第28話 ミア
「リーナ、昼食です」
「ミア、マレール!」
この国に来てから、一か月が経とうとしていた。
エクトルさんの身体を蝕む瘴気も、オルレアンの瘴気も順調に消えていっている。
私が時間を忘れて無茶をしないようにと、正式にミアが昼食を差し入れる係になった。
ミアに負担の無い仕事が出来た上に、私も彼女の手料理が食べられて嬉しい。
「私、マレールが大きくなったら騎士団の厨房で雇ってもらえることになりました」
「本当!?」
ベンチにかけながら報告してくれたミアに、私も歓喜の声をあげた。
「リーナのおかげです。あなたの昼食係がきっかけでしたので」
「えー? ミアの作るご飯、本当に美味しいから、あなたの実力だと思うな」
私はミアが作ってきてくれた昼食にありつきながら言った。
ミアは料理の腕が良い。しかも、パン屋で働いていたため、パンまで焼けちゃうのだ。
ミアの焼くパンの香りに釣られ、騎士の皆がミアを厨房に、と切望したのだ。
「マレール、また大きくなったんじゃない?」
ミアの焼きたてパンを頬張りながら、私は成長した赤ん坊に目をやった。
『マレール』とは、旧カザン語で『海』を意味する言葉。
私たちは普段、カザン語を使う。旧カザン語は主にオルレアンで大昔に使われていた言語だ。
「ええ。あなたのおかげで加護があるのかも」
ミアは母の顔でマレールを抱き、見つめている。
アパタイト――聖獣である彼の瞳が海色だったことから、私はミアの子供に『海』を意味する名前を付けた。聖獣であるフェンリルの加護が、ミアの子供に与えられますように――幸せになりますように――と願いを込めて。
「そういえば、あの人も隊長に就任したみたいです」
「あの人って……オーウェン!?」
驚く私にミアが頷いた。
(早すぎない……?)
改めて私の元護衛、凄いと思う。
オーウェンは騎士団で昇進して、私の両親の死の真相に迫る、と言っていた。
「ねえ、ミア――」
彼の情報が私に入るはずもなく、唯一接点のあるミアに聞くしかない。
オーウェンは、オーウェンこそ無茶をしているんじゃないか、そう聞こうとした時。
「あ、紅茶を入れてきたのを忘れてきたみたいです」
「私、取ってこようか?」
ミアがしまった、という顔で思い出して言ったので、私は立とうとした。
「私行きます。マレールをお願いできますか?」
ミアは抱えたマレールを、私の膝に下ろした。
「うん」
私の返事を聞くと、ミアは「すぐ戻ってきます」と言って聖堂を出て行った。
私の昼食係になってからは、ミアは騎士団の厨房を使わせてもらっているらしい。寮よりもこの聖堂に近いので、ミアはすぐに帰ってくるだろう。
私は託されたぬくもりに目を落とす。
マレールはすうすうと寝息をたてていた。
少しの間でも、大切な我が子を私に預けてくれたミアに、心がくすぐったくなった。
最近では笑顔も少し見せてくれるようになった。ミアの信頼を得られているのだと嬉しくなる。
じっと見つめていたマレールが、ふ、と覚醒をした。
(わ……目を開けるところ見るの初めてかも)
会うときはいつも寝ているか、ミアに抱きかかえられていて、マレールをじっくり見るのは初めてだった。
ぱっちりと目を開けたマレールは視線を漂わせている。
「あれ……」
初めて見るははずのマレールの瞳に既視感を覚えた。
美しいオパールグリーンの瞳。
(まさか……?)
きゃ、きゃ、とマレールが私の後ろに向かって手を動かした。
がたん――――。
何かが落ちる音がして振り返ると、ミアが戻ってきていたようだった。
「ミア――?」
足元に水筒を転がし、蒼白な顔で立っていたミアは、私の呼びかけにハッとし、その場で土下座した。
「ミア!?」
「申し訳ございません、アデリーナ様!!」
「ちょ、ちょ、どうしたの、ミア!?」
マレールを抱きかかえているので、私は動けないままミアに慌てて声をかけた。
「私はあなたに助けてもらえる資格なんて無いのに、あなたといるのがいつの間にか楽しくて……与えられた穏やかな日常を手放したくなくて……本当のことを言うのを先延ばしにしてきました」
額を床につけたまま、ミアは震えながら言った。
ミアは、オルレアンに来たばかりの頃、事情を話そうとしていた。それを止めたのはオーウェンだ。
それからも私のせいで環境が変わり、ようやく今落ち着いてきたのだ。ミアが言うタイミングを逃していたことを誰にも責められない。
「私は、ミアが話したくなったら話してくれれば良いって思ってたよ」
私の言葉にミアが恐る恐る顔を上げた。
私はミアを探すマレールの小さな手をそっと包んで言った。
「マレールは、ミアとヘンリー殿下との子供なんだね」
ラヴァルを離れ、すっかり忘れていた。思い出したくもない、私の元婚約者。
ラヴァル王家に連なる、オパールグリーンの瞳は、マレールの父親が誰なのかを証明していた。
「…………はい」
私の問いに、ミアは真剣な面持ちで返事をした。
まさかとは思いつつも、私はその可能性を考えなかったわけではない。
でも実際に、その事実を目の当たりにして、私は必死に冷静であるよう、保っていた。
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