第8話 それはあまり淡くない思い出
特に何も意識してないのに、稀に過去を思い出すことがある。
Yの悪夢。
しかも、嫌な過去ほど鮮明に思い出すからやるせない。
それは僕が小学5年生だった頃──
「例えばだぞ! ここまで飛んだとするべ。そしたら、すげーと思わね?」
町内で一番おおきな公園。何が目的か、ここの鉄棒には、普通の高さの他に、2・5メートルを誇る、通称、富士鉄があった。
その富士鉄にジャンプをして手が届くようになったのが5年生になったつい最近。当時の僕たちはそんな他愛もない事で嬉しかったのだろう、暇さえあればぶらぶらとぶら下がっていた。この日もいつものように。
「へー。すごいね、男子たち。そんな高い鉄棒に手が届くんだ」
いつの頃も厄災は女の声と共に現われると相場は決まっている。
富士鉄にぶら下がったまま振り返る僕たち男子5人。
後ろのベンチにはクラスの女子が4人座っていた。
その中には僕が気になっている子も……。
「なんだ、鈴木たちか。塾の帰りか?」
S渡辺はこの頃から凄い奴。富士鉄から手を離して地面に着地をすると、女子グループの“しかも”リーダー格に臆することなく話かける。腰までのロングへアーが気品を漂わせる、学年一の美女と噂される鈴木さんに。
「そう、塾の帰り。渡辺たちはナニしてるの?」
「別に特別なにってのは……」
と言い掛けてる最中に、あのバカが割って入った。
「と、飛ぶッ!」
でんちゃん。この頃からその危険な思考回路はデンジャラス・でんちゃん。
「飛ぶってなにが?」
女子4人は小首を傾げる。僕たち男子も傾げてる。
「便所って知ってっか?」
いきなり下ネタ……さすがはデンジャラスと思っていると、僕の隣でボトケがでしゃばった。
「ごぎゅ、ごぎゅ。便所ってあれだろ。鉄棒にぶら下がって、腕の力だけで体を前後に振って、それでその助走だけで地面に書かれた線を飛び越えるっていうゲームの事だろ」
説明ごくろう様。ごぎゅごぎゅ。
◇◇◇
それにしてもひどい名のゲームだ。便所。勢いが足りずに線を飛び越えられない事を卑下して“便所に落ちる”と比喩してるのだから。
「例えばだぞ! 例えば。例えばよー、ここまで飛んだとするべ。そしたら、すげーと思わね?」
バカは物凄くやる気だ。賛成も反対もしていないのに、靴の爪先で地面に線を描き、勝手に話を進めている。こうなると女子の期待を裏切るようで反対なんてできやしない。
いや、僕は思わず「ちょっと待て」と声を大にした。
バカが地面に引いた線が、それが半径2メートルを越す果てしないものだったからだ。
「それは遠いって。鉄棒にぶら下がって身体を振っただけの力じゃ絶対に飛べないって」
「おまえはな。俺なら余裕だ」
でんちゃんはどの口でそうほざいてるのだろうか、富士鉄にぶら下がるのでさえ助走をつけて飛ばなければ届かない分際で。足も腕も体も誰よりも短い分際で。
飛べるかーッ! って言い放ってやろうとした刹那だった。学年一の美女がこう言ったんだ。
「じゃあさ、じゃあさ。飛べた人は、ご褒美にわたしたちと一緒にプリクラってのはどう?」
僕は口を開けたまま思わず固まった。
「鈴木。そんな程度じゃ全然ダメだ」
と、間髪入れずにそう返したのはS渡辺。続く言葉はさすがを越えた。
「ツーショットだ。じゃなきゃ、あの距離は飛べない。理屈を飛び越えるには、それなりの餌をよこすのが道理ってものだろ」
当時ここに居るメンバーは全員、小学5年生。けど僕たちはS渡辺の大人びた駆け引きに違和感を抱くことなく、ツーショットという淫靡な台詞に興奮していた。
「う~ん。どうしよっか……」
女子たちの会議が始まった。永遠とも思える3分間の結末は……「いいよ」だった。
ぶはッ!!
僕が3分間息を止めていたかどうかは記憶にない。ただ握り締めた拳を高々と掲げて、ありがとうと心の中で叫んだのは確かだ。
誰かにではない。みんな、ありがとう! と。
年令に関係なく、男はいつだって女が好き。
《次項に続く》
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