64 新米聖女の出陣 06 聖女

 悪魔族の将アードリアンは中央集団の陣中で魔族たちに囲まれて指揮をっている。戦いの状況は、彼にとって期待通りのこともあれば予想外のこともある。戦場においては予想外なことはいくらでも発生することは彼も理解している。

 妖魔共の使い潰しは彼の期待以上のペースで進んでいた。この分ならばミストレーの街に籠城ろうじょうしていた軍勢に挟撃きょうげきされる前に成し遂げられそうだ。街からは三千ほどの軍勢がこちらに進軍していると斥候せっこうから報告を受けている。

 予想外なことは、妖魔共の減るペースが速すぎる。いくら敵が精鋭であっても、これほどのペースで撃破されるのは異常だ。特に我が方右翼集団の方にいた敵騎兵隊の活躍が目覚ましい。彼らが突撃をするたびに数千の妖魔共がむくろとなって転がった。他の敵部隊もそれには及ばないとはいえ粘り強くこちらの攻勢を退け、妖魔共に多大な損害を与えている。普通に考えれば、質は敵が上とはいえこれだけの数の差があれば、全体的にはこちらが有利かせいぜい一時的な互角という程度になるはずであるのに。

 アードリアンは副官に声をかける。



「モーリッツ」


「はっ」


「敵軍に、あの目覚ましい戦果を上げている方の騎兵隊に聖女がいるのかもしれん」


「……なんですと? ならば聖女を保護しませんと」



 偉大なる神アルスナムと対を為す神ソル・ゼルムが認める聖女とは、心清き者。魔族たちからしても文句のつけようがない存在だ。そんな者を戦場に出すなど、人間共は許しがたい。魔族たちからすれば聖女は保護するべきなのだ。それはアードリアンにとっても異論はない。たとえ聖女が人間であったとしても。それほどに聖女とは特別な存在なのだ。



「この状況で聖女を保護できるだろうか。それに本当に聖女がいるのかもわからん」


「……そうですな」


「だが軍師殿には聖女が出現したのかもしれんと報告しよう」


「はっ」



 あの騎兵隊は圧倒的な戦闘力を発揮している。通常ならば損害が大きくなれば軍勢を退却させるものであるが、あそこに聖女がいるならば奴等は聖女を守るために最後の一兵まで戦いかねない。そんな奴等とまともにぶつかれば、アードリアン率いる魔族たちが精鋭といえども大損害を受けるのは間違いなく、下手すればこちらが文字通りの意味で全滅しかねない。

 魔族たちが聖女を保護できるケースは少ない。そもそも聖女にとって魔族たちは敵なのだ。そして聖女を保護することをさらに難しくするのは、聖女は精強な部隊に守られその部隊も実力以上の強さを発揮することだ。であるからやむをえず聖女を討ち取ることが多く、保護できたという事例は少ない。魔族たちも心清き存在である聖女を討ち取るのは心が痛むのであるが、だからといって同胞たちが聖女のいる軍勢によって大勢犠牲になることも容認できないのだ。






 ホリーはシャルリーヌの後ろから妖魔共が死んでいく光景を見続けている。彼女は悲しかった。たとえ妖魔共であっても無残に死んでいくのが。騎兵隊の突撃にさらされた妖魔共がろくに抵抗もできずに、あるものは逃げまどいながら死んでいくのが。それでもそうしないと大勢の人が死に、不幸になるのだ。それを理解していても彼女は悲しい。悲しみながらも、彼女は心の中でみなの無事を祈り続けていた。



「善神ソル・ゼルムよ。あの者の傷を癒やしたまえ」



 騎兵隊の者たちも全く被害がないとはいかない。ホリーも時折傷ついた者に治癒魔法を使っている。治癒された者たちはさらに妖魔共を殺すのであろう。自分も妖魔共を殺す一員であることを彼女は理解している。






 アードリアンは決断した。この場を離脱することを。妖魔共は時間をおかず殲滅せんめつされるであろう。これ以上留まれば自分たちの離脱が難しくなる。



「モーリッツ。この場は引く。妖魔共は残して」


「はっ」


「お前がみなの者の撤退を指揮せよ」


「は……? アードリアン様はいかがなさるのですか?」


「私はあの聖女がいるかもしれん騎兵隊に攻撃をかけ、あわよくば聖女を保護する」


「危険です! お考えをお改めください!」


「あの騎兵隊の足を止めないことには、者共が撤退できん。私ならあの騎兵隊に攻撃をかけても離脱できる可能性がある。他にそれを任せられる者がいない」


「……はっ」



 だが撤退するにも、あの騎兵隊の動きを止めないことには難しい。飛行できる者たちは多くが離脱できるであろうが、彼が魔王領から率いてきた配下たちには飛行できない者の方が多い。将である彼の責務は配下たちを無駄に死なせないことだ。軍師から妖魔共を直接指揮させるためにつけられた者たちは、事前にこの戦場で妖魔共を指揮するための最小限の数を残して帰還するように送り出したが、残る者たちも離脱させなければならない。

 それにアードリアンは聖女を保護できるかはわからないまでも自分が生き残る自信はある。自分は非常に強力な魔族であり、適当に暴れて空を飛んで逃げることくらいはできるであろう。

 モーリッツは彼の考えを理解したが、異を唱える者たちがいた。



「アードリアン様! 俺もお供しますぜ! 俺が時間を稼ぐから、将軍は適当に暴れてから離脱してくだせえ!」


「俺もだ! アードリアン様は聖女を連れて逃げてくれ!」


「私もお供します! 聖女を保護しなければ!」


「我らも、逃げながら討ち取られるよりは前に進んで戦いながら討ち取られることを希望しますゆえ



 アードリアンが指揮している魔族たちが、離脱するのではなくアードリアンの供をすることを次々と申し出る。その大半が飛行できない者たちだ。彼らは理解していた。アードリアンが自分たちのために危険をおかそうとしているのだと。彼らはそんなアードリアンを死なせたくなかった。そして空を飛んで離脱できる者たちを攻撃する敵を阻止するためにも。攻撃に参加すれば自分たちは死ぬであろうことは承知の上で。

 飛行できる者たちにもアードリアンの共をすることを望む者たちもいるが、アードリアンの考えと残ると表明した者たちの思いも理解できるため、彼らの大半は後ろ髪を引かれながらも離脱すると決めた。一部の者はそれでも供をすると申し出たが。



「命令だ。お前たちはモーリッツに従い離脱せよ」


「聞けませんぜ! 俺たちゃ将軍を守ることに誇りを持ってるんだ!」


「おう!」


「……供をすることを許可する。だが、離脱するすきがあるならば離脱せよ。無意味に死ぬことは許さん」


「はっ!」



 アードリアンは折れた。説得に時間をかけられる状況ではないのだ。それに飛行できない者たちが離脱できるかは危ういのも事実だ。彼らも攻撃に参加すれば、飛行できる者たちは安全に離脱できるであろう。そして彼らが同行すれば自分が聖女を保護して離脱できる可能性が高まる。将である自分は命を粗末にすることは許されない。人間共を殺し尽くすという魔族の責務を果たすためにも、自分は生き残らなければならない。それに聖女が人間共の軍勢に協力できなくなるならば、今後の魔王軍の被害は少なくなる。そうなれば配下たちの犠牲は無駄ではなくなるのだ。

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