怒張

石島時生

新入社員とのトラブル①

 建設系メーカー佐藤工業株式会社で、設計部門に勤める男がいた。男の名前は岩本昭。歳は60で定年を迎えたばかり。今は嘱託社員として佐藤工業で働いている。性格は頑固で真面目、自分勝手、また怒りっぽい一面が強い、いわば少しめんどくさい人物だった。そんな岩本がめんどくさい人物になってしまったのは訳があり、幼い頃の大やけどが原因で感音性難聴という耳の障害ができてしまい、耳が聞こえづらいのだ。そんな状態なので、人とのコミュニケーションがうまく取れずひねくれていってしまったのだ。結婚し、子供もおり、家族仲はよかったが、一家の大黒柱として働き続けていく上では会社でうまくいっているとはいいがたかった。


 岩本は体温調節が苦手な一面もある。本来であれば管理者以外いじってはいけないエアコンの温度を勝手に極寒にしたり、サウナ状態にしたりするので、同じフロアの社員たちは極端に寒かったり、暑かったりと岩本のせいで苦難を強いられているのだ。そんな自分勝手な岩本だがみんなめんどくさい人物として認知しているので、誰も声をかけたりはしない。たとえいくら寒くても暑くても。


「岩本さんって面倒くさいですよね。なんであんな感じなんですか?」

「ああ、あれはね。あの人耳が悪くて、それで人生うまくいってないのよ。同情はするけど、迷惑だよね」

「ああ、やっぱりそうなんですか。そんな感じしてました」


 岩本のことを良く知らない新入社員と先輩社員がそんなような話をしていても、幸か不幸か岩本には聞こえないのだ。ただ岩本にもなんとなく察知する能力はあって、自分のことを悪く言われているなと察することはできる。そんなとき普通は押し黙ったり、我慢したりする人が多いかもしれないが、岩本はそこに立ち向かっていく。


「今、私の話をしていましたか? どうも悪口じゃないですか?」


 岩本が険しい表情で2人に詰め寄る。2人は顔を見合わせおびえながら答える。


「岩本さんってギター弾いてるみたいよって話してたんですよ。私たちもギターに興味あって」

「そうそう。そうなんですよー。ギターってかっこいいじゃないですか。岩本さんってどんなギター弾くんですか?」


 岩本はとたんに嬉しい気持ちになる。


「ああ、そうだったんですか。私はね高中正義ってギタリストが好きで、高校時代から好きなんですよ。よかったら明日CD持っていきますよ」

「あ、ぜひー」


 なんとか岩本を振り切った2人だったが、おかげで岩本の趣味に付き合わされることとなってしまった。そう岩本は非常にめんどくさい人物だ。自分の趣味を押し付け、自己愛が強く、他人に理解されたい気持ちが強すぎるそんな人物だった。最近の人は老害と呼ぶのかもしれない。


 翌日、岩本が高中の好きな曲を焼いたCDを持ってきて2人に手渡した。


「これが私の好きな高中の曲なんで、ぜひ聴いて感想を教えてください」

「あ、早速どうも。聴いてみますね」


 岩本のめんどくさいエピソードにまた1つ、CDを押し付ける話が加わることになった。


 そんな岩本は悪いところばかりかと言うとそうでもない。CADを使って図面を書く仕事をしているのだが、その丁寧さは部内でも評価を受けていた。逆に言うと、それがなかったらとっくにお払い箱だったかもしれない。部長からも信頼されており、まだ新しくやってきたばかりの部長だったが、岩本と仲良くしていた。部長も岩本のことをめんどくさいと思っているのは事実だったが。


 また、岩本は友達が欲しいと常に思っているタイプで、少しでも相手が音楽好きと分かると、ギターの話や、高中の話をする癖があった。やはり趣味を押し付ける面倒くさい人物なのだが、そこにどうしても岩本は気づくことができなかった。


 そんな岩本が夏の暑い日にまたエアコンを勝手にいじり、フロア全体を極寒の状態にした。当然みな、カーディガンを羽織ったり、ブランケットを腰に掛けたりする。岩本はそれに気づいているが、改善する気もない。自分が暑い、ただそれだけが岩本の問題で他人のことなど二の次なのだ。普段ならだれも注意しないところだが、今日は訳が違った。今年岩本と同じ部署に入った女性社員が岩本に声をかける。


「岩本さん、ちょっといいですか?」

「おお、清水さん、どうしたの?」

「エアコン、岩本さんいじってますよね?」

「ああ、確かにいじってるよ。だって暑いからね」

「それはわかるんですが、フロアのルールでエアコンをいじっていい人決まってますよね?」

「それは知ってるけど、なんにせよ暑いからね。仕方ないよ」

「仕方なくないです。みんな寒がってるんですよ。岩本さんのせいで。私だって耐えきれないくらい寒いんです。もう勝手にエアコンいじらないでください」

「はい? 私だって耐えきれないくらい暑いんですよ。仕方ないじゃないですか。私は体が弱いんだから体温調節する権利があるんですよ!」

「いや、意味わからないです! 本当にやめてください! みんな迷惑してるんです!」

「私だって暑いのは耐えきれないんだ。しょうがないでしょう?」

「おい、岩本! 聞いてらんねーよ」


 口論になりそうなのを見計らって、岩本の同僚、勝田が口を挟んでくる。勝田は普段温厚だが、昔は怒りやすかったらしく、たまにその気質を発動させる。今回は岩本の身勝手な理屈に耐え切れなくなったようだった。


「岩本、新入社員の若い女の子ががんばって声をあげてるんだぞ。聴いてやれよ!」

「勝田さん、私は暑くてしょうがないんですよ。許してくださいよ」

「知るか。この部署だけならまだしも、このフロア全体が迷惑してるんだ。いい加減にしろよ!」

「じゃあ、私を切り捨てるって話ですか?」

「ああ、そうだよ。暑いなら自分で対策しろ」

「……わかりました」


 こうして岩本エアコン事件は幕を閉じた。しかし、岩本は懲りることなく、一週間もすると再びエアコンをいじるようになった。これには怒りをぶつけた清水、勝田も呆れてしまい、なにも言うことができなかった。結局は岩本の思い通りとなってしまった。岩本の迷惑さ加減はこれにとどまることを知らない。


 岩本は会社の最寄り駅から社バスで会社まで来ている。そういう社員は何名もおり、いわば普通の通勤手段だった。そんなある日、社バスが横から突然飛び出してきた車とぶつかりそうになり、あわや横転しそうなほどの危険運転をしてしまった。岩本はその運転にイライラし、その日は朝から不機嫌だった。そんな不機嫌な岩本に清水は捕まってしまった。清水は声が小さく、挨拶をしても聞こえなかったのか岩本はそこに難癖をつける。


「挨拶したら?」

「え? しましたよ?」

「聞こえない。俺が耳悪いの知ってるだろ!? ふざけるなよ!」

「耳が悪いのは知ってますけど、私だって朝は声を出しづらくて……」

「そんなの言い訳にならない! ちゃんと挨拶しろ!」


 とばっちりを受けた清水は泣きそうな顔をしながら自席に戻っていった。周りの先輩女性社員が清水にどうしたの? と声をかけるが、清水が「岩本さんが……」と言っただけで、状況を察し、清水を慰めていた。岩本はその先輩女性社員に睨まれたが、なにも感じていないようだった。その先輩女性社員、鳥越と岩本は音楽好きという共通点があり、岩本は鳥越と仲がいいと思い込んでいた。そんなこともあるし、清水に怒りをぶつけたことを特に悪いとは思っていないので、当然の対応だった。


 このように岩本はとにかく迷惑な人間だった。部内からも嫌われ、もちろん他部署の人間からも嫌われていた。さらに岩本はそこに怒りを感じ、悪循環になっていたが、岩本はそこにも気づけず、ただ苦しい思いをしていた。そんな岩本には同情の声もあった。耳が悪くなかったら大好きなギターもより楽しめただろうし、さらにはもっと真っ当な人間だっただろうという声だった。だがしかし、今の岩本の嫌な面を考えると同情の声は大きくはなかった。


 ある日のこと、岩本がお昼ご飯を食べようと会社の食堂に向かっているところだった。食堂は社屋の道路を挟んで向かい側にあり、到着まで1分ほどかかる場所にあった。その最中に鳥越を見かけたので、岩本は平気で声をかけに行った。


「鳥越さん、ドラムの調子はどうですか?」

「あ、岩本さん。お疲れ様です。ドラムは最近教室にも通えてなくて、叩けてないんですよ。そういうことなんで、じゃあ」

「そうなんですか」


 鳥越はあからさまに岩本に対し、面倒だと言った態度を取ったので岩本もそれ以上に聞くことはできなかった。しかし、岩本は清水の挨拶事件を自分の問題ととらえていないので、その鳥越の態度が不満だった。なんでこんなに冷たくされるんだろう。なんで話してもらえないんだろう。俺が障がい者だからか。きっとそうだとまた悪循環に陥ってしまった。その悪循環からまた怒りの感情が渦巻いていき、お昼ご飯もおいしく食べることができなかった。当然のように午後の仕事のパフォーマンスにも影響が及んでいった。岩本は10個ほど下の女性の派遣社員にCADの図面作成を手伝ってもらっていたが、その指示でイライラした態度を取ってしまう。


「若林さん、そうじゃないですよ。その図面の描き方だと営業が混乱するのでダメなんですよ。前も教えましたよね?」

「岩本さん、すみませんでした。まだ覚えられていませんでした」

「若林さん、すみませんじゃないですよ! 何回教えればいいんですか!?」


 ここで岩本が机を強く叩いてしまう。その音に清水たち周りの社員にも緊張が走る。また、岩本がなにかやってるよ。そんな雰囲気だった。一方で清水はおびえだし、トイレへ逃げ込んでしまった。そんな状況を見て勝田が再び岩本を注意する。


「おい、岩本! またか! きつい言い方はやめろ!」

「勝田さん、若林さんが物覚え悪いんですよ。仕方ないじゃないですか」

「お前だってすぐに覚えられたわけじゃないだろ! 丁寧に教えればいいだろ!」

「丁寧に教えてこのありさまなんですよ。勝田さん、私の気持ちもわかってください」

「お前だって若林さんの気持ちをわかってやれよ! お前お荷物なんだよ。この部署の。清水さんだって怖くてトイレに逃げ込んでんだぞ。お前のことがよっぽど怖いんだぞ! 周りの迷惑になってる事を自覚しろ!」


 勝田に怒鳴られ、委縮する岩本。若林はおろおろとしてしまったが、岩本のことを気遣うような言葉をかけてくる。


「岩本さん、大丈夫ですか? 私が悪いんで気にしないでください」

「若林さん、ありがとうございます。でも私が悪いみたいなんで」


 岩本はやはり自分が悪いとは思っていないようだったが、とりあえずその場は丸く収まった。


 このように岩本の周りは常にトラブル続きだった。岩本が怒り狂い、周りがおろおろする。怒られた相手は最悪泣き出す。それを見かねた勝田が制裁するといった流れができつつあった。これには部長の相田も頭を悩ませていた。相田のもとにはよく岩本に関するメールが来ていた。内容は岩本はすぐ切れるので話したくない。この前も岩本に1時間近く電話で怒鳴られた。あんな奴を担当者にしないで部内の雑務だけやらせておけと。相田はそれとなく岩本にそうした提案をしたことがあった。岩本さんも年だし、もっと楽してもいいんじゃないですか? と。しかし、岩本は私はCADがやりたくて会社に入ったのだからそれ以外のことはやりたくないと拒否された。相田は今日も頭を悩ませていた。

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