逃した魚

 花屋敷さんと話した後だけど、


「明日菜、聞いた?」


 聞いた。明日菜が呼び出された数日後に花屋敷さんは告ったみたいだ。


「でも即答じゃなかったみたい」


 それも実は知っている。後から指折り数えたらわかるのだけど、おそらく花屋敷さんが告った日から結城君の様子が変っていた。いつもならニコやかに話をしてくれるのだけど、雰囲気が重くなっていた。


 口数も少なくなり、黙って歩くだけになっていたもの。結城君が思い悩んでいるのは横にいるだけでも伝わって来たぐらい。明日菜は花屋敷さんと先に話していたから、この一緒に帰る関係をどうやって終わりにするかを悩んでいると思ってた。


 そうなるよね。花屋敷さんと付き合いながら、明日菜と二人で帰るのはおかしいもの。そんなことをするのが浮気と言えるかどうかは自信ないけど、明日菜の彼氏が他の女の子と二人きりで帰ったりすれば良い気持ちはしないもの。そんな日が続いた後に、思いつめたように、


『長い間、迷惑をかけてゴメン』


 これだけを別れ際に言って、次の日からは明日菜に声を掛けなくなってしまった。そう、別々で帰るようになったんだ。さすがに寂しかった。


「明日菜、これで良かったの」


 良いも悪いもないよ。結城君は明日菜を好きだったかもしれないけど、明日菜はそうじゃなかったもの。だから付き合ってもいないし、ましてや彼氏でもない。彼氏でもない結城君が他の女を好きになり付き合うのに文句なんてあるはずもない。


 それにだよ、花屋敷さんはわざわざ明日菜を呼び出して交際関係の有無を確認してるんだよ。そこまでキッチリされた上で、結城君が花屋敷さんの彼氏になったのに良いも悪いもないじゃない。


「結城君、そんなに気に入らなかったの?」


 気に入らないじゃない。恋愛対象に見れなかっただけ。


「明日菜が良いなら、それで良いけど」


 花屋敷さんと結城君の公認カップル誕生は衝撃的な話題になった。そりゃ、なるよ。なんてったって、学園ナンバーワン・アイドルの花屋敷さんが彼氏を作っただけでもビックリなのに、お相手がこれまたあの結城君じゃない。不釣り合いだってやっかみは山ほど出てた。


 男子連中の気持ちはわかる。男子だけでなく女子だって意外の感想しかなかったもの。選ぶなら、もっとマシな男はいくらでもいるだろうって。その気持ちは明日菜にもあったよ。言ったら悪いけど明日菜でさえ恋愛感情が湧かなかったぐらいだもの。


 でも花屋敷さんは本気だった。いや本気なんてものじゃなかった。だってだよ、あの花屋敷さんが連日弁当持参なんだよ。これだけじゃわかりにくいか。自分の分と結城君の分の二つを持参なんだよ。それを昼休みに一緒に食べるんだもの。


「唖然としそうになったけど、あの花屋敷さんが『あ~ん』だよ」


 らしい。クラス違うから見たことないけどね。もちろん帰りも一緒だ。それも教室からお手々つないでだよ。それと花屋敷さんは電車通学ではない。だから結城君は花屋敷さんを家に送ってから駅に戻ってるらしい。家まで手を繋いで帰ってるんだろうな。


「花火大会の時なんか・・・」


 浴衣姿の花屋敷さんが結城君と腕を組むどころか、しがみついていたとか。他にも公認カップルはいるけど、ここまで堂々と開けっぴろげに見せつけてくれるのはいないと思うもの。


「それどころじゃないよ」


 釣り合いが悪いカップルだと本音ではみんな思ってるし、中には本人の耳に入るような陰口を叩くのもいる。でもあれも凄いと思う。花屋敷さんは陰口が聞こえるとツカツカと歩み寄り、


『わたくしの愛する人を貶めるとは、わたくしを貶めるのと同じことです。言いたい事があるのでしたら、わたくしがお聞きさせて頂きます』


 これを睨みつけながら言うものだから、黙ってしまったぐらいかな。そういうシーンを明日菜も一度見たけど、そうだね古典で習った柳眉を逆立てるってあんな感じかと思ったぐらい。はっきり言って怖いぐらいだった。



 好き合った男と女がカップルになっただけの話で、そうだね、せいぜい羨ましいだけの話に過ぎないはずなのに、どうにも割り切れないものが明日菜にある。なぜか結城君と過ごした日々を思い出しちゃうのよ。


 あれは一緒に帰り始めてしばらくしてからだけど、やっぱり一緒に帰るのが疎ましく感じたのよね。だから結城君の姿が見えたら走って逃げたことがある。それだけやれば、もう付きまとわれないだろうって。


 そしたら何日かしたら結城君が追いかけてきた。逃げる明日菜の肩を掴まれて呼び止められ、


『一つだけ聞く。ボクと話をするのさえ嫌なのか』


 そうだと喉まで出かけたけど、結城君の思いつめた顔を見ると言えなかった。なんか押し切られちゃった感じかな。今から思えば、あんな強さも結城君にはあったんだと思う。もっとも、それをキッカケにグイグイにならなかったのも結城君だったけどね。


 結城君とはあれこれ話したけど、明日菜をイジったことは一度もなかった。本当に、唯の一度もなかったんだ。明日菜を笑わせ楽しませようとはしてくれたけど、絶対に明日菜をイジって笑いを取る素振りさえなかったんだよ。


 それと思いの外に紳士だった気がする。重い荷物があれば、本当にさりげなく、いやそれが当たり前みたいに結城君は持ってくれた。今から思い返しても明日菜も違和感なく渡していたもの。


 こんなもの誰かに話しても信じてくれないだろうけど、気が付いたら結城君が荷物を持ってくれてる感じなんだ、実際はやり取りがあったはずだけど、そこがスマートだったんだよ。そうだね、『じゃあ、お願い』みたいな感じだったはず。


 これは後から気づいたようなものだけど、必ず結城君は車道側を歩いていた。これもそうさせるようにしたのじゃなく、明日菜と歩くのならそれが自然としか思わせなかったもの。気づくまでもなく、そうなってた感じだ。


 逆に明日菜が気になったのは傘だった。明日菜も傘を忘れる日だってある。天気予報だって外れる時もあるじゃない。そうなれば相合傘になりそうなものだけど、ならなかったのだよ。


 なんと結城君は折り畳み傘をもう一本持って来てたんだ。あの時は助かったとしか思わなかったけど、こんなもの信じられる。明日菜が傘を忘れた日のために、常に明日菜用の折り畳み傘を用意してたんだよ。


 あれも不思議過ぎるよね。結城君が明日菜に好意を抱いていたのはもはや疑う余地はないと思う。雨で明日菜が傘を忘れたパターンなら、普通は相合傘のシチュエーションを目指すはずじゃない。相合傘になっても明日菜は十分感謝するもの。濡れるのはイヤだものね。


 あれは明日菜と触れるのを避けてたとしか思えない。触れると言っても服越しだし、肩を寄せ合う程度じゃない。雨の日なら恋人同士でなくてもありえるシチュエーションだもの。でもそれを結城君はあえて避けてた気がする。


 その点は妙に徹底していた気がする。あれだけ一緒に帰って、服越しでも触れあったのは、たぶん明日菜が結城君を避けようとして逃げ、肩を掴まれた時だけ。荷物を受け渡しをする時でさえ明日菜に触れる事はないんだもの。


 あれってどうしてなんだろう。好きだったら偶然を装っても触れたいのじゃない。でも結城君はそうやって馴れ馴れしくすることで、明日菜に嫌われるのを恐れてたのかも。そこまでするのは、それこそカップルになって初めて許される行為だったとか。


 そういえば誕生日のプレゼントももらったな。あれも実は結城君の方が先に誕生日が来たんだけど、明日菜は完全に忘れてた。それ以前にプレゼントを贈るような仲じゃないと思ってた。なのに、なのに結城君は・・・



 今さら過ぎるのはわかってる。でも思い返してみると結城君は明日菜に本当に良くしてくれた。どれだけ大切に扱ってくれたことか。みんなに言われもの、


『そこまで大事にしてくれるのは、本当の彼氏だってなかなかいないよ』


 あんただって彼氏がいた事ないないじゃないかと突っ込みそうになったけどね。これって愛されて、想われていたってことだよね。愛して大切にしたい人だからそこまでやってくれていたって事になる。


 結城君との下校タイムは花屋敷さんの出現で終わりになったのだけど、あれも妙すぎる。妙どころか変だ。そもそも結城君が花屋敷さんの告白の返事を悩む必要なんてないじゃない。この世の中で悩む男がいる方がおかしすぎる。


 でも結城君は悩んでた。悩んでたなんてものじゃないのは一緒に帰っていたから良く知ってる。あれだって、これからは花屋敷さんと一緒に帰るから、明日菜とは帰れないと告げるだけにしたら、どう見ても悩み過ぎだ。


 信じられないけど、明日菜と花屋敷さんを天秤に掛けて悩んでたとしか考えられないのよ。それもだよ、百歩譲って明日菜と花屋敷さんが同時に告白したのならまだわかる。いや、それでも無理があり過ぎる。そんなシチュエーションでも即答で花屋敷さんだ。


 なのにもっと条件が悪すぎるじゃない。告白してきた花屋敷さんと、一向に恋愛感情を抱きそうにない明日菜だよ。結城君は花屋敷さんを蹴ってでも明日菜を口説きたかった事になってしまう。


 すべて明日菜の妄想かもしれないけど、そうだとしか見えないと言うか、そうとでも説明出来てしまうぐらいなんだ。そんな事が起こるって信じろとするのに無理があるのはわかってるけど、日が経つにつれてそんな思いが強くなって来てる。


 そう思ってしまうのは、イチにもニにも花屋敷さんの態度。どうしてあそこまでベタベタになれるのよ。そりゃ、好きな男に尽くしたって悪いわけじゃないけど、花屋敷さんがあそこまでするのは過剰も良いところじゃないの。


 あれは、ようやく捕まえることが出来た最愛の男を、どんな手段を使っても離したくないにしか見えないもの。そう言えば花屋敷さんはいつから結城君が好きになってたのだろう。他の男子の告白を断っていたのは、最初から結城君が本命だったとか。


 本命だったらもっと早くに告白しても良さそうなものだけど・・・えっ、まさか、明日菜がいたから。そりゃ、明日菜と結城君の仲は誤解を招くほどだったのは知ってるけど、それを横目で見ながら花屋敷さんはひたすらチャンスを窺っていたとか。


 まさかついでで言えば、花屋敷さんは結城君が心のどこかに明日菜への想いを残しているのを感じてるのかもしれない。感じているからこそ、あそこまでのラブラブアピールをやっているとか。これってひょっとして、


『逃した魚は大きかった』


 花屋敷さんがそこまで評価する結城君は真のイケメンで、明日菜はその気があればいつでもゲットできたのに、能天気に花屋敷さんに譲り渡してしまったとか。あははは、考え過ぎだよね。


 それでも明日菜は恋愛経験ぐらいを出来たかも。結城君が明日菜を想ってくれていたのぐらいはわかるもの。だけど初恋じゃないよね。残念ながら明日菜には最後まで恋愛感情が湧いてこなかった。


 明日菜が出来た恋愛経験は、相手に惚れられて口説かれた経験かな。これだって立派な恋愛経験のはず。そうしてもらえた時間は、正直なところ楽しかったし、白状すれば嬉しかった部分もある。


 あのまま口説かれ続けてたら・・・どうだろう。もしかしたら恋愛感情も出たかもしれないな。今となってあれこれ思ってしまうのは、たぶん明日菜の心がそうなりかけていたのかもしれない。


 でもね、失恋こそなかったけど、終わった恋だ。今さら未練がましく奪い返しに行く気もない。ましてや相手は花屋敷さん。結城君だって明日菜より花屋敷さんの方が良いはずだもの。

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