03_05__過去の写真⑤

●【旧主人公】宇治上樹


「この度は、本っ当に、申し訳ありませんでしたぁ!」

「え。…………あ、はい」


 書き込み事件の関係者から情報を集めている最中、話を聞いていた上級生が謝罪の言葉を残して逃げた。


 引き留める余裕もなく、伸ばした腕を空しく下ろす。

 吹き付ける生ぬるい風に、鼻の奥がツンとした。


「俺、そんなに高圧的だったかな?」

「いえ!十分丁寧に接していたと思いますよ!」


 クレアは大きな身振りでフォローしてくれた。


「ただ、お昼休みの返り討ち事件が、一部で広まっているみたいですね……」

「アレは俺も反省しているので、掘り返さないでください」


 だって、自分から絡んできておいて、まさか泣くとは思わないだろ!


 俺だって内心焦りながら対処してたのに、なんで被害者側の評判が下がってんの!?


「はぁ、本当にどうしてこうなった……」


 名前もよく分からん女子が帰った後の教室は、マジで空気が凍り付いていた。

 息遣いさえ聞こえそうな沈黙の中で周囲を見回す勇気もなく、俺はスマホのニュースサイトに逃げた。


 もちろん一文字も頭に入ってこなかったけどね?


「すいません。私が教室にいればもっと穏便に済ませられたかもしれないのに……」


「いや、クレアには大分助けられてるよ」

 犯人捜しをしようにも、俺一人じゃ委縮されてロクに話も聞けない。

「だから、どうか俺を見捨てないでください……」


「私が樹さんを見捨てるわけないじゃないですか! 今回の件は中学時代の写真が使われていますし、私にも責任がありますから」


 冗談半分のつもりだったのに、思いのほか真剣に返された。


 まぁ、クレアの言い分も理解は出来る。

 写真の女子はいずれも中学時代のヒロインなので、そもそもリアリティショーが無ければ今回の騒動も起きなかったはずだ。


 ただ――

「以前も話した通り、クレアを責めるつもりは無いから気にするな。何万年と続く神様の娯楽を、末端の天使が止められるとは思ってない」


 クレアが俺を主人公に選んだわけでもないし、ただ天界から監視していただけの社員を責めるのはお門違いだろう。


 地元の役場で『税金が高すぎる』と騒ぐようなものだ。

 カスハラ、ダメ、絶対。


「樹さんの気持ちはとってもありがたいですけど。私の中では上手く割り切れなくて……」

「…………」

「…………」


 空気がお通夜みたいになったぞ。

 いや、俺が弱気になって不謹慎なボケをしたのが悪かったな……。


「よし!気分を切り替えて次に進むぞ!さっきだって証言者に逃げられはしたけど、必要な情報はちゃんと聞き出せただろ」


「そ、そうですね!そろそろ赤羽先生と会う約束をした時間ですからね!」


 俺たちは空元気全開で、ギクシャクと職員室に向かって歩き出した。




 ちなみに、先程話を聞いていたのは、犯人にアカウントを乗っ取られた二年の女子生徒である。

 やたらと怯えていたのは、自分のアカウントを悪用された負い目があったからだと思いたい。


「それにしても、パスワードに自分の誕生日を設定する人って本当にいるんだな。長いパスワードの一部ならともかく、誕生日単体で設定するのは危険すぎるだろ」


 数字とアルファベットを混ぜたイギリス英語式にしていたみたいだが、銀行の暗証番号なら過失扱いされるレベルだ。


「アハハ……。ちょっとズボラな方みたいですね。でも、パスワードの内容が犯人を特定する手掛かりになるんですか?」


「まだ分からんが、一つ試しておきたいことがあってな。赤羽先生の協力も必要だから、後でまとめて話をさせてくれ」


「分かりました。……あれ、赤羽先生の席が空いてますね」

「ホントだ」


 時計を見ると、ちょうど約束の時刻になったところだった。

 時間に正確な赤羽先生にしては珍しい。


 しばらく待ってみるつもりだが、無駄骨は避けたいので隣の席の先生に聞いてみるか。

「すいません、赤羽先生はもう帰られましたか?」


「いいえ、ちょっと席を外しているだけよ。そろそろ戻ってくるはずだけど――あ、丁度来たみたい」


 振り返ると、赤羽先生が湯気の立つマグカップを持って歩いてきた。


「ん?二人とも私に何か用かな?」

「えっと、十八時半から話を聞いてもらう予定だったと思うんですけど」


「あー……すまん。そうだったね。今なら問題ないよ」


 赤羽先生は緩慢な動作で椅子に腰を下ろすと、カップに口をつけ「……まだ熱い」と小さくぼやいた。


 なんだか、普段よりぼんやりして見える。

 俺はふと思いつき、自分の側頭部を指さした。


「先生、この辺りに派手な寝癖が――」

「んんっ!?」

「あるかと思いましたが、気のせいでした」


「…………君は、デリカシーが無いと言われたことはないかな? 気付いても、素知らぬ顔で流してあげるのが大人な気遣いだよ」


「す、すいません」

 まさかそんなに拗ねてしまうと思っていなかったんです……。


「くっ……ふふふ……あはははは!」

 先程声をかけた先生が、隣で盛大に吹き出した。


「はぁ……面白かったー。そこのキミ! 赤羽先生は悪くないから勘違いしないでね。疲れているようだったから、私が無理やり休憩室に押し込んだの。念のために言っておくけど、職務怠慢じゃないわよ? 教師なんてロクな残業代も出ないんだから、仮眠くらい当然の権利よ!」


「そ、そうですね!」


「第一、赤羽先生はちょっと働き過ぎよ。初めての担任だけでも大変なのに、部活に委員会に若手の研修幹事にと、上も押し付けすぎでしょ。人手が足りないのは分かるけど、私が産休に入った後で誰が守ってくれるのか、今から心配よ。大体――」


「わ、分かりました。その話はあとでちゃんと聞きますから……。宇治上君、場所を移そうか」

「了解です」


 さすがの赤羽先生もパワフルな先輩には弱いようで、慌てた様子で提案してきた。


 俺としても、職員室では若干話しづらい内容だったのでありがたい。



 + + + + +



 眠気覚ましに、風に当たりたいとのことで、俺たちは赤羽先生について屋上にやって来た。


 グラウンドのライトが間接照明のように、夜の暗闇を程よく打ち消す。

 住宅街の明かりも色とりどりで雰囲気があるのに、話す内容は殺伐として味気ない。


「成る程、面白いね」


 パスワードの件と併せて、犯人を絞り込む方法を提案すると、赤羽先生はしばし吟味して頷いた。


「上手くいくかは運次第だが、試してみる価値はある。明日早速実践してみようか」


「……あの、提案した俺が言うのもなんですが、即決して大丈夫ですか? 実行する前に、上の人にお伺いを立てたほうが安全だと思いますけど」


「君は相変わらず子供らしくない気の回し方をするね」


 だって、俺のせいで赤羽先生にとばっちりがいくのは不本意ですし……。


「君の心配も分かるよ。宇治上君が提案した内容を、教師全員が思いつかなかったとは少々考えづらい。犯人を見つけないまま、騒動を風化させようと口を閉ざした先生がいたのかもしれない」


 今回の騒動で戦々恐々としているのは管理職ばかりではない。

 犯人が受け持ちの生徒だった場合を恐れて、口を出さなかった人もきっといるだろう。


「だが、そんな先生がいたとしても、犯人が見つかれば腹を括るさ。幸い、君の提案は私の権限で行える範囲だから、わざわざ上の許可を貰う必要はないよ」


「それなら、いいですけど……」


 若干不安が残る俺に、赤羽先生は気遣わしげな笑みを浮かべた。


「宇治上君はあまり学校を信用していないようだね。これまで良い先生に恵まれてこなかったのかい?」


「いえ、良い先生もいれば悪い先生もいましたよ」


 だからこそ、教師も一人の人間だと当たり前のことを思っている。


「そもそも、俺自身が良い生徒ではありませんから」


「それもそうだね!」

 あっさり認められると複雑な気分……。


 でも実際問題、厄介事ばかり持ってくる生徒なんてお荷物でしかない。

 中学時代には「これ、教師の仕事か?」と疲れた顔で呟いた担任もいた。


 俺は申し訳なくて、黙って首を振ることしか出来なかった。

 神様も学校でラブコメさせるなら、先生たちに特別手当を出してあげて?


「それに、赤羽先生のことは信頼してますよ。だからこそ相談させてもらったわけですし」


「フフッ。嬉しいことを言ってくれるじゃないか。成績表には反映してあげられないが、私の心の内申点はぐっと上がったよ!」


 冗談めかして胸を張った後で、赤羽先生は少しだけ目を伏せた。


「でも、私なんてまだまだ未熟者さ。学生時代にお世話になった先生なら、もっと上手く立ち回っていただろうからね」


「意外とストイックですね。あんなに生徒に慕われているのに」


「それは年齢が近くて話しやすいからだろう。それだけなら友人と大差ないし、良い教師とも限らないさ」

「そんなもんですかね……」


 教育論は完全に門外漢なのでよく分からない。

 大人として尊敬できれば十二分だと思うが。


「それじゃあ、さっき言っていた恩師が赤羽先生の目標なんですね」

「……ベタな話だけどね?」


 そう言って、赤羽先生は学生時代の面影が滲むような顔で笑った。

 先日神社で聞いた、ドロップアウトしかけた時に支えてくれた先生と同じ人なのかもしれない。


「学生時代の私には、何でもできる優秀な大人に思えたよ。でも、人間らしく抜けた部分もあって、生徒と一緒に頑張ってくれる人でもあった。ケガをした生徒に代わって、学祭でギターを弾き始めた時は、さすがに笑ってしまったけどさ」


「アグレッシブな先生ですね……」



 とりとめのない雑談をしていると、校舎から完全下校時刻の予鈴が聞こえてきた。


「もうこんな時間か。君たちも校内に閉じ込められる前に帰りなさい。明日のことは準備しておくよ」


 俺がもう一度礼を言うと、赤羽先生はニッコリと笑って校舎のドアをくぐった。

 いつかの面談のように、その後姿をしばし眺め、ほっと息を吐いた。


「それじゃあ俺たちも帰るか。……ん?」

 さっきから随分静かだと思ったら、クレアが唇を引き結んで固まっている。


「おい、大丈夫か?」

「え?あ、すいません。問題ないです」


「本当か? 若干顔色が悪い気もするけど」

「ちょっと考え事をしていただけですから」


 いつもは気後れするくらい真っすぐに見つめてくる天使様と目が合わない。

 少々引っ掛かりはするが、今回の騒動で思うところもあるらしいので、そっとしておくか。


 正直俺の小さな脳みそでは、今は別のことを考える余裕もない。


 帰る前にとスマホを開くと、坂巻から立て続けにメッセージが送られてきていた。


『ごめん。僕、余計なことをしたかもしれない』

『口止めされているから詳しくは言えないけど、先に謝っとく』

『できる限りフォローはするから、何かあっても笑って許してね?』


 あの野郎、今度は何をやらかしやがった。

 ……まずい。そろそろストレスで胃に穴が開くかも。

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