03_03__過去の写真③

〇【新主人公】隆峰宙


 夕日が沈んだ空の下で、坂巻先輩の明るい笑い声が弾けた。


「それにしても、さっきは綺麗な音がしたよね。あんなに澄んだ『パコーン』って音は中々聞けないよ!」


「あの、もう、それくらいで、勘弁してください……」


 上機嫌な先輩に向かって、僕は羞恥に悶えながら声を絞り出した。



 一時間ほど前、僕のおでこにテニスボールが直撃した。


 幸い速度が遅かったのでダメージは無かったけれど、事故の光景は中々派手だったらしい。


 坂巻先輩が言うには、一瞬で後ろに吹き飛んで、大の字で転がったとか。

 コントのような絵面と澄んだ打撃音。

 そして、持っていたカゴから大量のボールが飛び散る光景も相まって、テニスコートは爆笑に包まれた。


 どちらかといえば、精神的なダメージが深刻かもしれない……。



 部活が終わった後、坂巻先輩が『面白いものを見せてくれたお礼』と称して食事に誘ってくれた。

 あんまりな誘い文句に最初はお断りしようと思ったけれど、僕を心配してくれているのだと気付いてついてきた。


「さぁ、ココが以前話した、歴代テニス部員御用達のお店さ!」


 案内されたラーメン店は住宅地に埋もれるように建っていた。

 説明なしでは飲食店と気付けなかったかもしれない。

 焦げ茶色の木造建築は、武家屋敷のような歴史と貫禄を感じさせる。


「これは、知る人ぞ知る名店といった雰囲気ですね」


「……大袈裟な言い方をした僕も悪かったけど、隆峰君は偶に独特な解釈をするよね。ただの年季の入ったラーメン店だよ? 安い割に量が多くて、適度に美味しいのが取り柄なのさ」


 単純に運動部員のお財布に優しいお店だったらしい……。

 手動の扉を横に開くと、カラカラと懐かしい音がした。


「……あれ?」


「お!水無月のお嬢さんと一緒にいた青年じゃないか。確か、隆峰君だったかな」

 店内に入ると、カウンター席の男性に声を掛けられた。


 先日、体育祭の打ち上げで出会った会社員の方だ。

「こんばんは。鏑矢さん」


 以前は軽く挨拶した程度だったけれど、気さくに手招きされたので、隣の席に腰を下ろした。

 今日は同僚らしき男性も一緒らしい。


「長身の君も見覚えがあるな。もしかして宇治上の知り合いかい?」

「ああ、やっぱり!僕もお見かけしたことがあると思っていたんです」


 坂巻先輩とも面識はあったらしい。

 プレゼン能力が高いお二人に挟まれた僕は、とても賑やかなメニュー紹介を聞き、お勧めが被った海鮮ラーメンを頼んだ。


「ひと月も経たずに再会するなんて凄い偶然だな。……あぁ、そうか。花崎高校はこの店の近くだったな」


「鏑矢さんの会社もこの近くなんですか?」

「いや、今日は仕事で近くに来ただけさ」


 水無月先輩との会話で『外回り』と仰っていたから、あちこち回る仕事なのかもしれない。

 営業職かな?


「もしかして宇治上先輩たちと知り合ったのも、お仕事の最中だったんですか?」


「大正解だ。俺が彼らと出会ったのも仕事中で、なおかつトラブルの真最中だったよ。当時は水無月さんたちが大人顔負けの機転を披露して、図らずも俺がその恩恵にあやかってしまった。だから、いずれ借りを返そうと思っているんだが、中々機会が巡ってこなくてさ」


「そうなんですか……」


 漠然とした話でイメージは出来ないけれど、ドラマのエピソードみたいに聞こえてしまう。


「僕と違って、宇治上先輩はその頃から優秀だったんですね」


「宇治上かい? アイツも難儀だよな。行動力も根性もあるのに、水無月さんたちと比べると、さすがに年相応の子供だ。周りからも評価はされづらいだろう」


「え?」

「ん?」

 宇治上先輩が、年相応の子供?


「さっきの話だと、先輩たちが活躍したって話でしたけど……」


「あぁ、だから俺が借りを作ったのは、水無月さんたち女性陣のほうさ。中には飛びぬけて頭が回る子もいて、天才はいるものだと感心したよ」


 僕は、冷や水を掛けられたように固まった。

 盛大な勘違いをしていたかもしれないと気付き、胸の奥がざわつく。


 鏑矢さんは僕の変化に気付かないまま、明るく笑った。

「君の口振りからすると、宇治上も今は頼れる先輩に成長したのかな?」

「……ええ、よく助けてもらっています」


「そうか。水無月さんたちと過ごす内に鍛えられたんだろう。子供の成長は早いもんだ。――おっと、俺たちはそろそろ仕事に戻る時間だ。再会の記念に、ココの代金は俺が持つよ」


「いえ。そんなわけには――」


 言い終わらないうちに、鏑矢さんは伝票を拾い上げてしまった。

 そのまま同僚の方とレジに向かい、清算を済ませてしまう。

 戸惑いつつ視線を向けていると、にこやかに手を振って去っていった。


「折角のご厚意だし、ありがたくいただこう」

 気持ちよく奢られるのも若者の務めさ、と坂巻先輩は笑った。



 僕は、ちゃんとお礼を言えなかったと気付く余裕もなかった。

 鏑矢さんの話が、頭の中でぐるぐると回り続けている。


「さっきの鏑矢さんの話は本当なんですか?」


「……うん。当時の樹を客観的に評価していると思う。隆峰君が四年前の樹を見たら、きっと驚くだろうね。今からじゃ想像できないくらいに普通だったからさ」


 坂巻先輩は真面目な話を嫌うように、大袈裟な抑揚をつけて言った。


「仕方ないよね。環境が人を作るというなら、ラブコメ主人公に仕立て上げられた樹が何も変わらないなんてありえない」


 そう言って、おどけた仕草で僕に右手を開いて見せた。


「『何度も騒動に巻き込まれて』、『自分の無力さを痛感させられて』、『水無月さんたちの才能を見せつけられて』、『人の黒い部分に毒されて』、『同級生たちには嫉妬と嘲笑をぶつけられて』――紆余曲折あった末に、樹は今の形になった。ソレを成長と呼ぶなら聞こえはいい。でも、僕には刀を打つように、何度も何度もつちで打たれた結果に思えてならない」


 指折り数えて閉じられた手が、コツコツとテーブルをノックする。


「ちょうど一年前だったかな。樹はポツリと零したんだ。『俺の中学時代が物語なら、結末はバッドエンドだ』って」


「っ……」


「樹は経験を積んだ強くてニューゲームの状態だけど、水無月さんのような多才な人とはやっぱり違う。今回の騒動も、樹に任せておけばいいよ。多分、それほど余裕があるわけでもないからさ。指導係としてはサービスが行き届かなくても、暖かい目で見てあげてほしいな」


 冗談めかしてそう締めくくると、タイミングよく注文の品が運ばれてきた。


 僕は差し出された器を機械的に受け取る。

 でも、湧き上がってきた後悔で、手を付ける気分になれなかった。



 僕は、自分の見たいものだけを見てきたのかもしれない。

 強いヒーロー像を宇治上先輩に押し付け、昔から頼りになる人だったのだと勝手に思い込んできた。


 過去の経験も、どこか武勇伝のように聞いてきた。

 経緯はともかく、難題を突破してきた人なのだと、都合の良い解釈をしてきた。


 イベントの中でどれだけ足搔いて、変化を強いられてきたかなんて、考えもしなかった。

 今まさに自分が同じ境遇に置かれているのに……!


 そんな自分の盲目さに気付きもせず、宇治上先輩と比べて力不足を嘆くなんて滑稽としか言いようがない。



「……そうですね。先へ進みたいなら、今からでも行動しないと」


「そうそう。今から早速…………えっ。あの、僕の話をちゃんと聞いてた? 今は焦らず樹に任せればいいって話をしていたんだけど」


「でも、宇治上先輩を巻き込んだ僕が、ただ見ているだけなんてやっぱり出来ません。よく考えれば、先輩と一緒に調査をする必要は無いじゃないですか。個別に動けば、イベントが起きても宇治上先輩に迷惑を掛ける可能性は低いはずです」


 腹を括って決意を口にしていると、段々とボルテージが上がってきた。


「そもそも、宇治上先輩だって割と好き勝手に行動していましたからね! 体育祭の打ち上げでは、相談もなく水無月さんに幹事役を投げ渡していましたし、面談でも予定になかった内容を口走っていました! 多少迷惑をかけても今ならプラマイゼロですよ!」


「う、うん。そっか。隆峰君も苦労しているみたいだね。ところで、一回水でも飲んで落ち着かない?」


 僕は差し出されたお冷を受け取り、一気に飲み干した。


「ありがとうございます。おかげで頭が冴えてきました。こうなったら、宇治上先輩より先に犯人を捕まえて、先生たちに突き出してやりますよ! ふっ、ふふふふふふ」


「えぇ、余計ハイになってる……。コレ本当に水だよね? アルコールとか入ってない?」


 まじまじとピッチャーをあらため始めた先輩の前に、空いたグラスを置いた。


「坂巻先輩も手伝ってくれますよね?」

「うぇ!? それは、僕が樹に怒られるかなぁって」


「犯人確保のためですよ? 先輩も休み時間に情報処理室のパソコンを調べていたじゃないですか」

「げっ。見てたの?」


「すいません、見てません。カマをかけただけです」

「……僕、狡賢いところまで樹を真似しなくてもいいと思うなぁ」


 坂巻先輩は哀愁を帯びた表情を浮かべてから、深く俯いた。


「分かった。出来る限りで手伝うよ。今の隆峰君を野放しにするのはちょっと怖いし」


「ありがとうございます! 早速作戦会議をしましょうか!」


「……ごめん樹。僕どこかで選択肢を間違えたかも」


 坂巻先輩がぼそっと呟いたけれど、僕はラーメンを啜って、全力で聞こえないふりをした。

 すいません! ホントすいません……!

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