛之助は一瞬何をしているのかと思ったが、すぐに自分の中の闇に負けていたらと考えてぞっとしない気持ちになった。
「そう身構えなくとも、大丈夫です」
『うむ! もう凛之助は心配ないのじゃ!』
戌子も出てきて太鼓判を押す。それでやっと坂口とアルはひと心地ついて安心した息を吐いた。
「あぁ、よかった……ったく、ひやひやしたぜ」
「すみません、ご心配をおかけしました」
申し訳なく頭を下げると、坂口が少し奇妙な顔をする。アルも片眉を上げてちょっと不思議そうな顔をした。
「貴方、なんか雰囲気変わった?」
「雰囲気、ですか」
「なんていうか、こう……柔らかくなった気がするわ」
『ふっふっふ! ひと皮剥けた、というやつじゃな!』
アルの言葉に坂口も頷く。云われるほど雰囲気が変わったのか、凛之助は自身の両手を見て首をかしげるばかりであった。
「っと。話してる場合じゃなかったわね」
穏やかな空気が流れたと思ったのも束の間、上階から爆発音が響いた。忘れていたがここは敵の本拠地、入口が爆破で崩れたとはいえ突破されるのは時間の問題であった。
攫われた幸子のこともある、そろそろ脱出しなければならない。
「傷の具合はどうだ」
「大丈夫です。まだ身体が痛みますが、問題ありません」
立ち上がってふたりの前に出る。ここまではふたりが頑張ってくれたのだ、ここからは自分が頑張らねば意味がない。牙無き人々の明日のために、凛之助は幸子からもらった御守りを握って牢を出た。
「戌子、頼む」
「うむ!」
式神符を出して戌子を召喚、階段を雪崩の如く降りてくる怪異たちの前に立つ。武器は奪われてひとつも持っていないが、今の凛之助と戌子ならばこの程度は造作もない。
「帝都守護任、なぜ立っている!?」
「足の腱を断ったはず……その忌々しい瞳も、抉り出したはずだ!」
「悪に屈せず、己が高きに順うべし。悪鬼外道、埒なき者に、俺は屈しない」
驚愕に思わず立ち止まった怪異たちを、赤い燐光を纏った瑠璃色の双眸が睨む。戌子が回収して来た鞘から引き抜いた祀狼丸を構えて狙いを定める。凛之助の意志に応えて祀狼丸が、折れた刃を輝かせた。
直後、凛之助と戌子は疾風となって怪異の群れを切り裂いた。
「伏魔滅殺」
「御粗末! なのじゃ!」
一撃であった。一撃ですべてが葬り去られた。詰めかけた怪異のほとんどが消し飛び、生き残った者も腸がまろび出るほどの致命傷を負っていた。
「Who! やるじゃない!」
「こいつぁすげえや……」
後ろでふたりが歓声を上げる。さすがに眠っていた力を解放しただけに火力が違う。これならば脱出も容易いだろう。
「後続が来ます。道を開くのでお早くお願いします」
「殿は任せい! ふっふっふ、今宵のわしは血に飢えておるのじゃ!」
「ああ、頼りにしてるぜ」
「Escortよろしく」
血まみれの階段を駆け上がり、地上へと躍り出る。地上には多くの怪異が蔓延っていたが、今の凛之助と戌子が、一閃、刃を振るうだけですべてが消し飛んだ。ビルヂングをまるごとひとつ切り裂き、傾かせたほどだ。さすがに小國ひとつを滅ぼす力があると云われていただけはある。
「なっ!?」
ビルヂングの外へ出るなり、全員が空を見て絶句した。
分厚い雲が割れて、眩い光芒が降り注いでいる。あの血のように赤く見える悍ましく呪わしい光の中から、邪悪な存在が降臨しようとしている。何が起こっているのかはわからないが、あの中心に幸子がいるのは間違いなさそうだった。
「飛行船の上!? ど、どうしたらいいのじゃ……」
「近くの倉庫に私が使った飛行機が隠してあるわ。羽の付いたカヌーみたいなオンボロだけど」
「いつ運び入れたんだよ? そんな報告どこにもなかったぞ」
「ま、ちょっとしたトリックよ」
「急ぎましょう。今は時間が惜しいですから」
全員が顔を見合わせて頷きあうと、目的地に向かって駆け出した。
そして、今。
「フン、死にぞこないの貴方にいまさら何ができますか」
狩ヶ瀬の号令に従って宇宙神秘教の教徒たちが、バッヂの力で怪異に変貌する。誰もが負けるとは思っていない。多勢に無勢だ、帝都守護任とはいえ手負いの子供相手にこの軍勢で負けるはずがないと高をくくっていた。狩ヶ瀬ですら慢心して勝ち誇った笑みを浮かべていた。
それが仇となった。
「取るに足らず」
誰もが風が吹いたと感じた瞬間、凛之助と戌子はすでに祭壇に寝かされていた幸子を抱きかかえていた。そして次の瞬間には、立ち並んでいた怪異たちが全身を切り裂かれて肉片と化していた。
「……は?」
狩ヶ瀬が頓狂な声を発する。想定外の状況に脳が付いて行かず、茫然と瞬きを繰り返すしかできない。状況は一瞬にして、凛之助のほうへ傾いていた。
「遅くなりました、幸子さん」
「凛之助さん! ああ、助けに来てくれたんですね……!」
手足を拘束する鎖を光の刃で破壊して手足を自由にすると、幸子はすぐ凛之助に抱き着いた。もう言葉はいらない。身体が指先から熱を取り戻して、お互いの存在を確かに感じさせる。触れ合った瞬間から心は通じ合っていた、これ以上に何を語ろうものか。
「決着をつけてきます。祭壇の後ろに隠れていてください」
「はい。お気をつけて」
「わしらに任せておけば良いのじゃ、幸子」
身体を下ろしてボロボロの外套を幸子に羽織らせると、凛之助と戌子は怒りを湛えて静かに立ち上がった。状況からして狩ヶ瀬が黒幕であることは疑いようもない。ならば行うべきはただひとつである。
「狩ヶ瀬。帝都守護任陰陽師赤城凛之助の名において、お前を滅する」
「お前はわしらを怒らせた……覚悟するが良いのじゃ!」
ここに至っては慈悲もなし。光刃の切っ先を向けて云い放ち、凛之助と戌子は意趣返しの如く狩ヶ瀬に宣戦布告した。
「……よくも、たった一瞬ですべてを壊されたものです。しかし計画に支障はない、星辰はすでに揃っている」
茫然から立ち直るなりくつくつと笑った狩ヶ瀬は、懐からバッヂを取り出すと握り潰して自身もまた怪異に変貌する。だが、それはただの変貌ではなかった。
「あとは貴方を殺せば問題はすべて解決するのですから!」
赤黒い霊力を纏った狩ヶ瀬は飛行船から飛び降りると、地上の鉄パイプや路面汽車の残骸などの大量の金属をその身に集め、ビルヂングと同じかそれ以上に巨大な機械の塊に変貌させた。胸に灯る巨大な蒸気機関の炎が心臓のように脈打ち、瞳には邪悪な霊力が赤々と宿っている。額には時計を模したと思われる三本の針が狂ったように回転し続けている。
その巨人の名は、チクタクマン。
行き過ぎた蒸気機関技術を依り代にして、人類に終焉を告げる。機械の巨人である。
『こちらは生贄を殺し、銀の鍵を握ればそれでいい。だがそちらはその女を守りながら戦わねばならない。クク、遠慮する必要はないわけです。存分に嬲り殺してあげますよ』
「まずはその驕りを断つ」
「小物じゃな、巨大化と大言壮語は負けの兆候じゃ!」
怪異チクタクマンとなった狩ヶ瀬が見下した物云いをして、幸子もろとも凛之助を殺してしまおうとビルヂングの屋上を巨腕で薙ぐ。もちろんそんな大振りな一撃が当たるはずもない。凛之助は戌子と共に迎撃に出た。
「戌子!」
「任せい!」
一発は強力だが、動き自体は巨体ゆえに鈍重だ。攻撃をする隙ならばいくらでもあれば、結界を張る余裕すらあった。
「出し惜しみはしない。陰流・火華鋼害(ひかこうがい)浄剋界!」
呪符を一枚取り出して結界を作り、巨腕を防ぐ。火は金属を溶かして力を弱める、すなわち火剋金の法則によって鋼鉄で構成された腕は火の属性の結界と相殺された。
『今更抗おうと無駄なこと! 間違った歴史は今ここで正される……蒸気機関などという文明は、この星のためにも破壊しなければならないのですよ!』
「よくも偉そうにものを言うものじゃ!」
「人々の安寧を脅かしておきながら、神様気取りとは度し難い!」
間髪いれずに二枚の呪符を取り出して自身と戌子に火の属性を纏い、火の勢いを強めて自身にも火剋金の状態を作り出す。祀狼丸から伸びた光刃が赫焔を纏って煌々と輝きを増した。こうなればもはや狩ヶ瀬の身体を切り刻むのに苦戦することはない。
「祀霊忠技殺法──狼牙絶焔刃!」
凛之助が空中に飛び出した瞬間、無数の赫い剣線が空を奔り両腕をばらばらに溶断する。
まずは一つ。
『このようなものがあるから水が濁り、天は覆われ、空気は穢れた! 我が父もこの煤と排煙のせいで肺を病んで死んだ! もはや救いようもないこの薄汚れた世界は、一からやり直さなければならないのです!』
「だが、それと今お前が行っている蛮行とは関係がない!」
胸の蒸気機関を使って腕を再生しようとしているところに、再び五行の術を使った追撃がはいる。
「その思想を理由に、世界を滅ぼして良い理由にはならぬ!」
「陽流・翆天漰祓浄生陣! 祀霊忠技殺法──狼牙殲氷斬!」
銀氷の輝きを纏った祀狼丸が胸の蒸気機関を切り裂いた。水によって火の勢いが弱まる、水剋火により火力が小さくなっていく。
これで二つめだ。
「悲しみはわからなくもない……しかし!」
「それは未来を見ず、過去に囚われたおぬしの妄執じゃ!」
「陽流・風環蕾導(ふわらいどう)浄生陣! 祀霊忠技殺法──狼牙槌衝撃!」
狩ヶ瀬の眼前にまで駆け上がり、木の属性を纏う。逆手に構えた祀狼丸の碧い輝きが、強烈な殴打と鎌鼬が、顔面を引き裂いて額の針を打ち壊す。
木の属性は五行九星において三碧・四緑、すなわち成長を司るものとしての役割を持つ。正しく進まぬ時の針は正さねばならないゆえに、木の属性がもっとも力を発揮する。
三つである。
『何が! 己の欲のために神秘を喰い尽くし、星を滅ぼすを滅ぼす人類の、何が違う!』
「幸子さんに同じことをしたお前が、機械が言うことか!」
『私にそれをさせるだけの業と罪を重ね、責任をこの星に押し付けてきたのは誰だ!?』
「そういうおぬしが一番責任転嫁しとるわ、このたわけぇ!」
「陽流・応鋼活覇浄生陣! 祀霊忠技殺法──狼牙穿鋼破!」
狩ヶ瀬の顔面を足場にして天高く飛び上がり、白耀を纏った祀狼丸の切っ先が全身に驟雨の如く降り注ぐ。先の一撃で胸の蒸気機関の火が弱まったところに放たれた金の属性の攻撃は火虚金侮、火の属性が弱すぎて金が火を侮る状態になる。全身を覆う鋼鉄の力が胸の蒸気機関の火をさらに弱めて完全に停止させる。
これで四つ。
『だから私が、やり直そうというのだろうが!』
「だからこうも世に混乱をもたらすか、とんだ道化じゃな! お前がするべきだったのは、そうやって今を悲観して過去を消し去り、世界をやり直すことではない……今何をできるか考えて、未来を変えるために行動することじゃ!」
「何だって同じだ。過去ばかりを見て、後悔してばかりじゃ進まない。前を見て、勇気をもって未来に進むことが大事なんだ。おれたちはそれを学んだ! 坂口所長に、新宿の人たち、そして幸子さんから!」
『きれいごとを! それすらできないからこうするしかなかった私の絶望がわかるか!?』
「わからないな。大義のためと嘯いて人を不幸にする、外道の戯言など」
「さあ覚悟せい! これでお前を倒すための、詰みの一手じゃ!」
甲板に着地すると同時に放たれた黄金の斬撃が、停止した胸の蒸気機関に横一線に刻まれた。
「陽流・醒金霊殻覆浄生陣! 祀霊忠技殺法──狼牙地爆断!」
土の属性は五方においては中央、五時においては土用を司り、物事の変化を促すもの。これまでに四行の属性、水金火木を受けて弱り切った狩ヶ瀬の身体が土の属性を受けて変化し、怪異としての形を保てなくなっていく。
五行が揃った。完全なる調和が発生した今、五行結界術に伝わりし奥義が炸裂する!
『こ、れは……!?』
「決めるぞ、戌子!」
「これで最後じゃ!」
左手から五枚の呪符が人に戻った狩ヶ瀬の周囲に展開する。五行を司る光を宿した呪符が柱となり、輪廻を現すように回転を始めた。五色の輝きはやがて混ざりあい、一つの巨大な結界として完全なる双角錐を作り出す。
囚われた者に絶対なる死の運命を算出するこの術は、その名を。
「滅門・五行封焉陣(めつもん・ごぎょうふうえんじん)──」
『ぐ、あ……わ、我らが混沌に栄光あれ……!』
凛之助が左手を握ると同時に、ガラスひび割れるような音を放って結界が収縮して、そして最後には。
「終わりだ!」
「消えて、なくなれぇい!」
砕け散る。内部に囚われていた狩ヶ瀬は言葉すら発することなく、その姿は完全に消滅してなくなった。
完全なる調和が崩れる瞬間、それは物事が終わりと始まりを意味する。すなわち五行封焉陣とは、作り出した五行の調和を意図的に崩すことで、強制的に相手の命を終わらせる結界を作り出し、完全に消し去ってしまう必殺の結界術なのである。
「……狩々瀬」
幸子がぽつりと呟く。
砕けた結界が七色の光になって舞い散る光景は、遍く運命の終わりと始まりを体現する。落ちては消える煌めきが、幸子の瞳にはただ儚く映った。
「お待たせしました、幸子さん」
淡雪の如くに降り注ぐ光の中、祀狼丸を鞘に収めて凛之助が幸子に歩み寄る。いつもの無表情。しかし心なしか、どこか嬉しそうにも見えた。
「凛之助さん! 私、私……!」
ひしと抱き着いた幸子は、力いっぱいに彼を抱きしめると、咳を切ったように涙を堪えて叫んだ。
「造られた存在だと云われました……私の人生は、このためにすべて作られたのだと! 私の決意は、なんだのでしょう……言葉家に相応しくあろうという決意は、貴方のように気高くありたいという想いは、いったい……」
「幸子さん」
悲しみと、恐怖と、悔しさに身を震わせる幸子の告白に、凛之助は彼女をそっと抱き返して云った。
「俺は、ずっと失うのが怖かった。命あるものはいつか死ぬ。誰かと繋がってしまえば、その瞬間に、命が失われる感触を思い出してしまうから」
「……失われる、感覚」
「でも貴女は、俺と同じようで違った。貴女は繋がることは恐れていなかった。だからこそ、貴女のようになりたい。貴女のように自分の信念を貫ける気高い人になりたいと、そう思ったのです。その気持ちは今も変わっていません。たとえどんな存在であろうと、貴女は貴女で、俺の憧れた人です」
ああ、と幸子は安心して息を吐いた。
ずっと孤独を恐れ、自分を取り繕っていた。誘拐されたあの日の恐怖は幸子の心に深い傷を負わせた。期待を裏切ったり、弱みを見せたりして失望されてしまえば、見捨てられてまた孤独になる。あの暗闇の中に戻ってしまう。訳もなく不安になり、常に恐怖を抱えながら彼女は今日まで生きていた。
けれどそれが、否定された。造られた存在だから彼の期待を裏切ってしまったのかと思って怖かった気持ちが、他ならん彼の言葉によって否定されたのだ。
愛しい気持ちでいっぱいになる。どうしてこの人は、こんなにも欲しかった言葉を簡単にくれるのだろう。どうしてこんなにも自分のことをわかってくれるのだろう。と、まるで心の底から通じ合っているみたいな心地の良い感覚に包まれる。
「ありがとう、凛之助さん」
幸子は安らかに瞳を閉じた。似ているけれど、どこかが違う。お互いがそれを理解していたからこその交感だった。
「こらぁ! いつまでくっついておるんじゃおぬしら! いくらなんでもちと度が過ぎるのじゃ!」
ふたりがお互いの存在を確かめるように抱き合っていると、可愛らしく頬を膨らませた戌子が水を差してきた。せっかくの良い雰囲気だったのだが、これ以上はちょっと許容できなくなったらしい。
「……? 戌子にもいつもしてることじゃないか」
「ちーがーうー! それとこれとは違うんじゃ~!」
「……ふふっ」
空中でばたばたと駄々をこねる戌子と不思議そうな顔をする凛之助に、幸子は思わず笑みを浮かべてしまう。
そんな二人が愛おしくって、幸子はそっと凛之助に口付けをした。
「なにを……」
「あー!? ななななななにをしとるんじゃあ!?」
「お礼です。私を助けてくれた、心からの……」
「……幸子さん」
「こら~! わしをおいて良い雰囲気になるな~!」
「戌子さんにも」
「え、わしも!? や~ん! 幸子ってばダイタンなのじゃ~!」
「誤魔化される……」
ふたりに口付けをした幸子は、最後に羽織っていた外套を凛之助に差し出して、嬉しさと恥ずかしさで赤らんだ顔で笑みを浮かべた。
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