2・幕間 赤毛のロックオン
(ウォルフの、ヴィーと出会った当時のお話です)
昨晩届いた手紙を見ながら、そこに書かれている指定の薬を紙袋に詰める。
こんなに大量にどうするのだろう。
だけれど馬で一ヶ月の行軍はかなり身体に負担がかかると騎士たちが話していたから、それで必要になるのかもしれない。
彼は小隊長になったばかりだから、張り切って隊員たちの分も用意したとも考えられるな。
オレは紙袋を服の内ポケットにいれようとして、ふと動きを止めた。
この薬は高額だ。
先日大ポカをして父親にノルマを上げられてキツイ思いをしていたけれど、この売り上げで達成ができる。もしかしたら彼はそれを考えて購入した、なんてことはないだろうか。
◇◇
先日開催された王宮のお茶会。王子アルベールがペソアに留学するため、その挨拶を兼ねた重要なものだった。しかもシュタイン公爵家の双子が来るという。その双子は王子ら僅かな友人を除けば、決して人前に出ないとの噂だ。それで、父親から重々注意をされていた。
オレは時たま短慮なところがある。うっかり双子に失礼なことをしたら大変だ。何しろシュタイン公爵は名門かつ、宰相を勤める政府の重鎮で、双子は掌中の珠だ。万が一粗相をしたら、ブラン商会なんて簡単にとり潰される、と。
随分大袈裟だ、と思った。
その双子は、オレと同い年で、見ればすぐにわかると言われた。月光のような銀髪と美しい面立ちだから、と。そう言う父は、その双子に会ったことも見たこともないというので、笑ってしまった。父が自分の目で確認してないのに、美しいなんて決めつけることは普段なかった。
その日は半年も前から決まっていた、ブラン商会の創業記念祭があった。商売に厳しい父は、重要なお茶会があろうとも、俺を休ませてくれず、店頭に立ってからの出席だった。
オレは大切な仕事で気合いが必要なときに着るのは、黒い服と決めている。それが一番自分の燃え上がるような赤毛とあって、強烈な印象を残してくれるからだ。
その気合いで臨んだ創業祭は、まあまあの成果だった。だけどただひとつ、腹が立つ出来事があった。
飛び込みの客の要望で、クラヴァットの試着を手伝ったのだが、いまいち彼の希望する形がわからず上手く結えなかったのだ。客は、『やはり子供だ、不器用だな』と鼻で笑った。
そのあとに行ったお茶会で、姉と彼女の友達にその話をした。すると練習をしてみようという流れになり、侍従が飾り折りしたナプキンを真似てみることになった。
姉たちは上手くできた。だけれどオレは、歪になってしまい、四苦八苦。
そんなとき横から笑いを含んだ口調で、
「不器用だなあ」
との言葉がかけられた。
そのとき最も言われたくなかった言葉を投げつけられたオレは、ムッとして振り返った。
すると見たことのない美しい子供が立っていた。先ほどの声は高すぎず低すぎず。服装は男物だけど、男か女かわからない容貌と声だった。きっと男なのだろうが、見知らぬヤツに揶揄されてひどく腹が立ったオレは、
「男か女かはっきりしろ」
と嫌味を言った。
その瞬間、そいつとオレの間に誰かが割り込んできたと思ったら、頬をひっぱたかれた。
あまりのことに、最初は何が起こったのか、わからなかった。頬がジンジンと痛み、高い耳鳴りがして呆然としていると、姉が慌ててオレを立たせて謝らせようとした。
目前で怒り狂う銀髪の女。焦る銀髪の、恐らくは男。
そうか、シュタイン家の双子か。
すぐにやらかしてしまったとわかったけれど、なぜオレが一方的に怒られて謝らなくてはいけないのか。オレも侮辱されたし、問答無用ではたかれもした。理不尽じゃないか。
挙げ句にアルベール殿下が出て来て、詳細を糺すことなく怒りを向けてきた。
それが国王になる人間のすることか?
怒りと呆れと不満と屈辱と。
だけれどオレの愚かなミスで、ブラン商会を潰すわけにはいかない。国中に広がる支店まで含めれば何百もの従業員がいる。
オレは不承不承、心のない謝罪をした。
だけれどその後。狼狽えるだけだった銀髪の少年は、毅然とした態度で自分の非を衆目の中で王子に訴えて詫び、巻き添えをくった姉に礼をとり、オレにも謝罪をしてくれた。同い年の男とは思えない可愛らしい声で。
双子の片割れとも王子とも違う。
こいつはまともなヤツだ。
そうわかったら、腹立ち紛れに嫌味を言った自分が悪かったと素直に思えたのだが、謝るまもなく少年は片割れと共に帰ってしまった。
その後オレたち姉弟もすぐに辞去し、直ぐ様、父に報告をした。
父は馬鹿者がと一喝すると、即刻謝罪に回ると言って詫びの品を用意した。
そして王宮へ向かう馬車の中で聞いた。あの少年は、王子をかばって呪いを受けた少女なのだと。本人は記憶をなくし、生まれながらの男だと思い込んでいる。だから家族や友人が、彼女が傷つくことがないよう守っているのだ、と。
あの清廉な態度の少年が実は少女とは、到底思えない。だけれど確かに見た目は性別がわかりづらかった。
そんな身の上の少女にオレは、最も言ってはならない言葉を投げつけてしまったのだ。
反省しても、連絡の取りようもない。シュタイン家の双子には手紙の取次もしないという。来た手紙はすべて兄が目を通してから捨てるらしい。屋敷に入れるのも、必要最低限の関係者だけ。徹底的に外界を排除しているという。
なんでそこまでとは思うけれど、現代では伝説に等しい呪いを受けているのだから仕方ないのかもしれない。
外部の人間で双子と交流があるのは古くからの友人である、王子、王女、オレと同じ少年団に入っているジョシュア・マッケネン。それと兄フェルディナンドの親友の騎士アンディ・ブルトンだという。
ジョシュアとブルトン小隊長なら顔見知りだけれど、特別親しいわけではない。
小隊長は騎士団の中で最も尊敬している一人だ。
それはもちろん騎士としての技術力の高さもあるけれど、それだけじゃない。
残念ながら、騎士と言えども狭量で底意地の悪いヤツらもそれなりにいる。そんな中で彼は、大貴族の跡取りだというのに少年団の指導の手を抜かない。そればかりか、身分の差があっても分け隔てなく公平な態度をとっている。オレのように騎士になる予定がない者に対しても、だ。
その上、オレが父親から売り上げノルマを貸されていることを知ってからは、定期的に買い物をして助けてくれている。
だけどそれだけの仲で、彼女への詫びの仲介を頼めるような間柄ではない。
残念だが、謝る機会はないのだろう。
そう思っていたのだが――
◇◇
オレはポケットから昨晩届いた手紙を出して読み返した。
欲しい薬があるからこっそり売ってほしい旨と、待ち合わせ場所が書かれているだけだ。
手紙の主、ブルトン小隊長は双子の兄の親友だ。ノルマのことを知って、助け船を出してくれたのではないだろうか。
それは考えすぎだろうか。
まあいい。これを渡すときに尋ねてみればわかることだ。
◇◇
秘密とのことだったので、馬車は出さず徒歩で向かったのだが、途中で顧客にあってしまい時間を食ってしまった。
走って王立植物園の指定場所へ向かう。近くまで行くと、ベンチに座るブルトン小隊長が見えた。背格好が大きいので目立つ。待たせてしまったと足を早めて気づいた。隣に華奢な少年がいる。
まさか?
シュタイン家の彼女か?
そんなことはないよな?
とりあえず尊敬するブルトン小隊長と、必要なやり取りを済ます。それが終わると彼は、実は本当の要件は彼なんだと少年を指した。
町の子供のような格好。だけれど一目でシュタイン家の双子だとわかった。どんな格好をしても美しい顔は隠せない。その美しい顔にはこの前と同じ、申し訳なさそうな表情が浮かんでいる。
掌中の珠で厳重に守られているのではなかったか?
そこを押して、オレに改めて謝りに来たのか?
まともどころか、いいヤツじゃないか。
オレは素直に詫びた。この前は口先だけだった。今回はしっかりと気持ちを込めて。
オレが謝ると彼女は、謝らないでと慌てた。
やっぱり、いいヤツだ。あの時幾らイラついていたからとはいえ、ろくに相手も見ずにあげつらった自分が恥ずかしい。
しかもじっくり話してみると、呪われて鉄壁の要塞で守られている少女というイメージが、がらがらと音を立てて崩れていくのがわかった。名門公爵家の令嬢でもない。
驚くほど飾り気がなく無邪気だ。
なるほど、だから過剰なまでに守っているのか、と納得した。この子が傷つき壊れないよう、必死になっているのだろう。
短い会話しかしていないのに、いやに楽しくて浮かれた気分になった。もっと沢山話したい、いや、友達になってまた会いたい。
彼女は自分を男だと思っているせいなのか、笑顔もまったく気取っていない。せっかく美しい顔立ちなのに、それを崩して豪快に笑う。
可愛い。
家業がら、友人知人は大勢いる。けれど彼女はダントツに、可愛い。
高まる胸に、まずいものを感じながらも彼女と笑いあっていると、突然刺すような視線を感じた。目をやると、離れたところにいたはずのブルトン小隊長がいつの間にかそばに戻ってきていた。無表情なのに、目だけ異常に力がある。まるでオレを射殺しそうな目だ。
肝が冷えた。
一体、なんだ?
だがそれは一瞬のことで、彼はすぐに笑顔を浮かべて彼女に話しかけた。
背中を冷たい汗が流れ落ちる。
見間違いか? あんな目は、少年団の稽古でも見たことがない。
だが、小隊長は普通にオレにも話しかけてくる。
気のせい、と思おう。
彼女がオレに友達になって欲しいと言うと、彼も笑顔で頼むと言った。オレは彼女ともっと仲良くなりたい。了承すると、喜んだ彼女はオレの手を握りしめた。
やっぱり男の手とは違う。華奢で柔らかい。
一旦落ち着いていた胸がまた、高鳴り始めた。
そう思った瞬間、また強い視線を感じた。すぐにその気配は消えたけれど、気のせいじゃない。
これは……
◇◇
その晩床につくと、昼間のことを思い返した。
あの少女は可愛い。友達になれた。また会える。嬉しい。
というか、この気持ちはまずい。自分でもわかる。オレは彼女を好きになりかけている。
だけれど。あのブルトン小隊長の目は忘れられない。ずっと尊敬してきた。快活で朗らかな人だと思ってきた。なのに、その人の暗部をオレは見てしまったのだ。あの目は考えるまでもない。嫉妬だ。彼女の友達になってくれと言いながらも、本心では望んでいない。それとも『友達』までならいいのか?
あの人は浮き名を流している。女性に執着しない性質なんだと、彼の友人たちが話しているのを聞いたことがある。
とんでもない。あの目はまずい目だ。
誰にも彼女を譲る気はないに違いない。
彼女に恋するのはダメだ。いつ呪いが解けるかわからないうえに、物騒な守護者がいる。
そういえば、やけに彼は彼女の頭を撫でていたっけ。
息を吐き出して。
彼女はダメだぞ、と自分に言い聞かせながら眠りについた。
◇◇
オレが彼女と友人になり、更にはシュタイン家の外で遊ぶ約束も取り付けたと知った父は、命じた。絶対に惚れるなよ、と。
父は本当は双子に会ったことがあったそうだ。まだ彼女が呪いを受ける前のことだ。双子は幼かったけれど、目を見張るほど美しく、そして彼女はその美しさをぶち壊しにするほどの活発さで、それが余計に可愛らしかったらしい。
オレは心の中だけで父にむかって、すでにまずい状況なんだと謝った。だけど絶対にこの気持ちに歯止めをかける。
そして『友達』として遊ぶ約束の日。オレは、ダメだぞ、と何度も念じながら王立植物園に向かった。
今まで完璧に守られてきたのだから、彼女が一人で来ることはないだろう。ジョシュアでも来るかなと考えていた。予測は当たった。むしろ思っていた以上に付き添いがいた。オレを平手打ちした妹と王女だ。さすがにこの二人には戸惑ったけど、余計な人間が多いほうがいい。
オレはこれ以上彼女に魅了されたくない。
大勢で楽しく過ごし、オレはなんとか乗りきったと安堵した。彼女は変わらず可愛くてドキリとさせられることはあったけれど、この程度なら大丈夫。会うときはいつも大人数にしよう。オレは忙しいから頻繁に会うことはできない。まだ引き返せる。
そう思いながら帰途につこうと、馬車のステップに足をかけたとき――
「ウォルフガング!」
辺りに響き渡るような大声で名前を呼ばれた。
振り向くと、同じような態勢のヴィーが大きく手を振っている。振りすぎてステップから落ちそうだ。
「今日はありがとう! 友達になってくれてほんと、嬉しい!」
満面の笑みで美しい顔が台無しだ。
ダメだ。
負けた。
完敗だ。
「オレも! 楽しかったぜ!」
叫んで負けじと手を振り返した。
馬車に乗り込み扉がしまると、長いため息をついた。
心の中で父親に、すまんと謝る。
あれは無理だ。抵抗できない。
オレは彼女が好きだ。
察しのいい従者が、
「前途多難ですよ」
と言う。
「わかってる」
恐らく彼女は、妹のミリアムをオレに押しつけようとしている。つまり彼女にとってオレは恋愛対象外ってことだ。
それから呪い。父の話では対策部署があり調査をしているが、解決の兆しはないという。
その二つの問題より一層困難そうなのは、尊敬していたブルトン小隊長だ。あの人は絶対に立ち憚るだろう。
彼女のほうだって、兄の親友への態度には見えなかった。長い付き合いらしいけど、深く慕っている様子だ。
あの関係に割り込んで、あの人の執着と戦い、彼女にオレを好きになってもらう。
難しそうだ。だけど惚れてしまったのは仕方ない。何もしないで諦めるなんてもう無理だ。全力で臨もう。
オレは彼女に心を奪われてしまった。
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