レム睡眠の遊覧船

ディンガー

第1話

「レム睡眠の遊覧船」


∆∆∆


 「ねえ、何してるの?」

 幼い子供の声に起こされる。


 甘い花の香りが鼻腔を刺激し、そよぐ風が私の頬を優しく撫でる。

 目をゆっくり開けると、暖かな光が出迎える。あまりにも眩しくて、強い光。しかし私は何故か不快に思う事はなかった。


 視界全てを覆う光の中心には、ひとつの影があった。小さな人型の、こちらを上から覗き込むような笑顔の影。

 「ねえ、ねえってば」

 影が私を揺さぶる。起きてる。起きてるよ。

 肩のあたりを掴んで揺さぶっているのだろうか? 何だか感覚も曖昧だ。自分の体が精神と切り離されているような、或いはセピアに褪せた写真を見ているような、懐古的とすら思える感覚。嗚呼、この感覚を、私は知っている。知っているが、何故知っている? どこで知ったのだろう?


 「お人形さんなの? おしゃべりできないの?」

 執拗に私を気にかけてくる影は不器用そうだが、心配もしてくれているようだ。起き上がって大丈夫だと言えたら良いが、うまく体が動いてくれない。

 「……私は人間だよ」

 我ながら何と酷い自己紹介か。やっと口を開けたと思えば、情報量が極端に低い言葉が出てしまった。しかしそれを聞いた影は、曇らせていた表情をまた笑顔に変えた。

 「人間さんだ! すごい! お人形さんみたいに綺麗だったから、どっちか分からなかったのよ!」

 「君は随分と口が上手だね」

 「口? あ、そうね。この間お母さんに『滑舌が良い』って褒められたわ!」

 確かに澱みない滑舌だが。

 「そういう意味じゃないんだけどね……」


 話したはずみで少しずつ感覚を取り戻してきた私は、ゆっくりと起き上がってみる。体が上手く動かず、危うくまた倒れそうになるが、何とか上体だけを起こす。

 辺りを見てみると、そこは一面の花畑で、見渡す限りが色とりどりの花びらで埋め尽くされていた。空は青く、限りなく透明な風が花の匂いを運んでくる。暖かな日差しは私を包み、五感全てでその美しさを享受できるようだった。

 「……」

 暫く言葉も失って見惚れていると、影の正体、もとい小さな体に似つかわしくない大きさの麦わら帽子を被った、可憐な少女が言う。

 「綺麗でしょ」

 私が「綺麗だ」と返すと、彼女の笑顔がいっそう輝く。

 「でしょう? ここの花畑は、全部私が作ったんだもん!」

 「それは凄いね……って、え?」

 花畑を全部作った? この小さな子供が?

 彼女は純真無垢な笑顔をこちらに向けている。嘘という訳でもなさそうだ。少なくとも悪意はないだろう。

 花畑は見渡す限り、一面に広がっている。この広大な土地を管理するなんて、大人でもひとりでは難しいだろう。それこそたくさんの機械が必要だろうし、或いは……。

 と、ここでふと気づいた。


 先ほど感じた体が精神と切り離されているような感覚。

 現実離れした事を当たり前のように言う少女。

 これらの正体は。


 「私は寧々! お姉さん、名前は何ていうの?」


 振り返りながら花畑に立つ少女。春の暖かな地面に小さな影を落とす。


 「私は……灯乃だよ」


 そうか、やはりこの世界は。彼女は……。


 寧々は両手を広げて、明朗に言った。


 「とーのお姉ちゃん! ようこそ、私の夢へ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る