第17話 17


「ねえねえ、竜ちゃん……」

 嬉しそうな、楽しそうな声で響子が俺に話しかけてくる。

 ついさっき会話は人目のつかないところでと念を押したのだが、そんなことをすっかりと忘れてしまったかのように俺へと。

 まあ、無理もないことなのかもしれない。俺が産まれるもはるか前から響子はこの高校の中でずっと一人きりだった。自分には見えていても、誰も自分の存在に気付いてくれない。そんな状態では会話なんか到底不可能だ。

 そこにようやく存在に気が付き、会話可能な俺が現れた。

 浮かれてしまうのも仕方がない。

 別に俺は自分のことをおしゃべり好きとは思っていない。まあこれは悠という幼馴染がいつも身近にいたせいかもしれないが。悠は本当によくしゃべる。口から声を発していないのは何かを口の中に入れている時だけと思うくらいによくしゃべる。ああ、ちょっと話が脱線しそうになったかた軌道修正すると、別段会話が特に好きでもない俺でも一日中誰とも会話することなく過ごすことになったら精神に軽い支障をきたしてしまうかもしれない、心が病んでしまうかもしれない。馬鹿な俺でもそれが苦しいことは容易に想像がつく。

 そんな環境で響子はずっと過ごしてきた。

 浮かれてしまうのも当然、当たり前だが、

「あの先生はね、もう十年近くもこの高校にいるの。最初は線が細くて気も弱そうで、これから教師としてやっていけるのかなと心配だったんだ。案の定失敗が多くて生徒にもなめられていたし、上の先生達にも色々と言われて見ているだけすごく気の毒だった。もう教師を辞めてしまうんじゃ、それ以上に自殺してしまうんじゃないのかってくらい見事に落ち込んでいたけど、ある日女子生徒から、「先生の授業面白い」って言われて、そこで少しは自信が付いたらしく、そこからは少しずつだけど変わっていたのに。この先生は教科書をあまり使わずに自分で作ったプリントで授業をするから、他の先生達からは小言を言われるけど、我関せずにしていたら、後から入ってきた先生達も感化されていって、いつしかリーダー的な存在になっていたの。ああ、それでね先生は三年前に結婚したんだけど相手は誰だと思う? それがね、あの自信をつける言葉を言ってくれた女子生徒なの。なんでもね、相手のほうはその時から先生のことを想っていたらしいんだけど、相手になんかされないと思ってずっと黙っていたんだって。でもさ、卒業間近になったら我慢できなくなって、ついに告白したの。これまで色々と校内で告白の現場をコッソリと見ていたから、その経験上この告白は絶対に上手くいくと思っていたけど先生断っちゃったの。その時の女の子の悲しそうな、寂しそうな顔を今でも思い出すな。でもさ、これが私の経験することができなかった青春かと思うとなんか切なくなったな。それから数年経って先生の体が徐々に丸くなり始めたのよ。そしたら結婚するという話が出てきて。その相手があの女子生徒。職員室でこの話を盗み聞ぎした時はすごくビックリしたんだから。あれであの子の恋は終わりだと思っていたのに、学校の外でロマンスがあったみたい。どんなことがあってくっ付いたのか知りたいけど先生口が堅くて全然話さないのよ」

 途中有益な情報を教えてくれたけど、大半は、いやほとんどがどうでもいいような内容。

 そんな俺の気も知らないで楽しそうに話している。

 なんかまるで、おばさん、みたいだ。

 この感想はあながち間違いじゃないかもしれない。もう四半世紀以上この学校の中を一人彷徨っていた。それプラス生前の年齢は俺と同じくらい。ならば、少なく見積もっても四十代以上。数字的には立派なおばさんだ。

 おばさんならば、これだけ取り留めもなく話し続けるのも納得できる。

 これまで話し相手がいなかったんだ、思う存分話したいという気持ちも理解できる。

 だが、今は授業中だ。頼むから静かにしてくれ。

 それに前までは半透明だった姿が、今ではハッキリと見えている。

 前に立つな。黒板が見えない。

 このままでは埒が明かない。前よりも酷い状態になってしまった。

 ノートの隅に小さく『黙れ』と書く。

 俺の書いた文字を見た瞬間、浮かれていた響子が一瞬で落ち込んでしまう。

 ああ、不貞腐れて天井辺りを力なく漂いだした。なんか生気のない、幽霊だからもともと生気なんかないけど、ついさっきまでは生き生き、幽霊にこの表現は合っているのか疑問だが、とした目を落ち込ませ俺を恨めしそうに見ている。

 ええい、さっきの文字の後に続きの言葉を書き込む。

『放課後誰もいない所で話を聞いてやるから』

 今泣いたカラスがもう笑う。じゃないけど、響子がまた楽しそうに教室中を自由に飛び回る。

 黒板の前を飛ぶな、ノート取れないだろ。

 ……まあ、いいか。


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