第19話 兄と弟
「そうか、やはりラヴァルは裏で我が国に攻め入ろうと画策していたんだな」
「そのようです」
エクトルはラヴァルで得た情報を皇帝に報告していた。
オルレアン帝国の皇帝で兄でもあるアインリシュ・オルレアンは、エクトルよりも六歳年上。
28歳にしてこの帝国を取り仕切るこの皇帝は有能で、国民からも愛されていた。
聖魔法を受け継いだ弟を頼りに思いながらも、エクトルの短い生に心を痛めていた。
「しかし、お前が両足で難なく歩く姿をまた見られるなんて、その聖女には感謝だな」
「はい」
エクトルがリーナに命を救われたこと、足を治してもらったことを報告すると、アインリシュは兄の顔になり、喜んだ。
「まさかラヴァルから聖女が二人も我が国に来るなんて、僥倖だ」
「どういうことです?」
兄の言葉にエクトルは説明を求めた。
「ラヴァル王国、ヘンリー王太子の婚約者が聖女ということは知っているな」
「はい」
「彼女が婚約破棄で我が国に国外追放となった」
「――!? ラヴァルが、聖女を手放した!?」
突如力を発現させたリーナはともかく、頑なに聖女を国外に出さなかったラヴァルの行いに、エクトルは驚愕した。
「彼女は聖女を語った罪で国外追放になったそうだ。聖女の力を偽り、仕事もせずに私欲を貪っていたらしい」
王太子であるヘンリーからの書状を手に、アインリシュは苦笑した。
「しかし、彼女の力は部下たちも証言しており……」
八年前、国境沿いに聖女の力を使ってくれていた少女の話は、当時騎士団の部下から報告を受けていた。
特に腹心の部下だったユリスはアデリーナに心酔していた。
(どういうことだ? 元々、エルノー侯爵夫人にしか力がなかったとか……?)
「まあ、あの国の王太子が言うことだ。真偽は彼女がこの国に来てからでいいだろう」
考え込むエクトルに、アインリシュが声をかける。
「しかし、本物の聖女ならばラヴァルが手放すはずはありません。王太子妃の座に納まるため、本当に力を偽ったのかもしれません」
「彼女はこの国の恩人だとお前も言っていただろう」
「女は変わりますので」
「エクトル……」
弟は元婚約者のせいで、女性に対する目が厳しくなってしまった。そのことをアインリシュは憂いていた。
「とにかく……隣国の動きもある。彼女は我が国の聖女として迎え入れ、協力を仰ぎたい」
「というと?」
エクトルは兄の言葉に嫌な予感を覚えた。
「彼女をお前の妻として、皇族に迎え入れたい。元は侯爵家のご令嬢だったのだから問題ないだろう」
「兄上……!」
陛下、ではなく、思わず身内としてエクトルは叫んでしまった。
「お前にも相手がいないのだから問題ないだろう。アニエスのことをいつまでも引きずるのは良くない」
「しかし……私は早くに死んでいく身です……そんな男に誰が嫁ぎますか?」
「私の子供は聖魔法を持たずに生まれた。やはりお前の子供に期待するしかないんだ。この国のため、早く死ぬと言うなら、妻を娶り、子供を成せ。王族に嫁ぐ予定だったんだ。彼女も受け入れなくてはならないことくらい理解するだろう」
兄の厳しい言葉にエクトルは唇を真横に結んだ。アインリシュはすでに皇帝の顔になり、エクトルを見つめていた。
「皇命だ、エクトル。アデリーナ嬢と結婚し、子供を成せ。そして彼女に聖女の力を行使させろ。お前がその気にさせればよい」
「……かしこまり、ました」
皇帝の命令にエクトルは頷くしかなかった。
城を出たエクトルは、別室でもてなされていたアパタイトを拾い、騎士団へと向かった。
「エクトル、リーナたち、もうすぐ帝都に着くかな~?」
「そうだな。予定としては今日の夜前だろうか」
ふんふんと嬉しそうに鼻を鳴らすアパタイトに、エクトルの表情もほぐれる。
「ねえ、アインリシュは元気だった?」
「ああ、そうだな。兄上は相変わらずだったよ……」
この国の皇帝を呼び捨てにするなんてアパタイトくらいだ。聖獣だからもちろん許されるが、そもそもエクトル以外に声は聞こえない。
(リーナ殿は無事だろうか……)
唯一、エクトル以外でアパタイトと会話のできる存在が、彼の脳内を占める。
自分が子を成さなくとも、と高を括っていたが、皇命ならば、従うしかない。
(どうせ聖女を娶るのならば、私は……)
エクトルの脳内にリーナの笑顔が浮かぶ。
(私は……何てことを! 幸せにするとつい啖呵を切ってしまったが、私にそんな資格など無いのに……)
オーウェンに挑発され、つい言ってしまった台詞を思い返し、エクトルは恥じる。
リーナはあの状況でも幸せだと言った。
(ならば私は、彼女が幸せでいられるように見守るだけだ)
自分に言い聞かせていると、アパタイトが心配そうに覗き込んでいた。
「エクトル、元気ない?」
「いや……。なあ、アパタイト、私にまた結婚の話が出ているんだ。今度は聖女だそうだ」
思い返せば、アニエスはアパタイトに近寄ろうともしなかった。アパタイトも、アニエスに懐くことはなかった。
聖獣は聖魔法の使い手に仕える者。会う機会も少なかった。だから別段、エクトルは疑問に思わなかった。
しかし、リーナには瞬く間に懐いた。聖女だからなのか、彼女だからなのか。
「聖女?」
また考え込んでいると、アパタイトが横で首を傾げていた。
「あ、ああ。隣国の聖女、アデリーナ・エルノー嬢だ」
アパタイトがアデリーナを気に入るか思慮していると、彼の瞳がキラキラと輝いた。
「アパタイト?」
疑問に思い、声をかけると、アパタイトは興奮したように言った。
「え!? リーナ、エクトルのお嫁さんになるの!?」
「ん……?」
アパタイトの発言に、エクトルが頭に疑問を浮かべる。
アパタイトはしまった、という顔で固まる。
二人見つめ合ったのち、エクトルは汗をだらだらと流すアパタイトを問い詰めた。
「アパタイト、どういうことだ!?」
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