第18話 ~⑱~
トイレにいこうとしたら、母さんが鼻歌を歌いながら夕食を作っている。その様子からして、今夜は揚げものらしい。とんかつならうれしいんだけど、揚げものならなんでも好きだからいいや。
「ちょっと彰生」
いきなり母さんに呼び止められた。
「なんだよ。今からトイレだよ。後にしてくれ」
と、俺はトイレに逃げ込んだ。
「彰生。話があるんだよ。ちょっといいかい?」
母さんは料理の火をとめて、俺の方へきた。まだ油がパチパチいってるのに。
「なんだよ。話って?」
「いや、あんたが最近、占いはがんばってるのかなあと思ってね」
「まあ、ぼちぼちだよ。まだ大アルカナだけだし」
「さあ、そこ座りなよ」
「う、うん」
俺たちはリビングのソファーに座った。
「最初はね。大アルカナだけでいいんだよ。そのかわりしっかり意味を覚えるんだよ。物語のように順に覚えていくんだ」
「はいはい。わかったよ」
俺は母さんに、いちいち出しゃばられるのが、あまり好きではなかったんだ。
確かに気にくわないんだよな。だけど、母さんも一応俺のことを心配していってくれてるんだろう。
「どうだい。私、母さんを一度占ってみないかい?」
俺は絶句した。
「なんで俺が母さんのことを占なわなきゃいけないんだよ! 絶対嫌だ!」
「まあ、そういわずに。いい練習だと思って」
「しようがねえなあ。じゃあ、カード取ってくるよ」
母さんを占うのはちょっと抵抗あるけど、確かに母さんのいうとおり、いい練習になるかもしれない。
俺はそう思い、本を片手に、机の上にばらまいてある大アルカナだけを持って、リビングに戻った。
「で、何を占なえばいいんだよ。母さん」
俺はいかにも仕方なさそうに、嫌そうに、いった。
「それはねえ。今日の晩ごはんが上手にできるかどうかよ」
「ああ、そう」
俺はふざけてんのかと思い、正直むかついた。
それでも、いつものとおり正位置だけでスリ―カードスプレッドをやってみる。母さんの前で。シャッフルして、カットして、まとめたカードの上から、一枚、二枚、三枚、とめくる。「過去」に『女帝』、「現在」に『吊られた男』、「未来」に『世界』、と出た。
俺は本をパラパラとめくって、意味を確かめる。
「母さん。料理は上手くいくってさ。自然になすがままにしときゃ、上手くいくって。いいたくはないけど、これまでもずっとおいしかったってさ」
「でしょ? 母さんもそう思ってたんだ。ずっとおいしかったなんていってくれて、ありがとね。彰生。さあ、母さん、がんばるわよ」
すると、いつのまにかアネキがバイトから帰ってきて、後ろで見ていた。
「何々? それタロット占いってやつ。へー、彰生にもできるんだね。私は頼まれても彰生になんか占ってほしくないけどねー」
「俺だって、頼まれてもアネキなんか占なわないっつうの。へーんだ」
「ちょっと彰生。ちょっと待ってて。今、本取ってくるから」
母さんはタンスの中をごそごそと、何かを探している。
「彰生。せいぜいがんばんなさいよ。あんた占い部なんでしょ?」
といいながら、アネキは自分の部屋へと入っていく。
「別にアネキにいわれなくてもわかってるって」
「あった。あった」
といいながら、母さんが分厚い本を持ってきた。
「彰生。まずはさっきのを本を見ないでできるようになること。それでこの本。母さんの昔の本なんだけど、あんたにかしてあげるよ。はい。これ」
「う、うん。ありがと」
俺は素直にありがたく受け取った。
『タロット』とだけ題された分厚い本。参考書よりは分厚く、辞書よりは細い本。昔のというけど、そんなに古くさい感じもしない。ただなんか難しそうだ。
「その本を、全部覚えられたらたいしたもんだ。今度は本当に千円やるよ」
「無理だよ。こんな分厚い本。無理。無理」
また息子をお金で釣るようなことをいってさ。
でも、千円あったらルアーの一つくらい買えるよなあとか考えながら、俺は自分の部屋に入った。
それでもこの本を全部覚えるのは、とても無理そうだ。
物語かあ。この『タロット』って本にもそんなようなことが書かれてあるなあ。
俺は大アルカナを一枚、一枚、本と見比べて、意味を覚えようとした。
今日にかぎって、アネキの部屋からかすかにちいちゃく聞こえるローリング・ストーンズの音楽が、やけに気になった。
俺は仕方なくテレビをつけた。音を少し大きくした。グルメを紹介するバラエティー番組がやっていた。
おかげであまり集中することはできなくなった。
何かがうるさい。目覚ましだ。そうだ。今日はジュンちゃんたちとバス釣りにいくんだったっけ。
俺はあわてて目覚ましを消す。朝の五時だ。確かに朝は早いけど、今日は釣れるんじゃあないかと思うと、ワクワクする。
俺は急いで仕度をし、アネキたちを起こさないようにして、家を出る。
朝のさわやかな光につつまれて、車のほとんどとおらない道を、自転車でこぐのは気持ちがいい。早朝はほとんど誰とも出会わない。たまに車がすごいスピードでかけぬけていく。みかけるのは散歩をしているお年寄りだけで、それもごくわずかだ。
「よう。おはよう。もうきてたのか?」
「おはよう。アキオ」
ソウタのキャップ帽、似合ってるなあ。
「あれ? ジュンちゃんは? まだきてないの?」
「そうなんだ。あいつ、たぶん寝坊したんだろ」
アッちゃん、こりゃあ釣る気まんまんだな。
「真っ先にきそうなやつなのにな」
「先に俺たちで釣っちゃおうぜー。ジュンちゃんもすぐくるってよーん」
ナオも釣る気まんまんだな。こりゃあ、俺も負けないようにしないとな。
「そうだよ。そうだよ」とソウタ。
「よーし。じゃあ。はじめるかあ」
俺たち四人は、ロッドや、リールや、ルワーをセットし、さっそくバス釣りをはじめた。
俺はこのあいだ一匹釣ったときのワームで釣ることにした。
しばらく釣っていると、ジュンちゃんが遅れてやってきた。
「わりい。わりい。ちょっと寝坊しちゃってさあ。目覚ましが鳴らなかったんだよ」
「うそつけ。鳴ったのに、また止めて、寝てしまったんだろ?」とアッちゃん。
「まあそういうことだ」
と、ジュンちゃんは照れ笑いをしている。さっそくジュンちゃんも準備をしはじめた。
しばらく五人で釣っていて、最初に釣り上げたのは、遅れてやってきたジュンちゃんだった。
「なんだい。遅れてきて、最初に釣ったのはジュンちゃんかい!」とソウタ。
「少し日影になってるとこが釣れやすいんだ。そこにバスがいる。流れ出しや、流れ込みの付近とかな。早朝は、特にバスはそんなとこにいやすいよ」
「ふーん。なんとなく知ってたりしたけどさあ。そう簡単には釣れないんだよねー。これがよーん」
といいながら、ナオは流れ込みの方に歩いていった。
「流れ出しって、この水が池から出てるとこだよね?」とソウタ。
「ああ、そうだ」とジュンちゃん。
アッちゃんも日影になってそうなとこを探している。
俺も同じように日影になってそうなとこをさがしてみた。あのクスノキの影辺りがいい。
その影になってる辺りに、何度かルアーを落としてみる。
アッちゃんと、「全然こねーねえあ」とかいって、よそ見してると、突然当たりがきた。
俺は反射的にロッドを立てて、当たりを取った。
それがいけなかったのか、どうかわかんないが、ブラックバスをバラしちまったんだ。
「ちくしょー! 逃がしちまったー! ちっ。せっかく釣ったのに」
「アキオ。気を落とすな。まあ、そういうこともあるって」
一応、なぐさめてくれてんだな。アッちゃん。
「せっかくのチャンスだったってのによー」
俺は悔しかった。もうそれ以上の言葉がみつからないくらいに。
他の三人も俺たちの方へ近寄ってきた。
「なんだよー。アキオ。バラしちゃったのかよーん」
なんだかナオは、ブラックバスを逃がした俺を、おもしろがってるようだ。
「でも、釣れただけいいじゃない」
ソウタはいつも優しいなあ。
「でも、もったいなかったなあ」
「それよりアキオさあ。カヨちゃんってどんな子なんだ? 好きな人とかいるのかなあ?」
ジュンちゃんよっぽど気になってんだなあ。カヨちゃんのこと。
「さあ、知らねえぞ。まあ、カヨちゃんは真面目でいい子だよ」
俺たちはその場に座り、少し話をすることにした。
「そうかあ。もしそんなのがいたりしたら、ちょっとショックだよなあ」
ジュンちゃんがマジな顔になってる。こりゃあ本気だなあ。
「おいおい。アキオ。ナミちゃんはどうなんだよー。好きな人とかいるのかあ?」
今度はナオかよ。ナオはナミちゃんのことが気になってんだったなあ。
「だから、そういうのは知らないって。ナミちゃんは元気な子だよ」
「ふーん。アキオってなんにも知らないんだにゃあ」とナオ。
「普通、そういうのはわかんねえし、教えてもくれねえよ」
「ぼくはさあ。もう決めたんだ。トモちゃんと付き合うことにするって。いつかコクるつもりなんだ」
と、ソウタがどこか威張ったようにいう。
「ええー!」
四人はほとんど声を合わせたみたいに、一緒になって驚いた。
「おい。ほんとかよ。ソウタ」とジュンちゃん。
「マジでコクる気っすかあ。ソウタ」とナオ。
アッちゃんはさっきから黙っている。
「うん。いつかコクるよ。そしてちゃんと好きだっていうんだ」
ソウタはソウタなりに真剣なんだろう。
「ちっ。マジかよ。こりゃ先をこされたなあ。ソウタに」とジュンちゃん。
「でもさあ。ソウタって、ちゃんと、本当に、トモちゃんのこと好きなのか?」
と、俺は気になったんで、ソウタに聞いてみる。
「当たり前だろ? アキオ。ちゃんと好きだからコクるに決まってるじゃないか。どういう意味なんだよ? アキオ」
ソウタはちょっとむっとしていう。
「ごめん。ごめん。そりゃそうだよなあ。俺が悪かった」
「それよりさあ。おい。アッちゃん。聞いてるのか? おまえは誰が好きなんだよ?」
と、ジュンちゃんがアッちゃんに聞いてる。
「俺は特にはいないよ」
それにしては、アッちゃんは何かを思いつめていそうだ。
「うそつけ。おまえほんとは成木田さんのことが好きなんだろ? いっつもじいっと成木田さんのことみつめてたりするじゃあないか?」とジュンちゃん。
「そうだよん。バレバレだぞー。アッちゃん」とナオ。
「違う。違うって」
アッちゃんは顔を真っ赤にして、顔をうつぶせて、マジで恥ずかしがっている。
俺は、こりゃあマジだなあと思って、これ以上は、からかわないで、そっとしておいてあげようと、ふと朝日の方に顔を向けた。
「おい。アキオ。そうやって、おまえ、すましてるけど、アキオは、サヨカちゃん、サヨカちゃんだもんなあ」
と、ジュンちゃんが今度は俺をいじってくる。
「なっ。そ、そんなわけねーだろ!」
「なんだよーん。アキオー。じゃあ。もしかして宮中さんかあ?」
ナオもおもしろがってる。
こういうこと聞かれるのは嫌なんだよなあ。アッちゃんの気持ちがちょっとわかるよ。一番デリケートな問題だもんなあ。こんなの一番話しにくいことだよ。ちょっとむかつくし。
「ああ、残念。それも違う」
「じゃあ、なんでおまえも顔、真っ赤にしてんだよ。バカだなあ」とジュンちゃん。
「うるさい。ほっとけよ」
アッちゃんをのぞく三人は大笑いをしている。
顔が赤くなっちゃいけないと思っても、こういうのは自分ではどうしようもねえだんよな。しかし、俺どうして顔が赤くなってんだろ? 別にサヨカちゃんのことも、アオイちゃんのことも、特別意識したりはしてないはずなのにな。どうしてなんだろ? こういうのは生理的なものなのかなあ?
この日、あれから俺は一匹も釣れなかった。
みんなは腹が減ったとかいって、九時前には解散した。
ジュンちゃんや、ナオや、ソウタみたいに、気楽に、人前で、あの子が好きだなんていえるやつの気が知れなかった。
俺は自分の気持すらまるでわかってやしなかった。
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