第27話 MINEアイコンの下側
「お邪魔します」
「挨拶はちゃんとするんだ」
「常識でしょ」
「それはそうか。いらっしゃい」
俺も家に入り、柳原に言葉を返して扉を閉める。
今朝、親に今日の夕方は家にいるのかと聞くと、仕事だから18時ぐらいまでは家に帰らないと言っていた。だから2時間30分ほど、のんびりと話し合う事はできるのだが、
「早く終わらせましょ」
と、柳原に急かされてしまう。
なぜ急ぐのかは聞かなくても分かる。
いつ俺たちの会話が聞かれるかわからない今、さっさと終わらせたいのだろう。
あの時は俺の意見に軽く返していたが、やはり心配らしい。電源を切ればいいという思考も過ぎったのだが、昨日も無言だったのに連日で無言というのは流石に怪しまれると思った。
「そんなに急がなくてもいいと思うぞ?」
「私は急ぎたい。早く部屋に案内して」
別にこの会話がバレた所でなんの問題もないと俺は思っている。
どうせ数日後には別れるわけだし、もし別れたくないと風雅が言い寄ってくるもんなら、それこそ俺が守ってあげればいい。
まぁ現実はそう甘くないから、柳原は冷静に行きたいのだろう。
「分かった分かった」
諦め半分に言う俺は階段を上がった先にある自分の部屋へと案内する。
「あ、そういえば部屋に女子を入れるの初めてだ」
「ふーん。で、どうすればいいと思う?」
急かす柳原を落ち着かせようと言ってみたのだが、無駄だったようだ。
部屋に入るや否や、立ち上がったまま会話を続けようとしてくる柳原に俺は、目を細めながら言う。
「……一旦座ろう。立ったまま話したくはないぞ」
「それはそうね。バランスボールに座ってもいい?」
「さっきの言葉気にしてるのか?」
「うるさいわね。別にいいでしょ」
そこまで効いたのか、と思わず苦笑を零す俺はカーペットの上に座り「好きに使っていいぞ」と柳原に伝える。
このバランスボールは母さんがもう使わないから、あんたの部屋に置いていい?と言って勝手に持ってきたやつだ。
別にバランスを鍛える必要もなく、置き位置に困っていたのだが、女子を家に招く時には使えるらしい。
前もってデリカシーのない言葉を言わないといけないが。
「で、どうするの。私は今すぐにでも別れたいわ。疲れちゃった」
「昨日まで余裕そうだったじゃん」
「1日でどっと疲れることもあるの。今日がその日」
「ほーん。てか、別れましょうって直接言うのはダメなのか?」
きっと1番手っ取り早く、1番問題が起きにくいであろう言葉。
まぁ元よりこの言葉を言えたのなら俺の助けなんていらなかったのだろうが。
「ダメ」
「なぜに?」
ポヨンポヨンとバランスボールの上で跳ねる柳原は「前に1回言ってるから」と沈痛な面持ちで言葉を返してくる。
「なるほどね」
だから俺に助けを求めてきたってわけね。
柳原が折角別れてと言ったのに、風雅は別れず俺に寝取ってほしいと言った、とか色々怪しむところはあるのだけれど、今じゃこの紐は解けない。自分を1番に思ってしまうあいつのことだ。なにかあるのだろう。
未だにバランスボールで跳ねる姿と、沈痛な面持ちのギャップに思わず笑ってしまいそうになるが、今は失笑してはいけない。
なんとか笑いを堪えながら、俺は続けて言葉を紡ぐ。
「柳原はどうやって別れたい?」
「私?私はなんでもいい」
「なんでもいいのね」
「うん」
相変わらずに跳ねる柳原だが、目は伏せたまま。
そんな柳原に声をかけることなく、自分の部屋を見渡してアイディアをもらおうとする。
柳原の後ろにはベッド。そのベッドの隣りにある机。机の上にある写真立てには風雅とのツーショット写真。
他にはタンスに本棚に椅子に……。って、この部屋何もねーな。面白さの欠片もねーや。
「うーん……どうしようか」
「一応私にも考えはある」
「まじ?ちょっと教えてくんね?」
「……胸糞悪いかもしれないよ?」
「別にいいぞ?」
「なら……」
どこか言い難そうな柳原はバランスボールから立ち上がろうとする。
瞬間、バランスを崩してしまう。幸いなことに頭から地面に落ちることはなく、ころ――重いものの下に敷くやつ――のようにバランスボールはコロコロと転がって柳原を俺の方へと移動させる。
「……疲れが身体まで出ちゃったかな」
俺に受け止められ――言わばハグ状態になったことよりも先に、自分のことを心配する柳原。
だが俺は、言葉を返すことができなかった。
その刹那で見えてしまったのだ。
自分の方に向かってきたせいで袖が――服が捲れて見えてしまった。
「……?どうしたの?」
俺の胸の中で小首をかしげる柳原は言葉をかけてくる。
抱きしめている訳ではないのですぐに離れられるはずだが、柳原の思考はよくわからない。
固まっていた俺は青ざめたような顔で視線を下ろし、柳原の肩を掴んだ。
「服、脱いでくれるか?」
「……はい?」
目を見開いたかと思えば、一瞬にして目を細め、自分の体を抱くようにした柳原は俺から距離を取ってしまう。
「いや……信じたくないからこそ、脱いでくれ」
「え、なに?本当に寝取ろうとしてるの?たしかに今、ゼロ距離の状態で離れなかったけど、あれは疲れた身体を癒やしてただけ。勘違いしたならごめん」
「本当に脱いでくれ。いや、袖だけでもいいから捲くってくれ」
俺が見たのは胸でもなく、脇に生える毛でもなく――立ち上がった俺は、柳原が逃げる前に腰に手を回し、ベッドに寝かせて右袖を捲くる。
そして俺が見たモノの正体が露わになった。
これは紛れもない、青く腫れた――
「痣。これ、風雅にやられたのか?」
俺が痣を見た拍子に柳原は顔を逸らせ、その痣を隠すように左手で右腕を擦りだす。
ついこの前見た風雅からのDV。そしてあの時俺のスマホに届いた風雅からのMINE。
「…………」
黙った柳原はキュッと目を閉じ、小さく頷いた。
あーそういうことか。
どこかのネットで見たことがある。痣の跡というのは大体2週間で治るらしい。きっと、風雅も俺と同じネットサイトを見たのだろう。だから2週間寝取るなというメッセージを俺に送ってきた。
そして昨日、柳原が着ていた長袖――今思えばあの場面を見た後から柳原は長袖だった。それは腕についた痣を隠すため。
あーそういうことか。ほんと、クズだ。
柳原の腕から手を離すと、バツが悪そうな表情を浮かべて身体を起こす。
助けを求めてきたのにもかかわらず、この痣を見られるのは嫌だったらしい。顔を合わせようとしない柳原は、
「え……っと、あの――」
言い訳をさせる前に、そっと抱き寄せる。
俺は人の痣を見るなんて初めてだし、DVを受けている女子を見るのも初めてだ。だからどうすればいいか分からない。
でも、ここで言い訳をさせたらダメだということは、嫌でもわかる。
「隠そうとするな。さっき、頷いただろ?」
柳原は俺に対して嘘をついたことがない。それはここに来る前に、柳原自身の口で言ったものだ。
今更俺に嘘をつくというのは許さない。
「……頷いて……」
「俺はちゃんと見たぞ?」
さっき頷いたのはもしかしたら意図していなかったものなのかもしれない。だが、頷いたのだからもう嘘はつかせない。
俺の中にも辻褄が合った推理が出来上がっているんだ。だから――
「今更逃げるな」
柳原を抱く力を一層高め、言葉の意味を深く伝える。
絶対に逃さないし、助けると言ったのだから最後までやり遂げる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます