2・幕間 赤毛の長い一日 2

 ヴィーの後をついて誰もいない空き教室に入った。

 こんなのをあの人が知ったら怒るだろう。ヴィーはまだわかっていないらしい。可愛いな。


「あのね、ウォルフガング」とヴィー。「ウォルフガングの気持ちには答えられないよ。ごめんなさい」


 ……ど直球だ。


「わたしにとってウォルフガングは大切な友達だよ。これからもそうでありたいけど、ウォルフガングが嫌なら距離を置く。委員もミリアムが交代してくれる」


 思わず笑ってしまった。


「お前にフラレたのに、お前にそっくりのミリアムと委員をするのか? おかしいだろ。せめてジョーあたりに頼め」

「ミリアムにしか話してないんだ」


 バレンを含めた四人は、きっちり知っているぞ。それにオレの友人たち。


「いいよ、大丈夫だ」

 不思議に気持ちが軽くなっている。

 ヴィーにとって昨日の午後は、きっと幸せで夢のような時間だっただろう。そんな中で、しっかりとオレのことを考えてくれた。

 さすが、オレを虜にしたヴィーだけのことはある。

「お前とオレは友達だ」


 ヴィーが不安そうな目でオレを見上げている。

「あのね。その」

 顔を赤くして言いよどむ。

 助け船を出すか。

 だけどヴィーの口からはっきり言われたほうが、諦めがつくかもしれない。

 彼女の言葉を待つ。


 ヴィーは息をついた。

「あのね。わたし、アンディが好きなの」

 小さい声で告げられる。

 とっくに知っていたさ。

「それで、アンディも。だからね、婚約することになったよ」

「そうか」

「それでも友達でいて大丈夫?」

「ああ」

 そうだ。その方があの人は嫌がるだろう。いいな。ささやかな仕返しだ。


 よかったと安堵の笑みを浮かべるヴィー。

 バレンが、ヴィーを諦める宣言をした後も未練がましくちょっかいを出していた気持ちが、今、ものすごく分かる。

 これは今まで以上の忍耐が必要かもしれない。


「お前とオレは今後も友達」

 ヴィーは嬉しそうに頷く。

「だけどな、オレはヴィーが好きなんだ」

 とたんに彼女の顔が陰る。

「こんなひとけのないところにオレを連れ込むな。隙を見せたらキスするぞ」

 狼狽えるヴィー。

「わかったか。気をつけろよ」

 慌てて頷くヴィー。


 くそ。

 やっぱり泣きそうだ。



 ◇◇



 委員会が終わるとヴィーはキンバリー先生の所へ行くと言う。

 もう必要はないだろうが、オレが一緒にいたくて彼女を送った。

 そしてひとりで正面玄関へ行くと、あの人がいた。


 騎士団の制服を着ているから、仕事帰りにヴィーを迎えに来たのだろう。

 ムカつく。

 少しはオレに配慮しろ。


 だがあの人はオレを見つけると、そばに来た。

「ウォルフガング。話したいことがある。後で屋敷へ行っていいか」

「これから王宮へ行く。アルに呼ばれているし、屋敷に帰るかわからない」


 今更、何を話すことがある。

 もう敬語もやめてやる。

 ヴィーに出会う前は尊敬していたのに。

 とんだクズだ。


「それなら今いいか」

「……」

 返事はしてやらない。

「ヴィーから聞いたと思う」

 ああ、聞いたよ。あんたはさぞかし浮かれているんだろうな。


「すまない」

 この人は頭を下げた。

 なんでだ。

 そんなことをするなら、ヴィーを寄越せ。

 あんたの謝罪なんていらない。

 そんなものを貰ってなんになる。

 オレの味方みたいな素振りをしやがって。

 一体なんだったんだ。

 オレが一喜一憂する姿を笑っていたのか。





 ……いや。

 この人はヴィーの呪いを解くために、命を失う覚悟をしていた。

 だからオレは、おとなしく身をひいてやるんだ。


「どうしてオレを引き合わせた」

 せめてそのくらい教えろ。

 吐息するとこの人は、

「もちろん、ヴィーが謝罪するために会いたがったからだ」

 と答えて目を伏せた。


「あの頃俺は、留守中のヴィーを心配していたところだった。みんなヴィーを守ろうとするあまり、制限を課してばかりで息苦しい思いをさせていたからな」

 そうだな。それは理解できる。会ったばかりの頃のヴィーは鉄壁の守りの中にいた。

「お前なら安心して紹介できる。きっといい友人にもなる。俺の留守に預けるのにちょうどいいと考えた」

 一応、オレのことを本気で買ってはいたのか。オレがヴィーに恋したのが計算違いだったわけだ。


「ヴィーの結婚相手にも適していると考えた。あのころからお前は抜きん出ていたからな」

「何だって?」

 どういうことだ。

「まさか自分がヴィーに惚れるとは思ってもいなかった。中途半端に支援してしまった。本当にすまない」

 呆然と目の前のクズを見る。


「……あんたはいつからヴィーを好きだったんだ」

「去年の秋頃」

 すまない、と繰り返される。



 もう面倒くさい。

 なんなんだこの馬鹿は。


 殴ってやりたい。

 その端正な顔を力の限り殴り飛ばしたい。

 だけどオレは、ヴィーに嫌われるのは嫌だ。

 その代わりに言葉の拳を繰りだそう。


「ヴィーとは今後も友達だ。今までどおり変わらない付き合いだ」

 この人の目がすっと細くなる。

「ヴィーは喜んでいた。隙だらけだよ。全然オレを警戒してない。可愛いな」


 きっと腹が立っていることだろう。オレは学校でヴィーとずっと一緒にいられる。なのにこの人は仕事でオレからヴィーを守ることは出来ない。ざまあみろ。

「ヴィーを少しでも泣かしてみろ。オレがかっさらうからな」


 返事は聞かずに立ち去る。振り返ることなく、タイミングよく横付けされた馬車に乗る。




 思っていた以上に、あの人は馬鹿なんだ。

 なにが去年の秋だ。そのずっと前から、ヴィーに近づくオレを殺しそうな目で見ていたくせに。それなのに時たま、オレを味方するような言動をした。

 だからあの人の考えていることがわからなかったんだ。


 ……だが本当にオレをヴィーの結婚相手にと考えていたのなら。自分が死んだあと、ヴィーをオレに託すつもりだったのだろうか。




 ヴィー。オレが怖かったのはフェルディナンドじゃない。あの人のほうだ。


 王立植物園で三人で会った時だって、あの目をした。ヴィーとオレが笑っているときに一瞬見せた。すぐに隠してヴィーには笑顔を見せていたが。

 だからオレは最初から失恋覚悟だったんだ。

 あの目はヴィーを、絶対誰にも譲らないように見えた。

 それはもしかしたら、あの人が言うとおりに、まだ兄としての思いだったのかもしれないけれど。感情の種類なんて、どうだっていい。


 あんな目をしている自覚があいつには全くなかったんだな。


 とんだ間抜けだ。

 だが、そんな間抜けのほうがいいなんて。

 歯を食い縛る。



 くそっ。

 なんでだ。

 お前になんとかオレを好きになってもらいたくて、必死に頑張ったのに。





 両手で顔を覆う。

 今なら。誰も見ていない。

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