第28話 我慢していた

 今まで下ろしていた柳原の腕は、静かに俺の背中を回し始め、まだ戸惑いがあるのか手の力は弱い。だが、しっかりと俺の身体を抱き締めた。


「……もうやだ。折角我慢してたのに……。折角溢れ出しそうな感情を制御できていたのに……。いきなり優しくしないでよ。いつもみたいにバカアホ言ってよ……!」


 堪えるような声。最後のあがきのように慟哭するのを耐える。

 なぜDVを受けても昨日のように笑顔を向けられていたのか、不思議に思っていた。けどそういうことか。


 柳原の側にいる存在で、唯一変わらなかった相手。風雅も前崎も変わってしまったが、俺だけはいつも通り柳原に接していた。

 きっとそれが柳原にとっての心の支えだったのだろう。

 けど、そのいつも通りを曲げたのは柳原自身。そして、それに乗ってしまった俺の責任だ。


「ごめんな?優しい男で。思わず抱きしめてしまうような男で。いつものように罵倒できない男で。俺は柳原みたいに演技は得意じゃない。そして思ったことは口にする」


 なんでDVを受けている時に、柳原が嫌いだとか、いつも以上の罵倒を浴びせてきたのか分かった。

 俺を煽って、その言葉を誘導させた。そして感情のコントロールをしていた。

 無茶なやり方だと思う。そしてよく事が進んだなとも思う。


 あの後お化け屋敷行ってて正解だったな。いつもの行動ができなかったら、遊園地のど真ん中でこいつは泣き出したかもしれない。


 色々な紐が頭の中で解けるのを感じながら、俺は言葉を続ける。


「だからまぁ……なんだ?まず、いきなり抱きしめてごめん。そして、すぐに気づいてやれなくてごめん。今はこの家に俺たちしかいないから、どんなに喚いても叫んでも、誰もいないから大丈夫だぞ?」

「……嫌い」

「うん」

「バカ……」

「うん」

「……鈍感……」

「知ってる。だから謝った」


 極力優しい声で、柳原の心を安定させないように、全ての言葉を肯定する。

 どうやって相手の感情を吐き出させればいいのかは全く分からない。けど、柳原は俺に優しくされるのが嫌だと言った。

 ならばその嫌なことをすればいい。そして感情を吐き出せ。


「…………柏野」

「ん?」

「高校2年になって、恥ずかしくないのか?って言われちゃうこと、やっていい?」

「いいぞ?」


 震えるような声で言った柳原は言葉も返さずに俺を抱きしめる手は強くなり、肩が震え始める。


 そしてポタポタと俺の肩に温かい雫が落ちてくるのが分かる。けど、これまでの思い出は冷めたものばかり。

 堪えていたせいで体温によって温められたのか、はたまた怒りによって温められたのか分からない。


「おっと」


 一度溢れ始めればその涙が止まることはなく、一瞬身体を離した柳原は自分の顔を見せないように俯き、俺を下敷きにするように胸に飛びついてベッドに倒れ込む。


 モゴモゴと動く柳原の口が胸に伝わる。

 先ほどの体制では慟哭が聞こえてしまうのだと思ったのだろう。

 別にそんな事をしなくても、俺は気にしないのにな。


 白い半袖の制服をギュッと力を込めて握る柳原の背中に優しく手を置いて撫で始める。

 慰めるつもりで撫でるわけではなく、全てを吐き出せという意味を込めて、ただ優しく撫で続けた。

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