第19話
聞き覚えのある女性の声、霧の向こうから響く流暢な英語。間違いない、あの外国人の女だ。
凛之助は祀狼丸を抜いて防御の型である霞の構えを取り、声を張り上げた。
「そこの女、何者だ! 応答次第では斬るぞ!」
対する女性は、霧の中から姿を現すとやれやれと肩を竦めて言葉を返した。
「そっちこそ、この件にはかかわるなって云ったでしょう? 悪い子ね」
「自分は帝都守護を担う陰陽師、帝都の平和を乱す輩を放っておくことはできない!」
「そうじゃそうじゃ! そのように勝手な云い分が通るものか、横暴じゃぞ!」
「とっても立派な志だこと。でも、世の中には知らなくても良いことだってある。もちろん、首を突っ込んではいけないことも……ね」
そう云って、女性が右腕を振り上げた。
青いマントの下から現れたるそれは、鋼鉄の輝きと白煙を放つ巨腕、ブリキと真鍮で作られた機関義手である。
「Get up, Agathram」
女性の宣言を合図にして、莫大な熱量を宿した蒼い焔が右腕の関節各所から一挙に吹き出る。内蔵された蒸気機関が彼女の霊力を燃料にして稼働を始めたのだ。
「子供を痛めつけるのは趣味じゃないけど、悪い子には、オシオキしなきゃ……ね?」
「なんという霊力じゃ!? 凛之助、こりゃ気を引き締めぬとまずいのじゃ!」
「ああ、わかってるよ戌子。……やるぞ!」
「おうなのじゃ!」
「Let start the party!」
かくして、ついに戦いの火蓋が落とされた。
「The vortex of the recoiling flames is in my hand」
最初に仕掛けたのは女性であった。
右手を銃の形にして突き出すと、吹き出た蒼焔を人指し指の先に集め、幼子の手のひらに収まってしまうくらいに小さな火球にまで圧縮する。それは西洋魔術における”初級”魔術ファイアボールだ。
「Come on,fire!」
初級とはいえ威力は使う者に左右される。彼女の実力は半端ではない。頼りない見た目に反して秘められた熱量は尋常ではなく、離れた位置にいる凛之助が頬を焦がすような熱さを感じたほどだ。
(初手からこれか、大盤振る舞いだな!)
即座に死を直感した凛之助は、懐から水の属性の呪符を取り出して駆け出す。
「Kiss this♪」
かわいらしいウィンクを銃爪にして火球が放たれる。無反動で射出された火球は銃弾の如く超高速で宙を走り、真っ青な尾を引いて凛之助へと迫る。
「陰流・禁火一漲浄剋界(きんかいっちょうそうこくかい)!」
呪符を二枚使った強力な結界術が発動し、水の属性を持つ白銅色の壁と火球が激突する。五行における水剋火の法則に従い、結界は火球を受け止め鎮火しようとするが、しかし。
轟ッ!
派手に地面が抉れ飛び、霧が吹き飛ぶ。あたり一帯に茶色い土煙が立ち込め、視界を遮り曇らせる。反発するふたつの属性がぶつかり合った際に生じた莫大なエネルギーが、行き場を失った末に混ざりあって巨大な爆発を起こしたのだ。
「Shall we dance?」
「──ッ!」
一拍の間を置いて、爆発を足場にして飛び上がった凛之助が大上段から振り下ろした刃と、楽しそうに笑う女性の巨腕がぶつかり合い火花を散らす。続けざまに暗闇に瞬いたその茜色は、一度ならず二度三度と場所を変えていく。
「せぇいっ!」
「そこじゃっ!」
人外の速度で振るわれる刃と爪牙が空を割り、茶色の薄霧を払っては交錯する。
速さと数で勝る凛之助と戌子の猛攻が女性を襲う。密なる連携は、ともすれば一瞬のうちに女性の身体を貫くとさえ思われた。だがその肢体を、刃が、爪牙が、貫くことはない。
「見えてるわよ、わんこちゃん?」
巨大な右腕の重量を感じさせない軽やかな足取りで、女性はふたりの攻撃をことごとく避けてしまう。必殺の間合いの中にあってなお余裕を崩さない彼女の実力は、まさに恐るべき手腕と云うべきか。
「陽流・翆天──」
戌子が攻撃した一瞬を縫って、凛之助が陰陽術を発動しようと霊力を練る。水の属性を自身に纏わせるはずだった。
「Excuse me!」
「くっ!」
「凛之助!?」
しかし女性が大胆にも足を振り上げ、鞭のようなしなやかさで凛之助の腕を打ち据えてそれを遮る。間一髪で身を逸らして躱すが、ブーツの爪先から飛び出してきた仕込み刃に呪符を切り裂かれてしまった。
「知ってるわよ? アンタたちオンミョウジってのは、その紙がなければ魔術を使えないって。そう易々と使わせるもんですか」
「よく勉強している……だが!」
「それはお互い様……ってね!」
自身の術が妨害された一方で、凛之助もまた彼女の術を防いでいた。
女性が魔術を使用する際には、右腕に霊力と焔が集束する。凛之助はこのタイミングを狙い、あえて退魔刀である祀狼丸で右腕に攻撃を加えることで、集まった霊力を斬り祓い彼女が魔術を発動できないようにしていた。義手が魔術を発動するための、陰陽師で云うところの呪符と同じ”触媒”として機能しているからだ。
戦いは一進一退だった。どちらも一歩も引かず、しかして必殺の一撃を打ち込む瞬間を探して、間合いを探る奇妙な戦いをしている。凛之助が刃を振るえば女性の剛腕が唸り、戌子が爪を立てれば女性が軽やかにそれを躱す。両者の技量はまったく拮抗して泥沼の膠着状態にあった。傍から見ればまるで、三人で踊っているかのようであった。
「Naw,I’m a little motivated!」
女性の言葉とともに、唐突に均衡が崩れた。
ヴォン、と右腕の蒸気機関が焔を吐き出して速度を上げる。無理やりな加速だったのは凛之助からも見て取れた。だがそれゆえに、凛之助の反応がわずか遅れた。
「Ha-ha!」
「……ッ!?」
「おぬし、祀狼丸を!?」
甲高い音とともに何か風を切り裂いて地面に突き刺さり、一瞬だけ遅れて耳鳴りめいた金属音が響き渡る。魔術の予兆を感じ取った凛之助に対する、勝負を決めるためのカウンター。放たれしその一手は狙い通り、祀狼丸を凛之助の手から弾き飛ばした。
一瞬の沈黙。凛之助が一歩を引く。
「What do you want to do? you expect a will be comforted by mam──」
武器を失った凛之助を、女性が格好つけて挑発しようと腰を折り曲げた。
直後。
「ぶふぇへっ!?」
拳。
そう、拳だ。
容赦のない強烈な拳撃が、彼女の顔面に突き刺さった。めきゃっ、といかにも痛々しい音が響き、女性の鼻が折れて鼻血が噴き出す。予想外の一撃に女性は思わず顔を押さえ、たたらを踏んで後退る。
「Oh shit! Oh shit! A・a・are you insane enough to punch a woman in the face!?」
戦いに男も女もないとはよく云われるが、それにしたって限度がある。まさか女の顔を遠慮なく、しかも渾身の力を込めた握り拳で真正面からぶん殴ってくるなんて、いったい誰が想像できるのか。
「隙ができたな!」
「今じゃあ!」
体勢を崩した女性に、凛之助と戌子がここぞとばかりに猛攻を仕掛ける。刀や呪符がなくとも腕がある、足がある、頭がある。陰陽師が武器や術ばかりに頼っている、なんて印象は間違いだ。徒手空拳とて後れを取るはずがない。
「や、やってくれるじゃないの! この……ちょ、うわっ!? wait,waite,waite!」
上下左右から降り注ぐ二人の殴打と爪牙に、女性はさっきまでとは一転して言葉に精彩を欠いている。よもやの一発で不意を突かれ、得意の動きをことごとく封じられていた。
ここに至って形勢は完全に逆転し、凛之助と戌子の側に傾いていた。
「そこじゃ!」
「禍羅去出(からさで)・螺旋蹴り!」
幾重もの殴打と蹴りの連携のうち、戌子の顔面を狙った手刀を囮にして技が放たれる。凛之助の霊力によって強化された後ろ廻し蹴りが、見事に女性の下腹部へはいった。
禍羅去出とは四肢を霊力で強化して放つ徒手空拳。その威力はすさまじく、躱す間もなく強かに急所を蹴り抜かれた女性は、淑女にあるまじき声を発しながら遥か後方の石垣へ吹っ飛んでいった。
「へへーん! どうじゃ、ざまあみろなのじゃ! ばーか、ばーか!」
派手な音を立てて砕け散った石垣から、濛々と土煙が立ち上る。女性の気配は感じられない。おそらくは気絶しているのだろう。凛之助からして、完全にはいった手応えだった。膀胱破裂に恥骨骨折。運が悪ければ衝撃が股関節にまで達して、歩行能力を完膚なきまでに破壊しているかもしれない。どうあれ少なくとも一年以上は寝台の上で生活することになるのは確実だ。
(よもや卑怯とは云うまい)
心中で云い訳めいて独り言ちながら、地面に突き刺さった祀狼丸へ近づく。怪異でもない女性を相手に、手や足を出すのは心が痛む。だが、もとより向こうが先に仕掛けてきたのだから是非もない。恨むならば己の愚かさを恨んでほしいものだ。そんなことを思いながら、凛之助はべっかんこうをする戌子を窘めた。
その時だ。
「You,did it……」
爆発が起こり突風が奔る。石礫が飛散して地を抉る。
「どひゃあ!?」
汚泥が混じった茶色い霧の中、紺碧の双眸が夜光燈のように淡く揺らめき、蒼焔が煌々と輝き暗闇の世界を照らし出す。鋼鉄の右手が、視界を遮る霧を払う。
「……まさか!」
そう、そのまさかだ。
「I'll tell what happens if offend me」
血と埃に塗れた女性が、悠然とそこに立っていた。
その表情が表すところは、無。怒りも、殺意も感じさせない。ただただ、完璧に”ブチ切れた”と云っても過言ではない顔だった。
「私に一撃を加えたこと、褒めてあげるわ。でも遊びはここまで。ここからは本気で、アンタを殺しに行く」
折れた鼻骨を戻して溜まった血を吐き出したアルは、右腕を高く掲げるとアクセルペダルを踏んで機関を吹かすみたいに、右手を握り締めて蒼焔を各部から勢いよく噴出させる。
「Agartram, maximum operating」
発せられる熱量はファイアボールの比ではなく、右腕の表面が白熱化し、足元の地面が融解してしまうほど。術の発動を止めるどころか、そもそも近づくことすらできない。まさに必殺の一撃を予感させた。
「もし、この魔術を受けてもなお生きていられたのなら……その時は、アンタを優しく抱いてあげる」
逆巻く蒼焔に包まれながら、艶やかに嘯く。
その姿、まさに焔の精霊の如く。
「I' who stands with bathed heavenly light,s command power a Become guardian of justice by Dagda is borrowing」
詠唱が始まる。あらゆるものを燃やし尽くし、灰燼へ還す無慈悲なる刃。接待なる死の権限。西洋魔術においては火の属性の極致たる大魔法。
その名を”ダーインスレイヴ”。
「Come forth, divine flames」
戌子は我知らず唾を飲み込んだ。凛之助は祀狼丸を地面から抜き取り、水の属性の呪符を取り出した。
「Cower depths despair consum.you see gates in hell」
「陽流・翆天漰祓(すいてんほうふつ)浄生陣……いくぞ、戌子!」
「よぉし、任せい!」
「them by god's Indignation of judgment.my flame is destruction rive your soul.expire to full perishment!」
「往くぞ!」
「祀霊忠技殺法──」
「This time is over──]
女性が掲げた右腕のうちに、破滅の蒼焔の剣を作り出す。
凛之助が祀狼丸を大上段に構え、絶対零度を刃に纏う。
いざ、決着の時。
「──DAINSLEIF!」
「──狼牙殲氷斬(ろうがせんひょうざん)!」
駆け出したふたつの影が、ゆっくりと交わった。
蒼焔と銀氷の激突が、世界を白く染め上げていく。放たれた輝きは一本の柱となって天を衝き、大穴を空けるように分厚く垂れこめた暗雲を穿つ。数瞬遅れて強烈な衝撃波が地を奔り、屋敷を半壊させ木々を根元から吹き飛ばす。
一瞬にも思えた。永遠にも思えた。ひどく眩い光が収まった時、土と埃に塗れてボロボロになったふたりの姿がそこにはあった。
「You’ve done it……」
女性は、右腕を肘から奇麗に斬り落とされていた。強力無比であった鋼鉄の義手は無残にも地面に転がり、袈裟懸けに切り裂かれた身体が痛みに喘いでいる。それでも立っているのは、ほとんど意地に近い感情がゆえだった。
「ぐ、ぅっ……!」
「凛之助!? 大丈夫か、凛之助!?」
「大丈夫だ……なんとか、な……」
一方で、凛之助も無傷では済まなかった。愛刀である祀狼丸は半ばほどで折れ飛び、地面に突き刺さっている。身体は腹を大きく焼き切られて肉の焦げた臭いがする。立ってはいるが、膝は震えて今にも崩れ落ちそうになっていた。
「なかなか、いいモノもってるじゃない……危うくイっちゃうところだったわ……」
「そちらこそ……西洋の、大魔術……聞きしに勝る威力だ……」
口内に溜まった血を吐き出し、強がった笑みを浮かべた女性が云う。表情に反してスカートの下では足が震え、立っているのがやっとだった。とても戦える状態ではない。
凛之助もまた強がった言葉を放つが、その場から一歩動くこともままならず、とてもじゃないが戦いなどできやしない。
両者痛み分け、引き分けであった。
「ねぇ……今度、約束通り……アンタのこと抱いてあげるから……これで、手打ちってことにしない?」
「んな、な、な……なにぃ~!? だ、だだだだダメに決まってるじゃろうが! 何を云うとるんじゃこの女は!?」
「手打ちには、同感だが……そちらのほうは、遠慮する……」
「Hey! こんな奇麗な女が誘ってるんだから、そこは嘘でも気の利いたこと云いなさいよ!」
「じゃかあしい! わしの凛之助に色目を使うでない、このすっとこどっこい!」
「ちょっと! さっきからうるさいわねアンタ! いったいそいつのなんなワケ!?」
「凛之助の嫁に決まっとるじゃろうが! この泥棒猫!」
「What are you talking about, this fool?!」
「何云ってるのかぜんっっっっっぜんわからんのじゃ! 日ノ本の言葉でしゃべらんかい!」
「……頼むから、静かにしてくれ……」
「「どっちが?!」」
「どっちも……」
お互いに戦闘継続の意思がないとわかると、緊張感が解けたせいか、急に雰囲気が弛緩して妙な感じになった。その上に、女性と戌子が変なことで喧嘩を始めるものだから、凛之助は何故だか全身に負った傷よりも胃のほうが痛くなって来たような気がした。
「とにかく! とにかくよ、ここは一時休戦ってことで……ええと、アンタ名前は?」
「赤城凛之助」
「OK.リンノスケ、私はアルティシア・エヴァンス。アルでいいわ。ここはお互い退くとしましょう、いいわね?」
「それで、問題ない」
言葉を交わして、お互いに笑みを浮かべた。今度は強がった態度ではない。心の底から安堵が滲み出て、疲れ切った笑みである。
「しかし、アルティシア・エヴァンス。そちらはいったいどういう理由で、金属片を集めているのだ」
「アルでいいって云ったでしょ、まったく……」
大きな溜め息を吐いてへたり込んだ凛之助が問いを投げると、アルも溜め息交じりやおらと口を開いた。
瞬間、気付けば。
「──え?」
凛之助の視界が、赤に染まった。
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