ホルスの宝島

育岳 未知人

プロローグ

アンディこと安藤襄治(あんどうじょうじ)は日本のエジプト考古学における第一人者で、もうすぐ還暦を迎えようとしているが一向に老いを感じさせないダンディなおじさんである。

彼はピラミッド遺跡などに代表される古代エジプト古王国から中王国時代の建造物を主要研究分野としていた。しかし、彼は今、王家の谷などで有名なエジプト南部の都市ルクソールからナイル川をさらに100km程南に遡った先の東岸に位置するコム・オンボ神殿に居る。この神殿遺跡は、エジプトの天空神かつ太陽神とされるハヤブサを冠するホルス神と、ナイル川のワニを神格化したワニを冠するセベク神とを祀る非常に珍しい二重神殿である。そして、この神殿からナイル川を北に下ると西岸にはホルスを象徴するハヤブサ像が出迎えるエドフ神殿が鎮座している。いずれの神殿遺跡も、古代エジプトの長い歴史から見るとそう古くもないあのクレオパトラが最後に統治したプトレマイオス朝の時代( 紀元前332-32年 )に建設された建造物で、彼の研究分野からはいささか外れた分野の建造物なのである。しかし、エドフ神殿の建設は碑文によると実は紀元前1500年頃には既に計画されていたらしい。紀元前1500年頃と言えば、古代エジプトの中王国時代( 紀元前2060年頃~ )と新王国時代( 紀元前1540年頃~ )の狭間となる第二中間期が終わり、新王国時代へ移り変わって行く頃と重なる。その第二中間期にはエジプト民族とは異なるヒクソスと呼ばれた異民族の王が現在の首都カイロの近くのアヴァリス辺りを中心にエジプトを統治していたとされている。しかし、その後エジプト第18王朝の王イアフメス1世がヒクソス第15王朝を滅ぼして再統一し、エジプトで最も栄えたと言われる新王国時代が始まるのである。アンディは、砂漠に守られ外的侵入をあまり受けることなく脈々と続いた古代エジプトの長い歴史の中で異民族支配と交差するこのホルス神にまつわる不思議なエジプトの歴史を解き明かしたくて、自分のテリトリーを逸脱しつつもこれらの神殿遺跡の建造物を巡っていたのである。


ハルこと井川晴海(いかわはるみ)は東京の東都基督教大学総合病院の脳神経外科に勤務するアラサーの看護師である。彼女は、今まさに脳動脈瘤が破れてくも膜下出血を起こし意識不明に陥った中年男性患者の半日にも及ぶ大手術の真最中であった。現在では、カテーテルによる内視鏡手術の普及により生存率は向上しているものの、彼の場合出血が広範囲に及び、一命は取り留めても何らかの後遺症が残る可能性は否めない。彼女は敬虔なキリスト教信者で、手術を前にして礼拝の場ではいつも受け持った患者の復帰を神に祈った。予断を許さない長くて短い大手術は、経験豊富な中山医師の下、スタッフ一丸となり一つ一つ順を追って着々と進められて行った。そして、窓に夕日が指す頃に何とか患者の患部処置が無事終了したようだった。皆の顔に少し安堵の表情が浮かんでいた。ハルはこのような時にいつも思うのである。患者の人生とはどのようなものだったのだろうか?と。そして、神はこの人の人生を続けさせることを私たちに委ねたのだと。


マナティこと千葉学(ちばまなぶ)は、大学を卒業後もフリーターと宝探し系のユーチューバーで何とか生計を立てながら学生時代の探検サークルで培った冒険家魂と一攫千金の夢を抱くいわゆるトレジャーハンターである。そして、彼には大学時代からの付き合いなのだが、困ったときにいつも手を差し伸べてくれる女神のような女性が居た。マナティたちは今沖縄から更に南に移動した日本最南端の島で浜辺に佇み、海の声を聴きながら新しい未来のテーマを模索していた。


この一見するとまったく接点など無いと思われる三人ではあるが、アンディの神殿遺跡調査をきっかけに少しずつ運命の糸が繋がって行くのである。

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