第14話
「お前コラ! またこんな食いモン買ってきやがって! どんだけ食えば気が済むんだ!」
「あと五分で食べ終わりますので、説教なら少しお待ちを」
「ざけんな! ちったあ自重しろバカ!」
言葉幸子が坂口霊能事務所に住むことになった日。
昼頃に車で坂口霊能事務所にやってきた幸子が見たのは、部屋を埋め尽くすみたらし団子の箱と、それらを食べまくる凛之助と、彼の暴食に悩まされる坂口であった。
いったい何故こんな状態になっているのかといえば、何てことはない。凛之助が照郭楼の前に止まっていた団子屋の屋台から、みたらし団子を五十個も買ってきたのだ。おかげで部屋は団子で埋め尽くされ、坂口は書類仕事どころか電話すらもできやしないのである。
「あの、それ全部おひとりで食べるんですか?」
「……………………………………………………………………一本、いりますか?」
「いや、そんなものすごく嫌そうな感じの間を置いて云われましても……」
来て早々く胃もたれしそうな光景に、幸子は昼食もまだなのにもうなんだか食欲がなくなってしまった。部屋に充満するみたらしの臭いまでちょっと嫌になったくらいだ。
ちなみに、団子屋は材料切れで朝から早々に店を閉めたそうだ。実に可哀そうなことであるが、一週間分の売り上げを一日で出せたのだから万々歳だろう。
『すまんなあ、幸子。凛之助は食い物のことになると、こんなになるんじゃ』
「ええ、まあ。この程度……この程度? で怒るほどではありませんけど……」
思っていたよりも愉快な人なんですね。と云いかけて、直前で言葉を飲み込んだ。幸子の中では凛之助への印象が”すごいけどちょっとおかしな人”に変わった瞬間であった。
「では、今後の対応についてお話します」
団子をすっかり食べ終えた凛之助が、湯吞を傾けて湯気立つ茶を口にしながら云う。さきほどまでのどこかとぼけた雰囲気は霧散しており、幸子も我知らず口を結んで真剣に頷いていた。ちっとも話に加わらずにいるのは、凛之助の膝の上で日課の昼寝をしている戌子ばかりである。
「まず平時の活動に関してですが、言葉幸子様は普段通りにお過ごしください。外道師は人目を避け闇を好むもの、昼間に活動することはごく稀です。また、赤サソリの一件ですでに自分が護衛についていることは知られているでしょう。安易に手を出してくるのは、よほどの命知らずしかいません」
「登下校や学校内に、その外道師が侵入してくることはないのですか?」
「ないとは云い切れません。無論、その点に関してはすでにユザレの本部へ報告済みです。登下校の際は自分が同行しますが、校内には流石にはいれませんので、幾人か女性の陰陽師を配置するように手配しています」
有事の際はこちらの五人を頼りにしてくださいと、坂口が机に五枚の紙を並べる。
紙にはそれぞれ学校内で幸子の護衛を担当する女性陰陽師の情報が、顔写真と一緒に書かれていた。凛之助が選んだわけではないのでひととなりはよく知らないが、ユザレが選んだ以上は職務に忠実かつ実力も相応に備えた者たちなのは間違いない。そこらの外道師なんぞには負けない実力者なのは確かだ。
「それから、外出の際は必ず自分にお申し付けを。外へ出る際は自分が護衛として同行いたします。自分がいる間は自由に歩いて構いませんが、おひとりの際は路地裏や人気のない場所には決して近寄ることなきよう。かような場所には必ず魔の手が存在します、昼間とて安全とは云えませんので」
「はい、その点は重々承知しています」
然りと幸子は答えた。黄金の夜明けと謳われる時代なれど、輝きの当たらぬ深き闇はそこかしこにある。一瞬でも気を抜けば最後、悪しき者の手に絡めとられてしまう。特に大財閥の令嬢ともなれば、危うき場所に近寄らぬ心構えは常日頃から必要だった。外の世界のすべてを警戒してしかるべきとさえ幸子は考えていた。
「それからなんですが」
坂口がちょっと邪魔するように口を開いた。
「私の机の一番下に、南部式拳銃が隠してあります。ないとは思いますが、もし身に危険がありましたら、そちらで自衛をお願いします」
「かしこまりました。その際は、狩ヶ瀬に頼みます」
「でしたら結構です。隣に部屋を用意しています、防音加工済みの部屋です。荷物もすでに運び込まれていますので、昼食までしばらくお休みください」
「ありがとうございます」
よろしいと頷いた坂口がそれぞれに鍵を渡して促すと、幸子は小さく頭を下げて狩ヶ瀬とともに事務所を出て隣の部屋にはいっていった。
ふたりの足音が聞こえなくなると、坂口は懐から金属製の煙草箱を取り出して、その中からウエストミンスタアを一本口に咥えた。
「ユザレからの情報は」
「金属片と外道師の死体については調べが付いたが、他はまだ調査中だとよ」
机の引き出しから書類を引っ張り出し、投げやりに凛之助へ寄越す。
ユザレの情報部から送られてきた半紙三枚分の書類に記されていたのは、金属片に関する情報だった。
浮浪者の物売りからそれらしいモノを回収した、との記述を目にした時、凛之助の脳裏にあの伴天連云々と喋っていた老婆の姿が思い浮かんだ。
「素材はブリキ、ですが大量の呪詛を溜め込み特殊な封印術がほどこされていたと?」
「おっかねえ話だろ」
まず金属片の調査報告を見て胡乱に声を発した凛之助に、坂口は溜め息代わりに紫煙を口から吐き出した。
素材自体はどこにでもあるブリキだったが、その中に詰め込まれた呪詛の量が尋常ではなかった。封じ込められたその呪詛の量は簡単に人間を殺せるほどであり、普通ならば解放した時点でこの金属片の所有者は死んでいるか呪詛に取り込まれて消滅する。それを無理やりに強力な封印術によって操った結果が怪異への変貌だ。
一般人の手に渡るには危険極まる代物だ。まかり間違って外道師が手に入れたなら、赤サソリのように呪詛を我がものとして操り、悪逆に力を揮うのはわかりきっている。いったいどこでこんなものを製造したのか。流通経路の一切がわからないのが恐ろしい。
「単独での製造は不可能、何らかの非合法な組織がこいつを提供したのは間違いないだろう。まあその非合法な組織ってのがこの”宇宙神秘教”なのかはまだわかんねえがな」
赤サソリと名乗った外道師は”宇宙神秘教”なる奇妙な新興宗教組織に身を置いていたことがわかっている。
この宗教は最近になって出てきたものだ。「宇宙は神秘なり。万物は神秘なり。人類は神秘なり。個々人もまた神秘なり。人々はこの意識せざる神秘力を工夫し、どう生かすかを考えねばならない」といういかにもインチキ臭い教義を掲げてはいるが、労働者などを筆頭にそれなり以上の信者を持っている。
「宇宙神秘教が信仰してる神はいますか」
「正体は不明だが”マガツノマロカレ”と呼ばれているそうだ」
マガツ、漢字で書くと禍津となる。伊邪那岐命が黄泉の国から帰還した際の禊から生まれた二柱、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)という名の厄災を司る神を指した言葉だ。一見すると悪なる神と思えるが、この禍津日神の二柱は信仰することで厄災を逃れることができる、いわば厄除けの神としての側面を持つ。これを信仰すること自体になんら不思議はない。
問題は、その後ろに続く言葉である。
「マロカレ……日本書紀に置ける天地創造前のあらゆるものが入り混じった状態。漢字では混沌と記されています」
「禍津混沌。日本書紀や古事記をひっくり返したって載ってない、聞いたこともねえ物騒な名前の神サマだ」
どうにもきな臭い。宇宙神秘教はこの一言に尽きた。
形式上は民間の団体となっているが、外道師たちが隠れ蓑にしているとするとこのような危険極まりない物質で金属片を製造できる施設を備える、大規模な犯罪組織ということになる。おそらく相当の資金と武力を備えていることだろう。調査は慎重に行うべきだ、というのがユザレと坂口の考えだった。
(だがなんだ、この頭がざらつくような感覚は……違和感、というやつか?)
報告書を読み終えた凛之助は納得すると同時に、少しのひっかかりを覚えて瞳を閉じる。それは泥沼に素足で浸かっているかのような気味の悪さを纏っていて、どうしても簡単に片づけることができなかった。ユザレの報告書を信用していないわけではない。ただ何か重要な事を見落としているような気がしてならないのだった。
「坂口所長、この件について独自の調査をお願いしたいのですがよろしいですか」
「任せろ。こちとらそれで飯食ってんだ、情報くらいパパッと集めてやるよ」
「ありがとうございます。では次に、外国人の女性に関してわかったことはありますか」
原因のわからない不安を振り払うように頭を振って聞く。返ってくるのは気の抜けた声だ。
「いや。入国履歴を洗ってみたが、間近じゃそんな女なんかはいってことなかったらしい。十中八九、不法入国だ」
「浅草近辺に”美しい白髪をした私娼の話”がありますが、そちらとの関連性は」
肩を竦めて煙を吐く坂口は、呆れたような顔をした。まだ調査が進んでいないのだ。
「早急に調査をお願いします」
「云われなくてもわかってらあ」
ちょうどふたりの話が終わった頃、戌子がかわいらしいあくびとともに目を覚ました。
『ふぁあ、あ……はふぅ……。ん? 幸子はどこにいったのじゃ?』
「おはよう、戌子。言葉幸子さんなら隣の部屋だよ」
『おお! そうか、そうか! ならちょいと遊びに行ってくるとするのじゃ!』
ひょいと壁を通り抜けていく彼女を、凛之助は慈愛に満ちた優しげな微笑みで見送る。坂口は、奇妙なものを見る目で、その光景を見つめていた。
しばしの緩やかな沈黙が、二人の間を過ぎていく。
「なあ、凛之助」
そんな中にあって、ふと坂口が口を開いた。
「お前、あの嬢ちゃんについてどう思う」
「どう、とは」
「なんか思わねえの?」
妙なことを聞かれた凛之助は、坂口の意図を理解するのにしばしの時間を要した。
「籠の中の鳥、と感じました」
「へぇ。そりゃあまたなんで」
何分か口を噤んで考える仕草をして、率直に答える。意外な回答に坂口が突っ込むと、凛之助はぽつぽつと言葉を返した。
「籠の中で人に媚び、大空を知らぬ鳥らしくあれば、いくらでも周囲に世話をしてもらえる。しかし望む物が手にはいるだけの環境は、自由なれど真に自由はなく、ゆえに空の広さに焦がれる……籠の鳥らしくあろうとしながら、しかし外への尽きない興味を隠すために不器用なまでに自分を取り繕っている。そんな印象を受けました」
「……そうかい」
無表情でいながらどこか同情の混じった声で話した凛之助に、坂口は感情を隠すみたいに目を細めた。
彼が彼女に抱いたそれは、坂口からして同類を見つけた時の哀憐に見えた。云うなれば、そう。同族意識だ。似たような境遇の者を見つけたけれど、自分とは違うことを惜しんでいる。彼の態度からは、そう思えてならなかった。
「なら、いい機会だ。今からあの哀れな鳥さんに外の世界を見せてやんな」
「自分がですか」
「お前以外の誰がいんだよ。手前の引き受けたお守りだろうが、てめぇでやんな」
坂口は露骨に嫌な顔をして首を振ると、シッシッと手を払った。無理やりに役割を押し付ける言葉の裏には凛之助への心配の情が隠れてた。
常人には見えぬ、戌子という人外の友だけが唯一の繋がりである彼に、なんとか少年らしく友人を作って青春を謳歌してもらいたい。人並みの楽しみを知り、年頃の子供らしい情緒を取り戻してほしいと、ささやかな願いが込められていた。
「今日は休日だろ。物見ついでに行ってこい」
「……わかりました。では、そのように」
彼の気持ちを知ってか知らずか、凛之助はこくりと頷いて立ち上がった。
坂口の願いに気づくのは、はたしていつのことになるのか。
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