学園のマドンナ(死語)が、何故かやたらと俺にちょっかいをかけてくる~無表情男と4人のコミュ障女たち~

九傷

第1話 学園のマドンナとの接触



 俺の通う大学には、所謂いわゆるマドンナと呼ばれる存在がいる。

 マドンナとは「多くの男性の憧れの対象となる女性」という意味を持つが、昨今では死語と言ってもいい言葉だろう。

 そもそも、学校一の美少女みたいな存在は現実にはほぼいないと思われる。

 ちょっと可愛いと話題になるくらいの女子ならいるだろうが、学校中に名を轟かすような目立つ女子など聞いたことがない。

 大抵の人間は、漫画などでしか見たことがないのではないだろうか。

 だから俺も、大学でそんな存在を目にすることになるとは思ってもみなかった。



「智ちゃん飯はどうする~? 俺が奢っちゃうぜ~?」


「わ、ありがとう! 今日は手持ちが少なかったから凄く助かっちゃう♪」



 今日も学園のマドンナ――柏木 智かしわぎ ともの周囲には、ハイエナのごとき男どもが群がっている。

 今奢ると言った男の視線は柏木の豊満な胸に釘付けになっており、下心が見え見えだ。

 同じ男として嫌悪感を覚えるが、それと同じくらい柏木も印象が悪い。



(なにが「今日は」だ。「今日も」の間違いだろう)



 柏木が昼飯を奢られるのはいつものことであり、そのたびに手持ちが少ないから助かると言っている。

 だから「今日は」と限定するのはおかしな話なのだが、それについて誰も何も言わないあたり調教がよく行き届いていると思う。

 もし本当に柏木の手持ちが少ないのであれば、最初から奢られる気満々だということで増々印象が悪い。



(まあ、俺には関係のないことだがな……)



 基本的にボッチの俺は、柏木達と関わることがほぼない。

 同じ講義を受けることもあるが、学科も学年も違うので今後も関わることはないだろう。



「あ、先輩、お昼ご一緒しても――」


「いや、もう食べ終わる」


「あ……、そうですか……」



 俺がバッサリ断ると、後輩――渡瀬 准わたせ じゅんはシュンとしてしまう。

 いかんな、イライラのせいでつい語調が強くなってしまった。



「悪い。ちょっとイラっとしてて言い方がキツくなった。詫びというワケでもないが、少しの間でよければ付き合うぞ」


「っ! じゃあ、お願いします!」



 沈んでいた表情をパッと輝かせ、渡瀬が俺の向かいの席に座る。

 何がそんなに嬉しいのかわからないが、喜ばれる分には悪い気はしない。

 俺は食事は一人で手早く済ませたい派だが、今日は午後の講義もないので渡瀬が食べ終わるまで付き合うのも悪くないだろう。


 この渡瀬は、基本的にボッチな俺に関わってくる例外と言える存在の一人だ。

 1年ほど前、パソコンの操作で困っているところを助けたのがきっかけで、変な懐かれ方をしてしまった。

 渡瀬は子犬を彷彿とさせる可愛らしい顔立ちなので頼ればいくらでも助ける男がいそうなものだが、不幸にも柏木と同期のせいかあまり注目されていない。

 本人も頼り下手というか、コミュ障な自覚はあるらしく、一度俺に弱音を漏らしたことがある。

 そのときは「柏木とは正反対の性格なので足して2で割れば丁度いいな」などと少し失礼なことを考えたが、流石に口には出さなかった。



「それにしても、先輩がイラっとするなんて珍しいですね」


「そうか? 割といつも奴等にはイラついてるが……」


「奴等って……、もしかして柏木さん達ですか?」


「ああ。群がる男達も、それを受け入れている柏木自身も気に食わない」


「そうだったんですね……。先輩、あまり表情に出さないから気づきませんでした」



 それはまあ、そうかもしれない。

 俺は何事も極力表情に出さないようにしているため、誤解を受けやすい。

 感情を悟られないようにする俺なりの処世術なのだが、そのせいで能面だとかアイスマンだとかあだ名をつけられている。

 まあ、俺は他人にどう思われようと気にはならないタイプなので、何も問題無いが。



「俺が表情に出さないのは意識してやっていることだから気にするな。何考えているかわからない奴と思われるくらいで丁度いい」


「……それじゃあ、もしかして私のことも、実はウザがってたりして……」


「いや、それはない。渡瀬のことは気に入っているぞ。じゃなきゃ一緒に食事なんかしない」


「っ!? ほ、ほんとですか!?」


「こんなことで嘘をついてどうするんだ。もし嘘なら、俺は気に入らないヤツとでも平気で食事する男ってことになるぞ」



 その方が世渡り上手なのは間違いないが、そういう人間は打算で自分を殺せるタイプなので俺としてはあまり信用できない。

 そんな信用できない人物になりたくはないので、俺自身は正直に生きようと思っている。



「あ、すいません! 別に先輩の言葉を疑ったとかじゃないんです! ただ、先輩が私のことを気に入っているというのが、その、信じられなかったというか……」


「? それはつまり、やっぱり疑ってるってことじゃないのか?」


「そうじゃなくてですね! 自分にとって都合の良いことって、つい疑っちゃうじゃないですか!」


「それは確かにそうだな。……しかし、俺に気に入られてるのが、渡瀬にとっては都合の良いことなのか。渡瀬、お前もしかして……」


「っ!? い、いや、あの――」


「意外としたたかな奴だな?」



 大学では、中学校や高校よりも先輩とのコネクションが重要になる。

 楽な講義を教えてもらったり、過去問の入手などもしやすくなるからだ。

 その相手として俺を選んだのはあまり良い選択ではないが、手の早そうなチャラ男を選ぶよりはマシと言えるだろう。


 渡瀬は何を焦ったのか顔を真っ赤にして手をバタバタさせていたが、俺の言葉を聞くと同時に大人しくなり、ガックリ肩を落とす。



「そうですよね……。先輩はそういう人でした……」


「何がそういうなのかはわからんが、俺を選んで失敗だと思うのなら今からでも乗り換えればいいと思うぞ」


「いいえ! 私は先輩一筋なので!」


「……そうか。そういうことであれば、俺もなるべく先輩らしく協力させてもらおう」


「はい!」



 恐らく渡瀬は、一度受けた恩義を忘れないタイプなのだろう。

 やはり前世は忠犬だったのかもしれない。





 ◇





 一限目の体育の講義が休講になった。

 掲示板を確認した段階では休講表示になっていなかったのだが、電車の人身事故で講師が急に来れなくなったようである。

 この体育館は校舎からかなり離れた位置にあるため、できればここに来る前に知らせて欲しかった。


 急にやることがなくなったため他の学生はさっさとどこかへ行ってしまったが、俺は校舎に戻るのも億劫だったので、とりあえず自販機で飲み物を買ってベンチに座り喉を潤している。

 そんな俺の前を、慌てた様子の女子が胸をブルンブルン震わせながら走り抜けていく。どうやら遅刻してきたようだ。

 人身事故があったそうなので、恐らく講師と同じように電車の遅れに巻き込まれたのだろう。

 息を切らして必死に走ってきたようだが、残念ながらその努力は無駄である。

 ただ、開き直って堂々と遅刻してくるよりかは印象が良い。



「今日は休講になったぞ」



 慌てて更衣室に入っていこうとする女子の背中に声をかける。

 このまま何も知らず着替えてしまっては流石に気の毒と思ったからだ。



「えぇ!? そんなぁ!?」


「っ!?」



 振り返った女子は、なんとあの柏木 智であった。

 必死になって駆けていく姿と、柏木のイメージが全く結びつかなかったので、不覚にも表情を崩してしまった。



「うぅ……、頑張って走ってきたのに……」


「まぁ、残念だったな」



 掲示板を確認すれば気づけたのだろうが、それすらせず走ってきたのだろう。

 真面目と言うべきか、要領が悪いと言うべきか……

 どちらにしろ、あの柏木のイメージとは大分異なっている。



「はぁ、はぁ、喉が……」



 校舎からここまでの距離だってかなりあるのに、もし駅やバス停から走ってきたのであれば息を切らすのも無理はない。

 柏木はフラフラと自販機の前まで行き、肩掛けのバッグから財布を取り出す。

 しかし、財布を取り出した状態でピタリと停止した。



「あーーーっ!? そうだったーーーーっ!」



 一瞬なんのことかと思ったが、先日食堂で柏木が言ってたセリフを思い出す。


『今日は手持ちが少なかったから凄く助かっちゃう♪』


 柏木は奢られるたびに同じセリフを吐いていた。

 その言葉を信じるのであれば、柏木は本当に手持ちの金が少ないのかもしれない。

 いや、それにしたって普通は保険で小銭くらいは持っていると思うが……



(チッ、仕方ないな……)



 柏木のことは気に食わないが、あんなに絶望的な顔をされるとこちらの気が滅入ってくる。

 俺は重い腰を上げ自販機の前まで行き、ミネラルウォーターを購入する。



「ほら」


「え……? い、いいんですか?」


「金、持ってないんだろ?」


「それは……、はい……」


「なら奢ってやる。言っておくが、今日だけだぞ」



 大学の先輩が後輩に奢ってやることなど、別に珍しいことではない。

 たとえ気に食わない相手であっても、一度くらいはこんなことがあってもいいだろう。



「あ、ありがとうございます」



 柏木はペコリとお辞儀をしてからミネラルウォーターを受け取り、素早く蓋を開けて口を付ける。


 ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ……


 余程喉が乾いていたのか、柏木は喉を鳴らしながらミネラルウォーターを飲んでいく。

 一気にペットボトルの半分ほどまで飲んでから、ようやく口を放した。



「ぷは、生き返ります~」


「それは良かったな」



 気持ちいいほどの飲みっぷりについ見入ってしまったが、別に飲み干すまで見届ける意味はないので、この場を去ることにする。



「あ、待ってください!」


「……なんだ?」



 これ以上柏木と関わるつもりはないのだが、呼び止められて無視するのも感じが悪いので一応反応する。



「あの、先輩ですよね? お名前、聞かせてもらってもいいですか?」


「……俺の名前を聞いてどうするつもりだ?」


「どうって、今度ちゃんとお礼をしたいなって……」


「いらん」


「ええぇっ!?」



 断られたのが余程意外だったのか、柏木が盛大に驚く。

 恐らく、自分がお礼をすると言っているのに断る男がいることが信じられない、といったところだろう。

 普通だったら、「そうですか……」とか、「それでは私の気がすみません」みたいな反応になるハズだから、俺の予想は間違っていない……と思われる。



「俺はただ困っている後輩に水を奢っただけだ。礼ならさっきの「ありがとうございます」で十分。じゃあな」


「え、ちょ、ま、待ってください!」



 今度こそ立ち去ろうとする俺の背中に、再度柏木の制止がかかる。

 流石にもう無視しようかと思ったが、追いかけてこられても面倒なので一応振り返る。



「今度はなんだ」


「せ、せめて、お名前だけでも……」



 ……お前は時代劇ごっこでもしてるのか?

 どういう意図があるかはわからないが、セオリー通りならここは名乗らないのが筋である。

 ただ、別に俺はこの地を去るワケではないし、今後も遭遇する可能性が高いことを考えると逆に面倒に思えた。



「……鏑木 一誠かぶらぎ いっせいだ」



 再び背を向け、体育館の外に出る。

 今度は、声がかかることはなかった。





 ◇





 俺の所属するゼミは、全体から見れば不人気とされるゼミである。

 というのも、基本的に人気のあるゼミは比較的若い教授が受け持っているゼミなのだが、ウチの教授はなんと齢65歳を超えているのだ。

 この大学の定年が何歳に設定されているかは不明だが、一般的には65歳が普通なのでかなりギリギリの年齢である。

 再雇用制度もあるのでまだ猶予はあるかもしれないが、もしかしたら俺の世代でこのゼミはなくなってしまうかもしれない。

 そんな未来のないゼミに好んで入るのは俺のような変人しかおらず、所属人数は俺を含め三人だけだった。


 それが今日、新たなメンバーが加わるということで少なからず色めき立っている。

 と言っても、俺は特に気にせず平常通りだが。



(というか、誰が入るか知ってるんだよな……)



 ぶっちゃけ、今日加わる予定の新人は渡瀬だ。

 直接相談されたので間違いない。

 俺はやめておけと忠告したのだが、どうしてもこのゼミに入りたいらしく意思は変わらなかった。

 まあ、それならそうで歓迎するだけなので、俺個人としては何も問題無い。

 問題は俺以外の二人なのだが……



「クックック……、去年の新人にも女はいたからな。今年も女が来るに違いない……」



 滅茶苦茶な理論だが、女子なのは間違っていないので否定できない。



「嶋崎先輩、たとえ女子だったとしても、言動には気を付けてくださいよ」


「わかっている。ギャルゲーで培った俺の話術で、しっかり手籠めにしてやるさ……」


「全然わかっていないじゃないですか……」



 嶋崎先輩は、このゼミで最年長の学生で、現在7年生という大先輩である。

 謎のギャルゲー理論で動いており、そのせいで留年を繰り返しているので、いい加減その理論が破綻していることに気づいて欲しい。

 当然そんな理論で渡瀬が手籠めにされることはないと思うが、セクハラ発言で嫌がらせをする可能性もあるため要注意である。



「……どうせ鏑木に懐いているあの子犬ちゃんでしょ。鏑木、アンタちゃんと面倒見なさいよね」


「わかっている。そのつもりだ」


「……フン」



 この愛想のない女子は沼田 凛奈ぬまた りんなといって、俺の同期の3年生だ。

 愛想はないし、俺に対する当たりも厳しめだが、なんだかんだ色々と助けてくれる頼もしい存在でもある。

 美人なのだが、キツめの言動と目つきのせいか孤立していることが多い。

 俺も最初は少しビビっていたが、平静を装って接しているうちに慣れた。

 ただ、渡瀬に対してキツイ対応をしてくる可能性は十分にあり得るので、こちらも要注意である。



 コンコン



 しばらくすると、研究室の扉がノックされる。

 こういうとき、嶋崎先輩も沼田も自ら何もしようとしないため、必然的に俺が反応することになる。



「どうぞ」


「し、失礼します!」



 元気な声とともに入ってきたのは、やはり渡瀬であった。



「渡瀬、遅かっ――」


「失礼します」



 渡瀬を招き入れようと扉に近づくと、渡瀬に続いてもう一人部屋に入ってくる者がいた。



「っ!? お前は……、何故こんなところにいる……」


「そんなの、このゼミに入るからに決まっているじゃないですか」



 美しいロングの茶髪を優雅に振り払い、あざとく首を傾げた女――柏木 智が、たわわな胸を弾ませ俺の前に歩み寄る。



「これから、宜しくお願いしますね? 鏑木先輩♪」



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