17 ■ SandBag ■


 次の日の朝、目を覚ましたけれどなかなかベッドから出れずにいた。

 私はベッドの中で赤面していた。


 冷静になると、昨晩のことは本当に本当だったのか、あんな恥ずかしい話をしたのが本当に自分なのか、とか怒涛に押し寄せてきた。


 ……ど、どういう顔して学院行けばいいの!?

 か、彼には会いたい、とても会いたい。

 しかし……私はいつもどんな顔で彼に会ってましたっけ?


 あれは本当に私に起こった出来事なのだろうかと、夢だったじゃないだろうかと思ってしまう。

 夢だったら困るんだけど。


 そして、こんなに恥ずかしいのに、喜びが心に広がっている。



「お嬢様、起きてくださいまし」

「は、はいっ」

 侍女が起こしに来た。

 私は平静を装って起き上がる。


「お嬢様、お客様がいらっしゃるのと、大事なお話があるとのことで今から私のほうで全てお支度をさせていただきます」

「え? こんな朝早くに? あれ? じゃあ学院休まないといけないの?」


「学院は今日はお休みになりますね。ああ、お客様がいらっしゃるのは正確には朝食の後ですね。……お嬢様おめでとうございます。きっとご婚約のお話ですよ」


 「え」

 私は表情が固まった。



※※※


 来客用の居間には、父と母と――シモン様がいた。

 朝食の時に、相手はシモン様だと聞かされた。


 非常に複雑だ。

 おそらく、恋をする前の私でもそう思う。

 彼は私にとって、兄の友達で、同時に家族のように思ってる相手だ。

 私はずっと一生、そんなお兄様でいてもらいたかった。


「やあ、二人共おめでとう」

 父が言う。

「やっと話しがまとまってホッとしたわ」

 母が言う。

 やっと話がまとまって……つまりずっと話し合いをしていた訳で。

 どうして私には決定してからしか、教えてくれなかったの。


「ありがとうございます。アイリス、よろしくお願いしますね。ふふ、8つも歳が離れていますが、年齢が離れすぎですかね?」

 シモン様が言う。

「とんでもない。普通の範囲ですよ」

「そうですわ、まったく問題ありませんわ」


「……」

 私は、おめでたくもなければ、ありがたくもなく、言葉がでなかった。


「どうしたアイリス、シモン君なら昔なじみだから、嫁ぎやすいだろう? 領地も隣だし、実家にも帰って来やすい。なにより、彼には懐いていただろう?」


 話を聞いているとこういうことだった。

 従姉妹と婚約破棄になった時に、シモン様の領地とは信用が損なわれ、お父様は信頼回復をずっと図っていた。ときにはうちの領地の採掘権利を数年譲渡したり、支援金を贈ったりして。


 また、我が家とサイプレス家は、数代に一度婚姻を結ぶ約束をしており、それが従姉妹とシモン様だった。

 その約束を再度結び果たす為、私との婚約を内々に相談していたらしい。


 そして私がそろそろ成人が近づいてきたことと、シモン様が婚約を承諾した為、話がいっきにまとまったらしい。

 シモン様も、私が妹のようだったけれど、最近は大人として受け入れることができそうだから、と承諾されたとの事。

 従姉妹の件での確執は、これで埋め合わせとなるらしい。


「……ほんと、申し訳なかったから今回こういう運びになって本当、丸くおさまってよかったわ」

「アイリス? さっきからどうして黙っているんだい? さすがに失礼だよ?」


「……わ」

「私は何も、聞いていませんでした。私は、承諾してません……。私はシモン様とは結婚できません」


 居間が静まりかえる。


「何を言ってるんだ? この縁談を受けないでどうする? ああ、いきなりだったからビックリしているんだね、アイリス。すまないね、もうすこし早く話しておいてあげればよかったね」


 まったくですよ、お父様。

 でも、態度を見るに、私の気持ちなどどうでも良さそうだ……。

 お父様にとって私がお父様の言う通りのところへ嫁ぐのは当たり前だから、気持ちなんて関係ないのだ。

 きっと彼にとっては、仕事で配属替えを命じることとなんら変わらない。


「そうよ、貴族令嬢が結婚しないでどうするの? まあ、いきなり聞いたから仕方ないのかもしれないけれど、こんな場で言うことではありませんよ、アイリス」


 母にたしなめられる。

 母もたしか家同士で固めた結婚だったはず。

 彼女は伯爵夫人であることに誇りをもっているタイプで、やはり私が父に従うことは当たり前だと思っているはずだ。


 色々と憂鬱ではあったけれど私もこの間までそちら側だったから、彼らの意見は理解はできる。

 けれどもう、私はそっちへは戻れない。

 それにしても、どうしよう、ヴァレン君にも相談できないで、こんなことになるなんて。


「……。ひょっとして、ヒース君が気になっているのですか?」

 シモン様が言う。


 え……。


「ヒース?」

「ま、ひょっとしてヒース男爵家のこと?」

「ええ、最近。アイリスと部活で仲がよろしいのを見かけていました」


 喋ってはいけない、なんてことはないけれど……このタイミングでヴァレン君のことを話すなんて……。

 どう考えても私にとって悪いことにしかならない。


 今までのやさしいシモン様からは考えられない。

 むしろ、今の今まで、シモン様に相談すれば婚約回避できるかも、と考えの一つに浮かんでいた。

 私は今まで彼のそういった貴族的な側面はあまり見たことがなかった。

 

 うそでしょう、シモン様。


「アイリス、まさかおまえ。……あんな平民同然の男爵家の子と懇意にしているのか!?」

 父の顔が怖くなる。


「うそでしょう? いくら王家に気に入られてて、母親がリーブス公爵令嬢だったとはいえ、彼女も養子でしたし……。我が家とは釣り合いが取れないのよ?」


 この人達は一体誰なんだろう。

 本当に私の父と母と――そして兄と思って慕っていたシモン様なのだろうか。


「アイリス、これは私からのお願いなんですけどね。悪いけれど部活は辞めてほしい。だめですか?」

 信じられない。

 今後この話しがすすんで、結婚に至ったとして、私は彼をもう好きにはなれない。


 シモン様は、私を傷つけても平気なの?

 あなたを嫌いになった私を妻にするの?


「いや、構いませんよ。アイリス、部活はやめなさい」

「あと、そのヒースの子とはもう付き合ってはいけませんよ」


「……」


 ――気持ちが悪い。

 ずっと兄だと慕っていたシモン様が急に知らない男性に見えて気持ちが悪い。

 父と母が私を売り払う悪人に見えて気持ちが悪い。


 そして私の伯爵令嬢としての覚悟など、この現実の重みには簡単に押し潰されるほど、弱いものだったのだとも思い知らされた。

 たとえ誰か好きになったとしても、私は伯爵令嬢としてどこかへ嫁ぐことなど普通にできると思っていた。

 ……できない。


 こんなにつらい事だったなんて。


 私がずっと俯いて黙っているので、場の空気は悪くなり、その後しばらくして解散となったが、私はその後、罰として一週間ほど部屋に謹慎という名前で幽閉された。


 また、学院は辞めさせられなかったものの、部活は辞めさせられ、クラスは隣のクラスに移動させられた。

もちろん、ヴァレン君に個人的に会うことも禁止された。


 逆らいはしなかった。

 多分これ以上逆らうと、今度は学院すら辞めさせられる。





※※※


「アイリス、少しは落ち着きましたか?」

 幽閉中、シモン様とお茶することがあった。

 その時だけは、庭園に出ることを許された。

 正直会いたくなかった。


「……」

「大丈夫ですか?」

「……」


「そんなに私が嫌いですか?」

「貴族としてあなたは何一つまちがっていません。でも私にとってあなたは、兄同様でしたので……ショックを受けています。あなたはまず私の気持ちを聞いてくださる方だと思っていました」


 そう、とても信用していた。

 婚約するということだけでも、ショックなのに。


 あの席、あのタイミングで、ヴァレン君の名前を出された。

 この人は、私が何を大事にしていてそれが自分にとって障害となると考え、私を傷つけるのもいとわず、排除したのだ。

 それはこの人が貴族だからなのか、もともとそういう性格だったのかは知らないけれど。



「ヒース君のことを、怒っているんですね。でも、これは私にとって当然の権利だと思っているし――私は君にサティアみたいにになってほしくないんですよ」


「サティアお姉様と私は関係ありません。また、サティアお姉様が愛したのは平民の方です。

 ヴァレン君のおうちはれっきとした資産ある男爵家です」


「資産があるのも錬金術に長けた家系なのも存じていますが、貴族としては私は認めたく有りませんね。

 確かにお美しいお母様から生まれたおかげか、容姿がよろしい少年ではあります。

 惹かれる気持ちもあるでしょうが、知っていますか? あそこの領主も実は養子。養子だけで成り立っている。その血筋は平民以下でしょう。話しになりません」


 ピクリとした。

 ヴァレン君のお母様にそういえばパーティで目を惹かれてましたね。

 だいたいヴァレン君はお父様似ですよ。

 それにしてもアドルフお祖父様のことまで……。

 だんだんと、シモンさまの裏の顔が見えてきて、気が滅入る。


「シモン様。お互いこんな歩み寄りがない感じならば、婚約は破棄したほうがいいんじゃないでしょうか」


 ひょっとして、この人はサティアお姉様にもこんな感じで接していたのだろうか。

 だとしたら、今まで私に優しかったのはいわゆる『外面』。


「貴族の婚約に気持ちは要らないってわかってますよね? 君が私を愛するつもりがないように、私も君を愛するつもりはありません」


 ――信じられない。この人は本当にシモンお兄様なの。

 こんな。こんな人を私は今まで慕っていたの?


「愛するつもり……いや、たしかにそこを言われたら私も痛いんですけど、婚約を決めたのはあなたですよね? せめて歩み寄りとか、今までのように仲良くやっていこう、とかはないのですか? むしろ今までの私達の関係はどこへ行ったのです?」


 彼のあまりにもの豹変ぶりに私は悲しくなった。

 婚約のことは別として、私の慕っていたシモン様は、どこへ行ってしまったの。

 私がいくらヴァレン君を好きだからといって、いきなりこんな風になるほど短い付き合いでもないでしょう?

 思い返せばサティアお姉様がいなくなる前、私が8歳になるよりも前から懇意にしてくれていたはずじゃないですか。


「君がサティアに似てきた上に――あんな平民みたいな男爵家の息子と仲良くしていたからですよ。そろそろちょうど、お飾りの妻も欲しかったところでしたし」


 シモン様は楽しそうに微笑んだ。


「……はい?」

「サティアの件は、今でも私の汚点です。許せない。誤解してほしくないのですがね、君のことは最近まで本当に可愛いと思っていましたよ。でももう、君を見るとサティアがちらついてね。それだけではなく、可愛がってきた君が平民同然のヤツと幸せになることなど、見過ごせませんね。まさかサティアと同じチョイスをするとは……」


 嘘でしょ。まさかそんな理由で。


「私に……サティアお姉様を重ねるのはやめてください」


「だが、君はサティアの代わりであり、補填です。君の両親にとってもです。

 君はサティアの代わりに――罪を償うんですよ」


 罪。

 サティアお姉様の罪。それが代わりに私に背負わされるの?

 信じられない。


 ……この人は、なんだかんだサティアお姉様を忘れられず欲しているんだ。

 そしてお飾りの妻、と言ってるあたり、すでに愛人がいるんだろう。あれだけ女性に人気があるのだから、いてもおかしくない。最悪だ。

 なるほど、私はとても都合がいい相手だ。同格の貴族の娘で自分の横に並ばせるには程良く、両親が熱烈に自分との繋がりを求めてきて、私が何を言おうと、娘の両親も兄も自分の味方……。



「そんなにサティアお姉様を気にしているなら、仲直りして修道院へ迎えに行ったらいいじゃないですか」

「あんな他の男の手に渡った傷物、何故私が引き取らなきゃいけないんですか?」


 酷い言い方だ。

 サティアお姉様が欲しいのに、プライドが邪魔して愛せないジレンマを感じる。

 ああ、そもそもサティアお姉様が彼を愛していないのだった。


 婚約相手を誰でも良いと思っていたかつての自分を殴りたい。

 まさかこんな。サンドバッグにされるための婚約をさせられるとは……思わなかった。



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