第44話 今世の君の


「この子たちは、わしの友人じゃ。ひとまず今日だけの見学ではあるが、あまり気にせんでやってくれ」



 まず、俺たちは授業始めに前の方へ呼ばれ、リーラントから説明を受けた。

 なんでも、俺が落ち込んでいる様子だったのに、分体を返さなければいけないことが心残りだったリーラントは、ミナを通じて俺たちをこの学園に招待してくれていたらしい。



「話したいことは沢山あるが、まずは授業を聞いていくのじゃ。面白くできる自信はあるそ?」



 自分でハードルを上げるなんて、すごい自信だとも思った。

 まあ、実際のところ俺はリーラントにいろいろすごいところを見せてもらっているから、疑いはしなかったんだけどな。



「では、今からおぬしら全員に幻影を見せる。もちろん安全は保証するから、下手に抵抗せんようにな」



 ともあれ、リーラントがそういうと、流石に教室はざわついた。

 俺やアーネスだって、リーラントのことを良く知らなければ困惑しただろう。

 だけど、その後すぐに続いた、美しい歌声の前には皆々が唸るしかなかったようで。

 ざわついていた生徒たちはすぐに黙って、そのうち、全身を脱力させていった。

 


 かく言う俺も、只今視界をホワイトアウトさせている真っ最中である。 

 おそらくこれは、超広域版の「春昼落とし」だ――



***



「いいぞ! 勢いは最高じゃ! あとはコントロールだけじゃな!」

「発音は完璧じゃが、実働が遅れておるの。わしが合図するから――」

「素晴らしい! これだけやれれば、今すぐにだって冒険家ライセンスを取りに行けるぞ!」



 薄く白い靄がかかる、広々としたグラウンド。

 背景には色とりどりの花や、大きな植物なんかが見えるが、いくら歩いてもそれが近付くことはない。

 おそらく、事前知識がなくたってわかるだろう。

 これは、明らかな幻想世界だ。



「いい光景じゃろ」



 俺の横から、いつもの小さなリーラントが声をかけてくれる。

 視界に入った、小さなリーラントの数は、十数人に達している。

 それぞれの生徒と一人一人に、リーラントの分体がついている。

 そして、その全てが激励を飛ばしながら、それぞれの生徒を指導している。



「リーラントって学校の先生だったんだね」

「意外か?」

「全然。むしろ、納得がいったよ」



 異様というより、美しい光景。

 そう思ってしまうのは、リーラントの分体全てが、心地の良い言葉を発してくれているからだろう。

 褒めて伸ばすとは、こういうことをいうのか。

 実際のところ、それぞれの鍛錬に励み、激しく動き回る生徒たちの顔には、ポジティブな表情が浮かんでいた。



「ふははアーネスよ! わしの動きを追えないか!」

「くっそ! ちょっと早すぎないか!?」



 そしてそんな生徒たちの中には、アーネスの姿もある。

 文句こそ出ているものの、その口元に浮かんでいるのは、眩しいほどの純粋な笑み。

 楽しそうだ。



「すごいね……これだけやって、疲れないの?」

「指導を終えて、意識を統合すれば、それなりに疲れるの」



 なるほどな?

 多分、今現在全ての分体の意識はつながっていなくて、後から合体したら、全部の記憶を引き継げるとか、そういうのなのだろうか。

 だとしたら、物凄い負荷がかかりそうだが、本当にすごいことをしているな……



「大丈夫なの?」

「何年もやっておることじゃ。それに、これがネルレイラ王より賜った、わしの使命じゃからな……」

「……そっか」



 ネルレイラ王。俺の知らない人。

 リーラントのことは、正直まだよくわからない。

 どうしてこんなによくしてくれるのか、パパとどういう関係なのかも、わからない。

 聞いていないから、当たり前ではあるんだけど。

 なんだか凄く、置いて行かれている気分になってしまうな。



「ときに、レーダよ」

「うん」

「おぬし、ダイアーのことを、どう思っておる?」

「え?」



 どう思ってるってそりゃ……

 そりゃ……なんていうか……

 難しいけどさ。



「いい父親だと……思っています」

「ほう、というと?」

「う、うーん」



 難しいことを聞くなあ。

 うーんでも、なんていうか。

 まあでも……リーラントになら、話していいか。



 そりゃ、俺だってパパのことは大好きだ。

 どこか抜けているけど、優しいし。

 かっこつけだけど、実際かっこいいし。

 ちょっと押しが強いとか、声がデカくて暑苦しいとか、欠点がないわけじゃないんだけど、本当に嫌いになれない。



「なによりパパは、俺が助けを求めたとき、必ず助けてくれるんです。試験のときも、浜辺でのことも、小さいことを数えるならきっと、今までだけでも数え切れないくらいの数、パパは俺を助けてくれました」



「ふむ……」



「でも、そんなパパを俺は最近、突き放してしまって。そのせいか、あまり話しかけてくれなくなって、悲しいんです。俺はもう立ち直りたいのに、パパのことを考えると、そうなれないっていうか……いや、別にパパのせいじゃないんです。悪いのはいつだって俺で。俺がちゃんとしていれば、パパを落ち込ませることだってなくて」

「レーダよ」

「パパはあんなにできた人で、凄く尊敬できて、俺だけじゃなくて、アーネスやノエルのことにまで気をまわして、俺はきっとそんなパパの負担になってて」



「レーダ」

「え?」



 窘めるような声で言葉が途切れる。



「レーダよ。聞きたいことがある」

「は……はい」



 なんだろう。パパとの関係のことだろうか?

 ギクシャクしてしまった原因の説明は難しいから、質問されても答えられるかわからないけど……



「おぬしには、前世の記憶があるな?」

「……あ」



 あ



 ああ……ばれてしまったか。

 パパと、ママだけとの秘密だったんだけどな。



 そっか……ばれちゃったか。

 そっか……でも。

 いいか。



「……はい。あります」

「そうか。すまんな、聞いてしまって。じゃが、この方が話しやすかろう」



 一応、アーネスの方を確認してみる。

 グラウンドの賑やかさがかき消してくれているおかげか、アーネスが熱中してくれているおかげか、彼の耳に、俺たちの話は届いて居なさそうだ。



 ばれてしまったなら、嘘を付く必要はない。

 リーラントの言う通り、多分絶対、こっちのほうがスムーズだ。




「単刀直入に聞こう」



 ああ、リーラントはすごいな。

 回りくどい言葉が、一気にまとまっていく。

 まるで、俺の言いたいことがわかっているみたいだ。



「ダイアーとの間に、なにがあった?」




 リーラントがそう聞いてくれた瞬間、喉のつまりが取れたような感覚がした。




「もしかすると、前世の俺は、パパに殺されたのかもしれません」

「そうか。災難じゃったな」

「ええ、運が悪かったです」



 心に刺さった棘が一本ずつ抜かれていく。



「思い出すのは、辛かったじゃろう」

「はい、凄くショックでした」



 ぐしゃぐしゃになった心が、少しずつもとの形に戻っていく。



「ダイアーを突き放すつもりは、なかったんじゃな」

「はい……正直に言いたかったです」



 強がって、強張っていた気持ちが、緩やかにほぐれていく。



「でも、ダイアーを傷つけないために、そうしたんじゃな」

「はい……はい……そうです……」



 止まっていた涙のダムにヒビがはいっていく。



 ずっと誰かに明かしたかった。

 今まではダイアーに明かしていたから、どうすればいいかわからなかった。

 ミナに明かすには近すぎて、なかなか抜け出してこれなかった。

 怖かった。もう、ここに居ちゃいけないのかと思った。



「アーネスも……アーネスにも明かしたくなくて。自分から明かしたくなくて。誰かに聞いてほしかった。どうしたのって、もう一度。パパがしてくれたように、聞いてほしかった……!」


「うむ……」


「でもみんな優しくて、俺が手を伸ばすのを待ってくれてた……そっとしてくれてた……それが……それが辛かった! 自分から手を伸ばしたら、そのまま突き放してしまう気がして怖かった……!」


「うむ」


「俺……前世でも同じことしたんです……! 彼女に……アオイ相手に同じことを……! 優しく待ってくれてる人に甘えて、なにもしなかったんです……!」


「そうか……」


「でも本当は……本当は……」



 こんなこと言っちゃいけないかもしれない

 人としてどうかしているかもしれない

 だけど、だけど……もう、言わないなんてできる気がしない



「誰かに……自分から手を伸ばすより先に、誰かに助けにきてほしかった! 俺が突き放してしまっても、何度でも! 何度でも! 何度でも!」



 この叫び声は、誰に聞こえているだろうか。

 リーラント以外にも、聞こえてしまっているかもしれない。

 アーネスや、他の生徒や、護衛の人にも。

 それなのに、ダイアーには聞こえていないなんて、酷い皮肉だ。



「どうして……パパには言えないの……」



 この心の叫びは、涙の決壊は。

 あなたの前で、できたら良かったのに。

 あなたに一番、聞いてほしかったのに……



「だ、そうじゃが。当のパパはどうするつもりかの?」




 え?




 いつの間にか、俺の目の前に人影があった。

 幻想的なグラウンドは消えて、そこで賑わっていた人影は消えていた。

 数多くの生徒も、アーネスの姿も消えて。

 ただそこには、黒い人影が立っていた。

 全身を真黒の衣装に包んだ、高身長の人影が立っていた。





「ごめんね」



 黒い人影が、フードをとった。



「僕は君が思ってくれているより、ずっと弱かったみたいだ」



 護衛の人だと、

 思っていた人が、

 口に巻いたスカーフを取った。



「でもさ、僕はそんな弱いパパだけど。回りくどいことばかりしてしまうパパだけど」



 突然、聞き覚えのある声が響いた。

 優しい声色が響いた。

 少し濁って響いた。



「これだけは言わせてください」



 優しい鼻声が、耳に響いた。



「僕は……娘の願いには全力で答えるつもりだよ」



 抱きしめられた。







「……パパのばか……なんで私を殺しちゃうの……?」

「ごめんね」


「なんで私に優しくしちゃうの……?」

「ごめんね……っ」


「中身男の、生まれ変わってるやつを愛してくれるの……?」

「ごめん……」


「なんで謝るの……!」

「…………っ!」


「謝らないで……謝らないでよ……!」

「……わかった」



 優しく、身体を持ち上げられた。



「僕は、今世の君の父親だから」



 その感触は、ひたすらに優しいもので。

 それでいて強くて、頼りがいのある感触だった。



「もう、謝らない。これからは何度でも君を助けに行くよ」



 そんな言葉を聞けたら、抱え込んでいた全てがあふれ出してしまって。

 言いたかった言葉も、伝えたかった感情も、一気に解放されてしまって。

 言葉と共に、決壊した全てを吐き出したら。



「パパぁ……パパぁ……」



 もう大丈夫だと、底なしの安心感に包まれて。

 俺はひたすら、ダイアーの胸に額を押し付けながら。

 泣き続けながら、呟き続けることしか、できなくなってしまった。

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