第14話 なぜかさん付け
翌日。おやすみモードのせいで連絡が来ていることなどすっかり忘れた俺は朝ごはんを食べ、なんの変哲もない顔で学校へと向かった。
荷物を机の横に吊り、朝なのにも関わらず騒がしい教室を一瞥した後、まだ寝足りない俺は机に突っ伏す。
「……なんか、忘れているような……?」
ボソッと呟いたが、思い出せないので特に気にしない。
どうせ大したことじゃないだろう。今じゃなくたっていつでもできることだ。
小さくあくびをしながらそんな事を考え、腕に顔を埋めながら窓から外を見やる。
快晴とは言い切れないが、空の1割を埋め尽くす雲から顔をのぞかせる太陽はまだ暑い。
冬よりかは断然マシだと思うが、暑いのは暑いので汗をかいてしまうからあまり好きじゃない。
そんなこと他の人と話せ、と思われるかもしれないが、当然のようにこの教室には友達と言えるほどの人など居ない。
まぁ新学期に友達を作ろうとしなかった俺が悪いんだけどさ。
「おはよう。柏野さん」
なんてことを思っていると、突然後ろからあの女の声が聞こえてくる。
昨日の風雅に返していた凍えるような声ではなく、ちゃんと心がこもっている声。だけどなぜかさん付け。
「はい」
嫌々ながらも顔を上げ、まだ鞄を持ったままの――長袖になっている柳原に目を向ける。
「昨日の夜。未読スルーしたでしょ」
あー思い出した。なにか忘れていると思ったらコイツとの連絡のことか。
だから焦らなかった――
「ねぇ。これも無視?直接話してもスルーするの?」
「……1秒も経ってないだろ」
束縛でもしたいのか?それとも昨日のストレス発散か?
後者なら許すが、前者なら断じてごめんだぞ。俺は好きなようにしたい。
「目の前に居るんだから、すぐに言葉を返してよ。ていうか、なんで昨日未読スルーしてたの?起きてたよね?絶対起きてたよね?なんで未読スルーしたのか答えて。柏野さん」
「めんどくさい女だな……。昨日は眠たかったんだよ」
「あんなのを見て寝れるわけ無いでしょ。なんであれを見て寝れるのよ。私のメンタルケアをしようと思わなかったの?」
「分かった分かったごめんごめん。俺が悪かったから」
グイグイ顔を寄せてくる柳原を押さえ、とりあえず謝る。
声は抑えて周りからの視線が集まらないようにしているけど、声に圧が乗りすぎて怖い。
確かにメンタルケアとか、心配はしてあげるべきだった。が、
「トークを消せって言ってたから、あの場面に関わることを言っちゃダメだと思ったんだ」
地雷処理のように慎重に、下手なことはせず出来るだけオブラートに包みながら思ったことをそのまま口にする。
誤魔化すようなことを言って爆発したら困るからな。
「それは……そうかもしれないけど!電話なら大丈夫だったかもしれないじゃん!」
「履歴残るだろ」
「……なんでこういう時だけ頭が働くのよ」
「元々頭働いてるよ。てか離れてくれ」
昨日、風雅は全部聞いていると言っていた。と、いうことはだ。前までは柳原が盗聴をしているのかと思ったが、その逆で風雅が盗聴しているということだ。
きっと、この前のワクドナルドの時に鞄を離したのはそういうことなのだろう。絶対にあの中に入っている。即ち、今目の前に盗聴器がある。
なのに、コイツはグイグイ俺の方に来る。なにが目的か分からんが、俺は柳原みたいにあんな髪を掴まれたくないから慎重に行かしてくれ。
そういう意味を込めて言ったのだが、自分のことだけしか考えていない柳原は俺の思考に気がついてくれない。
「なら今すぐにでもスマホを開いて、私からのメッセージを見て!」
「だんだん声大きくなってるから……。少し落ち着いてくれ」
「落ち着いてる……!」
俺の言葉にすぐに従ってはくれたが、怒りは収まっていないようだ。
「はぁ、めんどくさ」
「自業自得!」
こんなことになるなら夜返しとけばよかった。
そんな後悔は口にすることなく、鞄からスマホを取り出し、柳原からのメッセージに目を通す。
0:13『ねぇ。返信まだ?』
『起きてるでしょ?』
『私まだ眠たくない』
0:14『日曜、遊園地に行きたいな』
『起きてないの?』
『ほんとに起きてないの?』
『私まだ辛いから一緒に話した
いのに』
『このトーク画面も消すから』
なんだ?もしかして俺、とんでもない女の事情に足を突っ込んだのか?
何だこのメンヘラ。いやまぁ、メンヘラは別に嫌いではないが、それはあくまでも見るのが好きなだけだ。
「なぁ柳原――いや、柳原さん。俺は君の彼女じゃないよ?」
「見るのはそこじゃない!」
そこじゃない?
あ、ほんとだまだ下がある。
メンヘラのことに気を取られすぎて、下にまだあるとは思っていなかった。
8:18『盗聴器、朝は切ってるから』
『このトークは消して』
って、さっきじゃん。
これはまぁ……ギリ俺が悪いかもしれん。
おやすみモードは寝る分には役立つが、私生活の中だったらちょっと不便だな。使い分けを大切にしよう。
「見た?ちゃんと見た?私のメッセージ。これで分かった?柏野さん」
未だに俺との距離を近づけようとする柳原は含みを込めて「さん」という部分だけ強調してくる。
俺が柳原の事をさん付けしたことに怒りを覚えたのか、それとも今メッセージを見たことにイラ立っているのかよく分からないが、とにかく怒っていることは分かった。
「分かったよ柳原さん。もう見たから距離近づけようとするのはやめて」
俺も「さん」だけを強調して言葉を返し、グイグイっと柳原さんの肩を押し出す。
流石にそろそろ視線も集まりだしたからか、周りを見渡した柳原は素直に俺の言葉を聞いてくれる。
「私、日曜日に遊園地行きたいな。柏野さん」
「そうなんだ。柳原さん」
「私、遊園地に行きたいな。柏野さん」
「お金は大切にしたいんだよね。柳原さん」
「私、昨日傷ついたな。柏野さん」
「そっか柳原さん。遊園地に行こっか。俺の優しさに感謝してくれよ?柳原さん」
「ありがとう柏野さん。私と2人で出かけることに感謝してね?柏野さん」
お互いに「さん」の部分を強調し、作り笑顔を浮かべて言い合う。
さん付けの人とここまで言い合ったのは初めての経験だ。そして多分、今後一切しないだろう。
話がまとまったタイミングで丁度チャイムが鳴り、相変わらず作り笑顔を浮かべる俺たちは小さく会釈し合って顔を逸した。
「昨日のことを出してくるのはずるいだろ」
ボソッと呟いた俺の声は柳原さんの耳には届くことなく――というか、茶髪の女友達に「柏野君と仲いいの?」と聞かれていて俺の声が聞こえなかったのだろう。
まぁ別に昨日のことを出されなくても行くつもりではあったが、それで了承してしまったら、他のところでも使われかねない。
流石の柳原さんも、そこまで性根は腐ってないだろうからしないと思うが。
昨日で爆上がりした柳原さんの信用度のお陰で、そういう思考になってはいるが、普通に昨日の場面を見ていなかったら『性根腐ってんなクソババア!』とでも思っていただろう。
席についた柳原さんは盗聴器の電源をつけるためにか、鞄の中に手を突っ込み、顔を覗かせていた。
流石に授業中は聞かないだろうとも思ったが、昨日風雅の信用度がだだ下がったせいでそんな思考は一瞬にして消えた。
そして1時間目が始まった。
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