兄の心妹知らず
妹に対する評価は、シンプルに「可哀想な存在」だった。
生まれた時から母親の愛情を知らず、周りがあれよあれよと彼女を
それと、妹とは顔を合わせたくなかったのには他にも理由がある。妹は亡き母にそっくりだったのだ。
ふとした時に見せる笑顔やら雰囲気やら、髪色や瞳の色こそ違えど懐かしさが込み上げてくる。母が居なくなったのは3歳の頃だったけれど矢張り親の存在は大きいのだと思い知らされる瞬間でもあった。
『ヴィオラ。どうか優しい良い子に育って頂戴。
まだ妹がお腹の中に居た頃に言われた台詞。
いつしかそんな約束も忘れて彼女とは決別した様に離れていって話さなくなって伝言以外近寄ろうとしなかった自分がなんと器が小さいんだと嫌気がさした。けれど。
けれど改善しようとは思えなかった。歩み寄りすら嫌だった。
家族だけれど家族とは呼べない不可思議な現象が起きていたのを知っていて気付かないフリをして過ごす日々が心地好くて孤独の良さを知ってしまって彼女と言う存在を自分の中に入れたくなくなってしまったのである。幼いながらに感じた嫌悪感は恐らく消えること無く燻るだろうと確信に近いものを感じていた。
そんな事を考えると、頭の奥で嫌な女性の声が鳴る。
そんな声で女性は僕に語りかける。
『 そうやってまた私を殺すのね、お兄様 』
お兄様なんて、そんな歳の離れた女性にそう呼ばれることなんかある筈が無い。けれどその女性の言葉を聞くと惨めにも震える自分が居る。呼吸が浅くなって見た事ない光景がフラッシュバックされるかの如くなだれ込んでくる。
決まって目にするのは牢獄の中で此方を見詰める
◇◇◇
家族での食事を伝えに彼女の部屋に行くのは正直億劫だった。あの
なんと言うか、落ち着いたトーンのその声は時折耳にするあの女性の声そっくりで心做しかぞくりと胸が変にざわめく。ドアが開けられたかと思うといつもとは全然違う彼女の微笑みにこれまた面食らう。
目の前の少女は誰だ。いや、妹なんだけれどいつもの妹では無い、年よりもずっと大人びた微笑みを浮かべ、落ち着いた声音で此方を見据えている。目の前の少女は不思議そうに此方を見詰めては首を傾げて問い掛けた。
その仕草や雰囲気がとてつもなく母に似てて思わず息が詰まる。嗚呼矢張り。矢張り妹は母に似ている。
だからだろうか、なんとなく置いて行けなくて一緒に廊下を歩いた。部屋に向かう途中で大きな母の肖像画が目に入る。薄く笑みを浮かべて品良く佇む母の様子は何処か人形の様で虚ろな眼差しを乗せて此方を見下ろしている。ぞくり、ぞくり、と背筋が変に泡立つ感覚が少しだけ恐ろしい。……実の母になんてことを、と思われるかもしれないけれど……。
妹にちらと視線を送ると、彼女は寂しさの残る様な瞳で母の肖像画を見詰めていた。一度もあったことの無い母親を見て、彼女は何を思うのだろうか。その感情の行く末が気になってしまって、暫し視線を妹に向ける。ぽそぽそと言葉を紡いだ様に見えるが理解は難しい、何を言っているのだろう、と聞いてみたい欲に駆られるも独り言の詮索はするべきでは無いかと考え直しては彼女に声を掛ける。もう父は直ぐそこに居るのだ。
重たいドアを開け食事場所に向かうと父は既に待機していた。
グラスに注がれた水を弄んでは此方に声を掛ける。直ぐさま妹と一緒に礼をして互いの席に別れた。
話の話題は特に変わらず、かちゃり、と時折鳴る皿とカトラリーの音ばかりが耳に届く。息の詰まる様な会食が少しだけ嫌いで早く終わってくれないかとばかり考えてしまっては、なるべく音を立てないように
すると耳を疑う言葉が父から発せられる。
……今、なんと言った?婚約者候補に妹が選ばれたと?
何故だか妙に反応してしまって、堪らず妹の方を見た。
驚きと困惑に満ちた表情。唇は薄く震え、瞳は不安げに揺れる。それを見た途端に考えるより先に言葉が出た。
父に口答えするのはこれが初めてのことで目眩がしてきたがそんな事今は考えない方が良い。妹に小さく笑いかけて言葉を発する。初めてちゃんと自分を「兄」と認識出来た気がした。
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