約束手形

「ルミとは知り合いでして・・・」


 ルミとは明日菜を合コンに強引に引っ張りだした取引先の女だ。


「あんなところに風吹さんがいたのに驚きました」


 だからって引っ張り出すなよな。


「だから逢わせてみたくなりました」


 おいおい、まさかあの合コン自体が茶番だったとか。


「全部じゃありません。和也も合コンがあんまり好きじゃないものですから、男性側の早竹先生にも協力はしてもらいましたけどね」


 結城君も明日菜同様に無理やり引っ張り出されたってことか。そうなると、


「四対四の合コンはちゃんとやっております。わたくしは入らないですから、三対四なのは御愛嬌ですが」


 でもさぁ、明日菜がたまたま遅れたから、ああいうシチュエーションになったんじゃ、


「ああそれですか。風吹さんが遅れたのは計算外でしたが・・・」


 なんだって。明日菜には最初から遅い時刻を知らせていたって。


「そうです。遅れて参加する形にさせて頂きました。そうすれば最初の自己紹介に間に合いませんし、もう一度の全員自己紹介はさせない段取りでした」


 そうなると合コンの時に感じた通り、最初から明日菜と結城君は決定したカップルとして扱われてたんだ。あの異様な空気の理由はこれでわかったけど、結城君はどこまで知ってたの。


「そうですねぇ、遅くとも風吹さんが自己紹介をした時点でわかったはずです」


 明日菜を見た瞬間に気づかなくても、名前を聞けばさすがに思い出すかもね。でもなんのために、


「それは、久しぶりに和也の顔を見たかったからに決まっております。ですが思いっきり渋顔になられまして、最後まで仏頂面だったのは御愛嬌です」


 な、なんてこと。花屋敷さんは子宮を失うって試練に遭ってるのになんていう態度。それでも医者か。歳月は人を変えるのは本当だよ。見た目はイケメンになったけど、心は最低だ。そんな最低最悪野郎になってたなんて知らなかった。


「それは言い過ぎです。和也にはわたしがガンになったことは伝えていません。身を引くってさっきは言いましたが、こっぴどく振らせて頂きました」


 どうして、どうして、


「そんなの決まってるじゃありませんか。子宮を取るなんて話をしましたら、和也が離れないと思ったからです。そんなとこだけは優しいですからね」


 えっと、えっと、


「それとですが、風吹さんとセットアップまでしてあげたのに、あの朴念仁、連絡先すら交換しなかったじゃありませんか。だからバーまで付き合ってもらう羽目になってしまいました」


 それって紹介役をしたってこと。


「そうで御座います。こっぴどく振られた元カノの前で、自分の初恋の相手をゲットするのはしっぺ返しとして良いじゃありませんか」


 良かないだろ。


「それと急ぐ理由もありました。和也は九月にアメリカに海外留学に行くのです。二年の予定だったはずですから、それまでにケリを付けさせたいのもありました」


 へぇ、海外留学とはね。今どきのことだから、海外留学する医者はさほど珍しくもないそうだけど、結城君は大学医局のホープとして選ばれて行くんだって。


「帰ってくれば出世するはずです」


 医者の世界の出世ってなにかはわからないけど、言いたい事はわかる。結城君にとって重要な海外留学になるだろうし、帰ってくれば留学帰りってことでブイブイ言うようになってるかもしれない。


「それだけではなく、そのまま帰って来ない可能性だってあるかもしれません」


 アメリカで才能と腕を見込まれてってやつだろうな。随分ビックになったものだ。そのうち教授なんて呼ばれるようになってるかもしれないな。


「ですから留学前に約束手形が必要になると言うことです。付き合って、結ばれて、可能なら婚約までしておくべきです」


 ちょっと待った。約束手形ってなんだよ。


「あら将来を誓い合ってる彼氏でもいらっしゃるのですか?」


 いないから合コンに顔を出してるんでしょうが、


「じゃあ、決まりじゃありませんか」


 じゃあじゃない。勝手に話を進めるな、そりゃ、今の明日菜に彼氏はいない。アラサーだからどこかで結婚を焦り始めている部分はある。つうか親がウルサクて辟易させられている。


 今夜会った結城君は別人かと思うほどのイケメンになっていた。ちゃんと医者になっているのにも感心したし、大学医局から海外留学生として派遣されるぐらいのエリートにもなっているとして良いと思う。


 さらに結城君はかつてと言っても十年以上前だけど、明日菜を好きだった時期がある。さらに花屋敷さんの言葉を信じれば、結城君は明日菜のことが今でも好きの可能性もある。だから明日菜さえウンと言えば話は綺麗にまとまるってのが花屋敷さんの考えだ。


 ついでに言えば、結城君の海外留学まで時間が少ないから、それまでに恋人から結婚へのステップを出来るだけ進めて、せめて婚約を結婚への約束手形状態にして海外留学に送り出せってしてるで良いと思う。


 話全体は明日菜にとって悪いものでないかもしれない。外見もスペックも結婚相手として申し分はないのはわかる。ここでクソ姑問題は判定しようがないから、とりあえず置いておく。


 だけどだよ、旧知の仲とは言え十年振りだぞ。十年すれば結城君もあれほど変わったのはわかったけど、明日菜だって変わっている。そんな明日菜を今でも結城君が恋愛対象として考えているかどうかがまずわからないじゃないか。


 結城君にとっての明日菜のイメージは十年前の高校生であり、高校時代の明日菜には惚れたかもしれないけど、今の明日菜にどうかは未知数過ぎる。明日菜が結城君を見直したのとは逆に結城君が明日菜に幻滅している可能性だってあるはずだ。


 それに今の結城君はイケメンのエリート医者だ。これでモテないわけがない。今夜は特殊過ぎるシチュエーションの合コンだったけど、あんな縛りがなかったら、参加した女による争奪戦が勃発したって不思議でもなんでもない。合コンと関係なしに、明日にでも告る女がいても驚かないよ。


 それより何より明日菜だ。もうバージンじゃないのは歳からして引け目とは思わない。むしろアラサーのバージンの方が気色悪がられるかもしれない。この辺は相手の男の処女へのこだわりで変わるだろうけど、そんな事にこだわる男はこっちから願い下げだ。


 明日菜を女にし、ここまで女を開発しやがったのがロリコンのペドフィルの変態野郎であるのも目を瞑る。黒歴史であるのは認めるけど、別に変態プレイに耽っていたわけじゃないし、妙な犯罪に関与していたわけでもないからな。


 なによりの引け目は同級生であること。これだって同い年結婚に拒否感があるわけじゃない。拒否感はないけど、もうアラサーなんだよ。花屋敷さんの思惑通りに事が運んでも、結婚するのは三十を超えるんだ。


 三十を越えての同級生結婚が珍しいとは言わないけど、今から二年も三年も待って、そんなアラサー女をわざわざ嫁に選ぶかってことなんだよ。いくらでももっと若くて可愛い女の子を選び放題じゃないか。


 今日だってそうだ。結城君が明日菜を好きなら、もっとアプローチをかけてくるだろ。合コン中の会話もそうだし、連絡先の交換だってやらないはずがないだろうが。そりゃ、明日菜が気づかなかったのは悪かったとは思うけど、あれだけ差し向かいにいて、しかも合コンの席で反応が乏しすぎるとしか思えないもの。


 さすがに明日菜に悪意はなかったぐらいは言っても良いと思う。好意ぐらいはあったかもしれないけど、あれは恋愛対象に選ばなかった合コンのその他大勢女への態度にしか思えないよ。


「そこまで卑下しなくとも良いと存じますが」


 卑下じゃない。冷静な現状分析だ。結城君と再会できたのは広い意味で嬉しかったけど、花屋敷さんが期待する、久しぶりの再会で高校以来の恋が再燃するのを期待するには無理がある。そうなってたら、こんなところで花屋敷さんとカクテル飲みながら話なんかしてないだろ。


「今ごろホテルで結ばれていてもおかしくないと思ってましたが」


 それはそれで早すぎるぞ。アラサー女だから、アレへのハードルは下がっているけど、今夜いきなりはさすがにないだろ。それこそ連絡を取り合って、二人っきりで会って、告白を受け入れてベッドだ。


「その方が堅実かと存じます。急がば回れとも申しますものね。とりあえず連絡先をお渡しさせて頂きますから、この続きを頑張って下さい」


 それだけ言ってトットと帰るな!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る