清楚系幼馴染に私で童貞捨てたくせにと言われた話。
いぬかい?
プロローグ
放課後、教室の窓際に腰を下ろした
クラスメイトたちは帰り支度を進め、教室には軽いざわめきが満ちていたが、一樹の耳にはどこか遠い出来事のようにしか届かない。机に肘をつき、気の抜けたため息を落とすと、胸の奥に沈んだ重さだけが、やけにくっきりと自己主張をしてくる。
「……何もする気が起きないな」
いわゆる五月病という名の倦怠が、体の隅々にまで根を張ってしまったのかもしれない。やらなければならないことは山ほどある。それなのに、どういうわけか心も体も、ひとつの歯車として噛み合ってくれない。
そんな惰性の午後を破るように――。
「やっぱりここにいましたね」
軽やかな声が教室の入口から滑り込み、開いたドア越しに
「……海咲か」
「『海咲か』じゃないですよ。一樹君、またおさぼりですか?」
海咲は呆れたような、しかしどこか安心したような微笑を浮かべて、一樹の隣に静かに腰を下ろした。椅子がきしむわずかな音さえ、教室の空気に柔らかく溶けてゆく。
「別にダラけてるわけじゃない。ただ、何もしたくないだけ」
「それをサボりって言うんですよ」
海咲はくすりと笑い、一樹の机に肘を預けたまま、覗き込むように顔を近づけてくる。その瞳には、春の終わりが惜しまれているかのような、微妙な光の揺らぎがあった。
「にしても、一樹君最近モテモテじゃないでしょうか」
「は?」
唐突に差し込まれた話題に、一樹は眉を寄せる。
「この前なんて、石原さんと一緒に下校してましたよね?」
「ああ、たまたまだろ。駅の方向が同じだっただけだし」
「ふーん?」
海咲の視線がまっすぐに向けられる。その頬杖をついた横顔に、不機嫌を装いながらも、どこか寂しげな影が差した。
「別に誰と帰ろうが自由だろ」
「それはそうですけど。でも――」
海咲はふいに一樹の制服の袖を指先でつまむ。その仕草は何気ないはずなのに、小さな体温が布越しに伝わってきて、一樹は思わず息を詰めた。
「……一樹君、私のことちゃんと見てます?」
「は?」
「最近、私の扱いが雑な気がするんですよねー」
海咲はわざとらしく頬をふくらませ、つまんだ袖をそっと離す。その軽さが、かえって一樹の心に引っかかる。
「だから今日は、一緒に帰ってほしいんです」
一樹は肩をすくめ、小さく息を吐いた。
「なんだ、そんなことか」
「そんなこと、じゃないですよ」
海咲は唇を尖らせ、ほんの少し間を置いて続けた。
「その前に、一つお願いがあります」
「……嫌な予感しかしない」
「先生に頼まれた書類を、生徒会室に届けてほしいんです。私、ちょっと忙しくて」
「結局、こっちに面倒ごとを押し付けるのかよ」
文句を言いながらも頷く一樹。そのとき、海咲はまるで悪戯の仕上げを思いついた子どものように、声の調子をさらりと変えた。
「ふーん。一樹君って、私で童貞捨てたくせに冷たいですよね」
「ぶっ!!」
一樹は勢いよくむせた。肺が驚いて跳ね返ったような音が漏れる。
「……はあああ!?!?」
突然の爆弾発言に硬直した一樹を前に、海咲は肩をすくめ、笑いを噛み殺すようにして続ける。
「冗談ですよ、冗談」
「お、お前な……! 変なこと言うな!!」
「そんなに動揺するなんて、もしかして……」
海咲はにやりと笑い、一樹の顔を覗き込む。その目はどこまでも悪戯好きで、しかしその裏に、彼だけが知らされていない海咲の気持ちが、ほんのわずか潜んでいるようにも見えた。
「ま、そんな可愛い反応してる時点で、まだまだですね♪」
いたたまれなくなった一樹は、勢いよく立ち上がった。
「もういい! 生徒会室に行ってくる!」
「はーい、頑張ってくださいね♪」
海咲は軽やかに手を振る。その笑顔には、からかいと親しみと、どこか名残惜しさがゆるく溶け合っていた。
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