欽明大王、苦渋の決断

ヒロニハのオホキミ (のちにいう欽明天皇) は、大陸の国の使いに対して、自分の血統を、中華の正史である『宋書』に「倭王 武」として記録された王の娘の娘の息子である、とのべた。それがヒロニハにとって自分の地位の根拠の自然な表現だった。ところが、大陸の国の使いの話によれば、中華文明では父系がすべてであり母系は権威の根拠にならないのだという。


ヒロニハは王家の系譜を記録しておきたかった。できれば、口づたえされているとおりに正確に記録しておきたかった。しかし、それにつかう文字は漢字しか考えられず、漢字で書いた書物をつくれば大陸の国でも読まれるだろう。そこで、母系継承が記録されていると野蛮な国だと思われて外交のあいてにされない、ということがあるだろうか。それをさけるためには、すべて父系継承だったかのように変えて記録したほうがよいだろうか。迷いはつきなかったが、どこかで決断するしかなかった。


ヒロニハは父系の形で記録することにきめた。父系だけについてすなおに書くと、ヲホドが前の王朝をほろぼして新しい王朝をうちたてた (ただし、前の王朝の王女を妃にした)、と見える形になるだろう。ヒロニハは自分の両親の代に王朝の断絶があったとはしたくなかった。そうすると、ヲホドも父系の継承候補者だったのだとする必要があった。ワカタケルからさらに三世代さかのぼったホムタワケのオホキミの子孫だとする説がすでにあったのでそれを採用した。ヲホドが亡くなったあと、政権のうちでのその権限はその息子たち (ヒロニハの異母兄たち) にひきつがれている。この二人がヒロニハのまえに「大王」の位についていたことにした。

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記録されなかった女系継承 顕巨鏡 @macroscope

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