第四十一話
「そうです――もう少しで、彼を理解出来る。彼になれる……栗彦は、兄の事を理解して完全なる意味で一つになるのだと、しきりに言っていました」
ツユにとってはまるで意味がわからない言葉だった。狂気に陥った栗彦の中の
「ところでジョウロくん。大方予想は定まったのだが、ダメ押しにもう一つキミに問い掛けたい。もしその回答が僕の見立てと合致しているのなら、完全に
――え、と呆けた口元のツユにメザメは間髪入れずに尋ねて来た。
「
強く首を縦に振ったツユ。
「何を見た?」
――ツユがこれから言い放とうというこの回答が、メザメの見解と一致したのならばその時――栗彦の中に巣喰い、狐達が祀っていた
「
「
メザメとツユの声が重なっていた。すなわちそれは――。
チリンとメザメの袖の奥から鈴の音が聞こえた気がした。
「解き明かしたり、怪異の正体。
「魃……ですか?」
「通りで叶わぬ筈だ。魃とは中国神話伝来の
――神、と繰り返して放心するツユに向かって、メザメは続けていく。
「魃とは別名を“ひでりがみ”とも言い、“日和坊”とも同一視される。妖怪の祖、鳥山石燕の画集にもその存在が記されている、れっきとした怪異だ」
メザメは読んでいた文庫本の背表紙をポンと叩いた。そこには確かに、高い山の側に立ち尽くした片手片足姿の毛むくじゃらの猿の妖怪が描かれていて、名を『
「キミに一度、なぜ空にてるてる坊主を吊るすのか? そう問われたな」
「はい?」
「その時に気付くべきだった。『異界のおみくじ』の作中でも栗彦がそう記していた…… キミの言う通り、狐達は
どういう事なんです?
「魃とは
「まさかてるてる坊主って……」
「そうだ、キミも一度くらいは幼い頃に作った事があるだろう。あのてるてる坊主の願いの先はこの魃にある。人身御供を捧げ、晴天を願っているのだ」
知らずの内に、私達日本人がてるてる坊主を通じて魃という怪異を信仰していたという真実に驚きを隠せないでいるツユ。
「で、でも……それじゃあどうして狐達は魃を〈厄〉と呼んで異界に留めようとするんですか? だって晴天を司る神様なんですよね、狐達だってそうして祀っている訳だし」
「晴天と聞けばイメージは良いが、
メザメは興奮まじりに続ける、少しばかり頬が紅潮しているのが見てとれた。
「稲荷とは五穀豊穣の神だ。彼らにとって旱魃は〈厄〉に他ならない。故に奉り、人身御供を捧げて機嫌を取る。その場に永遠に幽閉して世に出さぬ為に」
「そんなの酷い。あんな所に一生閉じ込められているだなんて」
――魃とは人の都合に振り回される宿命にある怪異なのかも知れない。
そう口火を切ってからメザメは文庫本を閉じ、組んでいた足も下ろして本腰を入れて語り始めた。
「魃は元々天上界の存在だ。それが強い力で下界に引きずり降ろされこの世に受肉し、人の争い事に利用された。やがて力を使い果たした魃は天界に帰れなくなった。強過ぎる力故に死ぬこともまた出来ずに彷徨った。用が済んだら人は旱魃をもたらす魃を邪魔者にし、女神を意味していた「妭」の字の部首も女から鬼に変えられた」
「つまり魃は元々女性の神様なんですね」
「そうだ。そして人に散々利用され、用が終われば厄災だと忌み嫌われ、虐げられた……そういった、悲しい怪異が魃なのだ」
絶句したツユは栗彦のあの茫洋とした魔の目付きを思い起こす。悲しき歴史があるからこそ、あの目は深淵を見せていたのかも知れない。
「いつしか住処を中国から日本にまで追いやられていた魃は、今でもそんな風に〈厄〉だからって異界に幽閉されていたと言うんですね?」
――そうか、だから魃は狐達のおみくじに混じって外に出る事を試みていたんだ。そして兄がそれを引き当てた。木箱を底の底までひっくり返す行為によって、魃はやっと異界を出られたんだ。その身こそが私の兄、
つまり魃が兄の体を返す事を拒んでいるのは、そう言った理由があるからだろうか? そこまではまだ想像が及ばない。
するとメザメはわざとらしく大仰に語り始めた。とぼけた顔をしながら頬杖を付いて、ツユを伺う様にしながら。
「常世の身という肉袋に押し止められ、彷徨い続けるだけの亡者。いいや、怪異はまさに柔軟無形。夢の様であり水の様に揺蕩う存在。肉の身とはその殆どが水。神の視点から俯瞰すれば水袋とも言いかえられる。
――
聞き覚えのあるフレーズに、ツユの顔はいまハッキリと上げられていた。
「『異界のおみくじ』で、魃の心情と兄の心情が入り混じっている?」
「そう、
「同化って……でも兄の魂は異界の空に吊るされていて、そこには無いんですよ、それなのにどうやって兄と一つになろうだなんて……」
すると、メザメは切れ長の瞳をツユへと寄越しながらに言う。
「
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