第18話 赤目のスエラ


 治療院から少し離れた木立。小さな池の傍。

 例の子は、池に近い木の根元で何やら座り込んでいる様子だ。



「ここまで来れば安心か……」



 ふふふ、独り言まで呟いて余裕だねぇ。

 君の背後に黒い影が迫っているとも知らずに、のんきなことだ。



 さてさてどうしてやろうか。

 どうせなら驚かしてやりたいな。

 よし、ちょっとイタズラしてやるか。

 まずは忍び足ですぐ後ろまで近づいて……



「みぃつけた……」

「ひいっ!?」



 くらえ! レーダちゃんのウィスパーボイス!

 効果は抜群のようだ!

 例の子は震えあがって、可愛らしい悲鳴を挙げている。

 女の子なのかな?



「いきなり何すんだてめぇ!」



 あ、ガッツリ男の子の声だわ。

 というか、フードが取れて短い赤髪が露わになっている。

 そういえば、治療院の時の声も上ずってたもんな。

 こっちが素の声っぽい。



「なんだよ。先にちょっかいかけてきたのはお前だろ?」

「え?」

「え、とはなんだ、え、とは。さっき俺のこと突き飛ばしたじゃねぇか」



 ま、謝れとは言わないけどな。

 子供のやることだ、寛大なレーダちゃんは許してやってもいいぞ。

 ただし、俺と友達になってくれたらな!



「え、いや……ま、まあ、それは悪かったよ」



 あら、意外と素直。

 いいね。素直な子は嫌いじゃないぞ。

 むしろ好感が持てる。



「わかればよろしい」



 腕を組んで鼻を鳴らす。

 ふふ、これで俺と君とは知り合い同士だ。

 問題はここからどうやって友達になるかだが……ま、いろいろ質問してみるか。



「それで、さっきは何を急いでたんだ?」

「それは……治療院でパンを貰ってたんだよ」

「パンをもらうだけなのに、窓から逃げる必要があるのか?」

「げっ……それは……」



 男の子は、痛いところを突かれたといった風に後ろを向く。

 まあ、俺も追い詰めたいわけではない。

 仲良くなる口実がほしいだけだ。



 もし、これで貧乏だから食料が欲しかったーとかなら、俺がパンを恵んでやろう。

 いわゆる餌付けだ。

 食べ盛りの子が、ご飯をもらって懐かないわけがない。



「あ」



 と、思っていたのだが。

 なかなか振り返らない男の子に気付いて、視線の先を追ってみたところ、まずいことに気がついた。

 先ほど驚かせたときだろうか。

 彼の懐から飛び出たのであろう麻袋、空になったそれのさらに先、池の水面に、四角い何かが浮いている。

 うん、というか本だ。アレ。



「うわあああああ!!」

「え?」



 錯乱した男の子が、池に突っ込んだ。

 そうして本を抱きかかえたと思ったら、そのまま躓いて頭からダイブした。

 ドボンと大きな音立てて、水底の影と化してしまった。



「ええ……」



 あー……どうしよう。

 そう思っていると、男の子がうつ伏せに浮き上がってきた。

 だらりと腕を垂らして……し、死んでる!?



「ごほっ!」



 なんてことはなく、陸に引き上げれば普通に水を吐き出してくれた。

 しかしまあ、気絶はしてしまったようだ。

 息はしているが、意識がない。

 うーんまあ、こういうときどうすればいいかって言えば……



「ダイアーを呼んでこよう」



 子供の手でどうしようもない時は、大人の人を呼んでくる。

 これが三歳児の鉄則だ!



***



「う……うーん……?」



 お、目が覚めたみたいだな。

 男の子の顔を覗き込むと、丁度目を開けるところだった。

 焦点が定まっていく虹彩と、目線が合う。

 あ、この子赤目じゃん。かっこいい。



「ギャー!」

「えっ? いってぇ!?」



 頭の中に星が飛ぶ。

 直後におでこの方に激痛。

 おのれ! 一度突き飛ばしただけでは飽き足らず、命の恩人に頭突きを見舞うとは!



「そりゃそうなるよ、レーダ……」



 それはそう。

 気絶してるほぼ初対面の子と顔見合わせてりゃ、頭の一つや二つ、ぶつけられもするだろう。

 今のは完全に俺が悪いな。

 そりゃダイアーも呆れるだろう。



「いてぇ、お前は……あ! 俺の本は!?」



 おいおい、可愛い女の子が話しかけてやってるのに無視して本の心配かよ。

 ああいや、でも多分この世界の本ってめちゃくちゃ高価なんだよな。

 そりゃそっち心配するよな。うん。



「本なら無事だよ。僕が直した」



 そう、あの後、ダイアーは瞬く間に本を治してしまった。

 夏の妖精の歌を使って、濡れた本の水分を蒸発させたらしい。

 いくらかインクは滲んでしまったかもしれないが、大体は元通りになっただろう、とのことだ。

 本当にハイスペックだな、うちのパパは。



「だけど、この本は君の本じゃないだろう?」

「…………」



 ダイアーがそう言うと、男の子は気まずそうに目を逸らす。

 ああ、なるほどな。

 どうやらこの子が拝借したのは、一切れのパンではなく、一冊の本だったらしい。



「どうして本を盗んだりしたんだ? 中で読ませてもらえばいいじゃないか」

「それは……」



 赤髪の赤目の男の子は、俯いて言葉を詰まらせる。

 どういう事情があるのかは知らないが、ただのイタズラというわけではなさそうだ。



「俺は……治療院には、入れないから……」

「えっ?」



 ダイアーが心底意外そうな顔をする。

 表情から察するに、普通の子供は治療院に入れるものらしい。

 だとしたら、どうしてこの子は治療院に入ることができないんだろう?

 というか、よくよく考えたら、さっきはガッツリ入ってたじゃないか。

 一体何の嘘をついているんだ?



「あ、ダイアーさん! 見つけましたよ」



 少し遠くから大人の声がして、目線をそちらの方に向ける。

 声の主は、灰色のローブ姿の男性だ。

 いかにも聖職者って感じの服装で、首からは四つの輪のペンダントを下げている。

 さっきの礼拝堂にあったモニュメントと、同じ形だ。



「いやだ……! く、くるな!」

「え?」



 男の子が、着ていたローブを被りなおして、俯く。

 まるで聖職者っぽい男性から遠ざかるように、座ったまま身体をそらす。

 男の子の身体が震えている。

 ローブの間から覗く、顔に浮かんでいる感情はおそらく、恐怖だ。



 一体どういうことだ?

 この子は、何を怖がってる?

 ダイアーも困惑している様子だから、この人自身がヤバいわけではなさそうだが……



「あ、あー……今回の騒ぎは君のせいだったのですね。ほら、これで怖くないでしょう?」



 聖職者っぽい男性は、首のペンダントを外して、懐にしまう。

 そうすると、男の子は逸らしていた身体を戻した。

 そのペンダントが原因だったのか?



「彼はスエラの男の子なのです。ただ、食人鬼グールでもないのに、妖精神の聖印を怖がっていまして……」



 スエラ、グール、妖精神。

 全く初見の単語たち。

 妖精神とグールの方は、何となく予想が付くが……スエラとはなんだ?



 そう思って見つめた男の子は、いまだ小刻みに震えている。

 会ってまだ数十分だし、彼のことはまだわからない。

 しかし、この子との出会いは、世界に対する見識を深めるきっかけになりそうだ。



 だけどまあ、俺もこの男の子に相当申し訳ないことをした自覚はある。

 だから俺は、せめてもの謝罪として、震える男の子の手を、優しく握っておくことにした。


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