登校拒否

 野田宅に半分居候⋯⋯いや、家族の一員とされてから約1ヶ月が経過した。


 俺としては形式的には小学校に在籍しているので、転校とかは出来ない。その為、強制的に家にいるだけのただの子供として俺はこの田舎の糞ほど広い中にそびえ立つ一軒家でもう一ヶ月も何もせずにいる。


 正直な話、仕事から連絡、全てを下に任せっきりでこれだけの期間を離れたことはないから、少々困っているというのが本音ではある。

 というのも、どうやら潔子さんが俺を気に入ったせいなのか⋯⋯帰らせてくれないのだ。


 野田さんも、潔子さんには完全に頭が上がらないのだろうとは初日から完全に思っていたが、まさか反論の一つもしてくれないとは思わなかった。ま、そんなわけで、一ヶ月の日々は穏やかなものだった。


 理想的にはそう言いたいのだが。

 

 「ねぇママ〜!!!」

 「何? もう一週間は学校行ってないじゃない」

 「仁くんが学校行かないなら私も行かなぁーい!」


 うん。分かるか?理想的な回答はしたい。

 だが、この青臭いクソガキが一向に離れようとはしないのだ。


 お前もと言われればそれまでなのだが、実際こんなガキと一緒にされては困る。何なら都会のそこいらにいる奴らよりも大人やってる筈だぞ?


 とまぁそんな事はいいんだ。

 とりあえず、俺のせいでこのガキが学校に行かないのはいただけない。潔子さんが困っている。


 「紬ちゃん? 私は別に理由があっていかないだけで、紬ちゃんは普通の学生だ。しっかり登校しないと⋯⋯今後の単位とか将来に響いちゃうよ?」


 嫌味にならない程度ならこれくらいが妥当だろう。俺も突っ込みたいわけではないけど、さすがに見てて潔子さんが可哀想だ。


 「仁くんまだ10歳なんでしょー?」

 「そりゃまぁ」

 「じゃ高校生の私よりも年下なんだから問題ないー!」


 ⋯⋯だめだこのガキ。意味を理解できていない。


 「紬!仁くんはそこら辺にいる子供とは全然違うのよ!」

 「何が違うのよ!ただのイケメン君じゃん!10歳なんて嘘でしょ? もう高校生にしか見えないし!」

 「そりゃ老けてるって暗にdisってる気が⋯⋯」

 「そういう意味じゃないもん!」

 「紬? 何度も話しているけど、仁くんはパパの仕事仲間なの。パパも今は長期休暇でそれに付き合ってここに居るだけなのよ?」

 「10歳でどうやったらそんな事できんのよ」

 「そりゃ色々だよ」

 「何よ色々って〜」


 年齢が分かった途端、大人ぶって俺を弄りながらこうしてイケメンだなんだ言ってこの調子だ。


 「パパと同じような仕事をしているだけさ」

 「その歳で?嘘だぁ」


 どうしよう。全く信じてくんない。

 まぁ⋯⋯でもそうか。普通の10歳児は小学校で呑気に駆け回っている年齢だしな。


 ⋯⋯俺が特殊なだけか。


 「本当よ紬。そうやってやっていられるのも今の内なんだから、しっかり仁くんを見習ってちょうだい」

 「うるさいなババアは!」


 その言葉を最後に、そこから地獄のような大喧嘩が始まる。俺はすぐにそれを察して、玄関からスーッと駐車場の裏へと移動し、一服を始めた。


 「ハァ⋯⋯」


 思わず後ろ髪かき、大きな溜息が止まらない。

 あれが俗に言う反抗期ってやつか?親は大変だな。俺もいつか⋯⋯施設のガキンチョ共がああなると思ったらキツイな。


 口から空へ消えていく細い煙を眺めながら、俺は完全に黄昏れて、この穏やかながらに感じる平和な喧嘩が聞こえるこの環境に少し羨ましくも感じていた。


 自分には親の記憶はほとんど今は残っていない。うっすらあるのは、一緒に森林を見回ったり、薪割りをしたりくらいの断片的な記憶だ。


 あんな風に親と喧嘩したり、一緒の空間で話せる事の幸せが、俺には無かった。


 今もずっと一人だ。まぁ家族と呼べる者は確かにいるが、それでも親はいない。

 一生懸命愛情とは何かを勉強して、施設の子どもたちに笑顔で接して愛情をあげる事には成功しているから、恐らく問題ない。


 しかし受けた事がない自分はその感覚がない。あんな風に怒れるのが⋯⋯少し羨ましかったりもする。


 「ないものねだりって奴だな」


 短くなった煙草を捨て、もう一服。

 

 「仁、ここに居たのか」


 声が突然聞こえ、振り返るといつものように「よっ!」と陽気に野田さんが煙草を咥えながら隣にやって来た。


 「どうだ? もう1ヶ月だろ?少しは慣れたか?」

 「いや全然だ。お宅の娘さんの対処が困難だ、絶賛な」

 「あっはははは!娘は俺に似て全速力突っ込むスーパー前衛タイプだからなっ!」

 「今のは皮肉だ、野田さん」

 「娘の悪口か!? 仁であっても許さんぞ!」

  

 陽気に、そして豪快に笑う野田さんは眩しい。部下たちが慕うのも分かる。


 「仁は一人だって⋯⋯いつも周りの奴らが言ってたな」

 「あぁ。人間は究極的には孤独な生物だろ?」

 「なんだ? 急に哲学的な難しい話でもする気か?」

 「いいや。ただ、俺には最初から周りに人がいないようなものだったから、この環境があまり馴染めない」

 「確か海外では居たんだろ? ⋯⋯別に一人が長いってわけじゃないだろう?」

 「まぁな。だが、俺はお宅の娘さんが少々羨ましいなと思っている最中だよ」


 俺はそう言って野田さんを横目で見ると、野田さんが豆鉄砲でも喰らったような表情をしていた。


 「なんだよ、そんなおかしいか?」

 「まさかお前がそんな事を言うなんて思わなかったからな」

 「ないものねだりって奴だよ。⋯⋯野田さん灰」

 「あぁ⋯⋯すまんすまん」


 それから数分日常的な会話をした後、野田さんが何気ない質問を俺にしてきた。


 「そう言えばどうするつもりだ?」

 「主語がねぇよ」

 「今後の事さ」

 「まぁ潔子さんがあんな感じなんだから、どうするもこうするもねぇさ。ただラインは分かってるだろうから、合わせるさ」

 「あと一ヶ月くらいで部隊の指導を頼みたい。部隊の奴らの名簿は⋯⋯」

 「持ってるさ。もうある程度の能力値も把握済みだ」


 先読みでそう言うと野田さんががくんと肩をすくめた。


 「情報伝達のプロは違うねぇ」

 「まぁそれで飯食ってる奴らがたんまりいるからな」

 

 俺の言葉の後、野田さんは真剣な面構えのまま、何故か黙りこくってしまった。最初はなんかぼうっとしているのかと思っていたが、段々と違うことに気付いた。


 恐らく気まずい何かを言いたいが言えない、そんな顔をしている。


 「なんだよ。言ってみろ、部隊の奴らが気掛かりか?」

 「⋯⋯それもそうなんだが⋯⋯」


 ボソボソ言っていて俺も少し動揺する。

 こんな野田さんはあまり見たことが無かったからだ。荒っぽく聞いてしまったが、俺も口調を直してもう一度聞いてみる。


 「どうしたんだ?協力して欲しい事があれば、出来る限りはするつもりだぞ。今はただの野田家に居候している──ただの10歳児だからな」

 「なぁ、俺は分からないんだが」

 「ん?」

 「俺の娘が⋯⋯その⋯⋯イジメられていると思うんだが⋯⋯どうにも確証がなくてだな」

 「イジメ?あのガ──陽気な子がか? 冗談だろ?」

 

 とてもそんな雰囲気はないし、イジメられる要素も感じない。イジメられる奴ってのは、失礼だが何かしら理解できる部分が浮き上がるのだが、当人はそんな要素の欠片もない。俺としてはイジメられているのが本当かどうか怪しい。


 しかし学校へ行こうとしない所や、やけに友達からの連絡が来ないところを見ると、その節はあるとも思う。⋯⋯難しいタイプの人間だ。


 「何処を見てそう思ったんだ?」

 「いや⋯⋯たまたま風呂上がりに紬が携帯を置いていったままでな。お前が使っているスマートフォンだっけか?それとは違って折りたたみ携帯だからロックも無くてな。少し覗いたんだよ」

 「しねとかでも書かれてたのか?」

 「いやぁ、内容が結構酷くてな」

 

 言うのも憚られるって相当だな。


 「性的な方か?」


 俺の問いに野田さんは無言で頷いた。

 なるほど。父親としては複雑だろう。


 「具体的には?」

 「写真を送れだの、友達がどうなってもいいのか?みたいな事も書かれてあった。正直、娘があんな事になってるとは思ってもなくて、衝撃がかなり⋯⋯」


 あー。親としてはその衝撃は最悪だな。


 「なるほど。すまないな」

 「いやいいんだ。だが⋯⋯俺が学生の時、確かにヤンキー連中はそういう事もしていたし、おかしくはないっちゃないんだが⋯⋯」

 「十分まずいがな」

 「ま、それはそうなんだが⋯⋯」

 「親としては心配か?」

 「もちろんだ」

 「それで? 潔子さんにこのことは?」


 首を横に振る野田さん。

 まぁ言えんだろうな。

 

 「それでなんだが、昔一度紬に護衛を付けていた時期があってだな」

 「読めたぞ。俺に学校での護衛をさせようってか?」

 「そうだ。よく分かったな」

 「そこまで言われれば俺でもわかるさ」

 「どうだ? 受けてくれないか?」

  

 ⋯⋯メリットがまるでねぇ。


 「カネは?」

 「悪いがウチも給料がカツカツでな」

 「⋯⋯そうか」

 「だが、ここにいる時だけでもいいんだ、どうにかならないか?」


 はぁ⋯⋯まさかこんな事になるなんてな。


 「ちょっと考えさせてくれ」

 「もちろんだ」

 

 ご都合主義かというタイミングで、ガキが俺達を見つけて元気にこちらへ駆け寄ってくる。


 「ねぇ!仁くん居た!」

 「どうしたんだ?」

 「夕御飯、出来たよ」

 「そうか。今向かう」

 

 そう言う俺の腕を、ガキがガシッと掴む。


 「⋯⋯なんだよ」

 「ほらっ! 行くよっ!」

 「お、おおっい!」


 無理やり手を引っ張られ、俺は転びそうになりながら連れて行かれる。


 「今日はオムライスだって! 早く食べよっ!」

 「⋯⋯」


 ──ここにいる時だけでもいいんだ。


 「面倒掛けやがって、野田のジジイめ」

 「何か言った?」

 「⋯⋯言ってない」

 「なんかボソボソ言ったでしょ?」

 「⋯⋯言ってない」

 「絶対言った!」

 「言ってねぇって言ってるだろうが」

 「ぶっきらぼうは嫌われるぞ〜?仁くん少年!」

 「うるせぇよ社会にも出てないガキが」

 「なんだとー!!!」


 そんな二人のやり取りを、遠くから野田が嬉しそうに見つめていた。


 「仁、お前なら⋯⋯お前しかいないんだよ。安心して任せられるのは」


 『ばかッ!そんなグイグイ引っ張ったら皮膚千切れるだろうが!』

 『はぁ!? そんな強く引っ張ってないし〜!』

 『怪力女がうるせぇんだよ』

 『ちょっと! 今怪力女とか言った!?』


 騒がしい二人が家の中へ入っていくのを、野田は遠い目で眺め、黄昏れながらもう一服したのだった。

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