04_01__ラブコメの裏のサスペンス劇場①

●【旧主人公】宇治上樹


 二年前、坂巻は息を切らせながら言った。


「ごめん。僕は勘違いしてた。樹はラブコメの主人公じゃなくて、サスペンスドラマの主人公だったんだね。まさか現実で包丁を持った変質者に追い回されるとは思わなかったよ……」


 その言葉を聞いた俺が「代われるものなら、代わってくれよ」と零したら、坂巻が全力で首を横に振ったことを覚えている。



 一般に、サスペンスとは身の危険が迫った状況で感じる緊張や不安を指す言葉らしい。

 俺が今置かれている状況も、ある意味ではサスペンスドラマの一幕といえるだろう。


「ハァ……。遅いわね」


 土曜日の教室で、水無月の深い溜息が零れた。

 眉間に皺を寄せ、コツコツと指で一定のリズムを刻んでいる。


 物音を立てれば、即座に舌打ちが返ってきそうな張りつめた空気の中、俺とクレアは息を殺して外を眺めた。


「ねぇ」

「ごめんなさい!」


「……なんで急に謝るのよ?」

「あ、いや、なんとなく?」


 そこでようやく自分の行動を顧みたのか、水無月は気まずそうに顔を逸らした。


「別に私は怒ってないわよ。赤羽先生が待ち合わせに遅れるなんて珍しいから心配しているだけ。今日の用件を考えれば、悠長に待っているわけにもいかないでしょう」


「気持ちは分かるけど、現状待つ以外に出来ることはないからなぁ」


 会う約束を取り付けたのは今朝なので、忘れているとは思えないが、十分前に確認した時点では、駐車場に赤羽先生の車は無かったらしい。


「……最終手段ではあるけれど、先生のご自宅を訪ねてみましょうか」

「ん? 先生の家に行ったことがあるのか?」


「いいえ。以前、偶々先生のマンションの位置を知ってしまったの」


 ……そんな偶然ある?

 ストーカーの言い訳みたいに聞こえるのは俺だけ?


「無言であとずさりしないでくれるかしら。演劇部で車を出してもらった時に、マンションの位置をカーナビで見てしまっただけよ」

「あぁ、そういうことね」


 そういえば父が車を買った時も、ディーラー店の人が、自宅の位置を登録してくれてたな。

 道案内のルート設定をするときに便利だとか。


「部屋の番号も普段の会話から見当はつく。女性同士だから先生も油断していたのよ。『ウチは最上階だから、夏も蚊に悩まされない』とかね。ネットで拾った間取り図もあるし、現地に行けば絞り込めるはずだわ」


 淡々と語られると、やっぱりちょっと怖いな。


「こ、これが噂に聞く特定班ですか」

「おう。クレアも一人暮らしだから普段の言動には注意しろよ」


「だから、ドン引きしないでくれるかしら。自然と察してしまうのだから仕方ないでしょう。悪用するつもりはないし、妙に目ざといウジ虫にはどうこう言われたくない――」

 と、水無月容疑者の供述を聞きながら、俺たちは外に出た。


 すれ違いを避けるため、クレアは当初の待ち合わせ場所で待機してもらうことにした。


 学校からタクシーで二十分程の住宅地に、先生の住むマンションはあった。

 造りが重厚で、お洒落な雰囲気の建物だ。


「おそらく最上階のあの部屋ね」


 水無月が指したのは、L字型の建物の横線部分だった。


「あれで一部屋か? 随分広いな」

「確か、ご両親がお兄さん夫婦の家へ引っ越したから、今は一人で住んでいると仰っていたような……」


 赤羽先生は同性相手でも喋りすぎでは?

 確かに少々ガードが緩いのかもしれない。


「あ。ちょっと走って」


 腕を強く引かれて思わずつんのめる。進行方向に目を向けると、ちょうど高齢の男性が正面ホールのロックを開けているところだった。

 幸い距離が近かったので、ドアが閉まる直前に滑り込む。


 当然、ご老人は駆け込んできた二人組に目を丸くしたが、水無月は構わず両手を腰にあて、唇を尖らせた。


「もぉ、女の子の家に来るのが初めてだからって狼狽えすぎぃ! 早くいくよぉ!」

「お、おぅ」


 その可愛らしいキャラはなんなのぉ? なんでいつもより声が高いのぉ?

 普段とのギャップが強くて、怖いんですけどぉ!


 内心ガクブルの俺と違い、鍵を開けてくれたご老人は頬を緩めるだけで、疑っている様子はない。

 水無月は再度俺の腕を引いて、同じエレベーターに乗り込んだ。


「何階かな?」

「最上階でお願いしますぅ」


 誰だお前は。

 口に出したい。が、出せない。


 横から感じる『余計なことを喋るとぉ、コ・ロ・ス・ゾ☆』オーラに冷や汗が止まらない。


「……ふぅ」

 ご老人が七階で降りると、水無月は被っていた仮面を放り捨てた。


 背後に幻視していたタンポポとハルジオンも枯れ果てる。

 あまりの温度差に風邪ひきそう。


「わざわざ侵入する必要あったか?」

「念のためよ。貴方も分かっているでしょう」


 水無月の懸念は分かるけど、ソレって考えうる限りで最悪のケースなんだよなぁ……。

 嫌な予感を覚えつつ、俺たちはお目当ての部屋へと向かった。


 部屋の前には表札こそ無かったものの、Aの形をした飾りが二つあった。赤羽愛梨のイニシャルだろう。


「押すわよ」


 水無月がチャイムを鳴らすと、ドアフォンの起動音が鳴る。

 どうやらご在宅らしい。が――


『はい』

「「っ………」」


 明らかに男性と思われる低い声が返ってきた。


「突然すみません。赤羽先生のお宅でしょうか? 私たちは先生にお世話になっている花崎高校の生徒です。十一時から会う約束をしていたのですが、連絡が取れなかったので、心配になって来てしまいました」


『……んー、ちょっと待ってね?』


 ドアが開くと、長身の男が柔らかい笑みを浮かべて現れた。


「こんにちは」

 清潔感のある短髪、愛嬌のある垂れ目、鍛えられていると分かる厚みのある体――以前更科が目撃した赤羽先生の彼氏に間違いない。


「こんにちは。こちらは赤羽先生のお宅で間違いないですよね? 貴方は――」

「俺は彼女と親しくさせてもらっている友人といったところかな」


「そう、ですか。それで、赤羽先生はご在宅でしょうか?」

「ごめんね。実は彼女、今日は体調を崩して臥せっているんだ。ノーメイクだし、可愛い生徒の前には顔を出しづらいらしくて。用件があるなら俺が伝えておくよ」


「そ、それは困ります!」


 声を張った水無月は、恥じ入るように顔を伏せた。

 もじもじと儚げな演技をしながら俺に肩を寄せ、手に指を絡めてくる。


 え。ちょっと待って。

 その演技プランは何?

 どこを目指してんの? 即興で汲み取れとか、無理な相談だぞ?


「私たち、一か月くらい前から赤羽先生に相談に乗ってもらっていたんです。両親は子供扱いするばかりで、ロクに話も聞いてくれなくて……、先生だけが頼りなんです」


「うーん、そう言われてもねぇ」


「会う約束をしていたことは先生に聞いてもらえれば分かるはずです。時間が必要ならいくらでも待ちますから」


「気持ちは分かるけど、月曜日じゃダメかな? 休日に教師の家を訪ねてくるなんて、非常識と言われても仕方ないよ?」

「で、でも――」


 話が平行線を辿りそうになった時、ふと視線が男の膝に吸い寄せられた。

 ベージュのカーゴパンツについた小さな赤黒い染み。


 ――――血。


 俺は半開きになっていた扉を全力で引いた。

 ドアに体重を預けていた彼氏は体勢を崩して前につんのめる。


 その空いたスペースに体を滑らせ、部屋に駆け込んだ。

 廊下を道なりに曲がった先は、天井の高いリビングだった。


 赤羽先生はソファの座面にもたれるように座っており、突然現れた俺に目を見開く。

 一見外傷はない。が、マスクをしているのが気になった。


「ちょっと失礼しますよ」

「え、あっ……」


 戸惑っている隙に、指で紐をひっかける。


「っ……!」


 気持ちを落ち着けようと息を吐いたが、震えを抑えられなかった。

 先生の鼻から口元が、薄っすらと赤く染まっていた。


 血を拭った跡だ。血は濡れた布で拭わないと、薄く引き伸ばされて残ってしまうことがある。

 俺も中学生時代に殴られて、何度も鼻血を流していたから見覚えがある。


「先生、アイツに暴力を受けていますよね」


 見開かれた目が大きく揺れた。口をもごもごと動かすものの、言葉にならない。


「君、人の家に上がり込むなんて失礼じゃないかな?」


 彼氏が駆け込んできた途端に先生の肩が跳ねる。状況を察したらしく、取り繕うような笑みを浮かべた。


「いや、彼女はさっき転んでしまってね。顔をテーブルにぶつけてしまったんだよ」


 ゆらゆらと揺れる先生の瞳には、恐怖の色がハッキリと滲んでいた。

 俺はその視線を遮るように位置を変え、小声で言った。


「大丈夫です。任せてください」


 正直、全く大丈夫ではないが、俺は精一杯の愛想笑いを浮かべて振り返った。


「そうでしたか。膝に血がついているのが見えて、気が動転してしまいました。土足で上がり込んですいません」

「あ、あぁ……」


「さっき『先生が臥せっている』と仰っていたのも、怪我のことですよね。そんなにひどく転んでしまったなら早く救急車を呼ばないと――」


「や、やめろっ! 安静にしていれば大丈夫だから、余計なことをしないでくれっ!」


 力技で連れ出そうと思ったが、許してくれないか。

 この調子だと、どんな口実も屁理屈でねじ伏せてきそうだ。暴力に訴えられたら勝ち目は無さそうだし、無理を通すにも限界がある。


 俺は震えそうになる手に爪を立てた。

 落ち着け。この場を乗り切る材料は揃っている。


 俺がこの男の地雷を踏みぬかないよう注意して、説得すればいいだけだ。


「このままでは埒が明かないので、お互い本音で話し合いましょうよ。皆元健司さん」

「な!?……どうして、俺の名前を――」


「名前以外のことも存じていますよ。川北署のお巡りさんで、年齢は二十六歳でしたっけ? 勤務態度はいたって真面目で、周囲からも信頼されているようですが、最近はストレスを溜め込んで、彼女に暴力を振るってしまっているとか」


「お、お前っ……一体何なんだよっ!?」

「あぁ、勘違いしないでください。俺は皆元さんを糾弾しに来たわけじゃありません。むしろ、その逆。俺は貴方を助けに来たんです」


「……は?」

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