第44話 烏帽子を射る

「俺を呼んだのは貴様か」


 宗頼の必死さとは真逆の悠揚迫らぬ態度。渦巻く阿鼻叫喚の中で、まるでそこだけに違う空気が漂うかのようであった。左右には重季と弁慶が馬を並べて控えている。

 宗頼は面食らった。


(何だこの小冠者は。これが大将か?)


 背丈こそ人並外れているが、年若のうえに女のような細面、暗がりでもそれと分かる白皙の優男ではないか。とてものことに、剽悍で鳴る松浦党を率いるに相応しい将とは思えぬ。

 しかも鎧もつけず、この妙な落ち着きぶりはどういうことだ。

 ひょっとして戦の経験に乏しいあまり、一騎打ちを挑まれて、それがどういうことか分かっておらぬのではないか。

 隣におる郎党か荒法師にでも相手をさせるつもりか。だとすれば味方の面前で大恥ぞ。

 

 しかし八郎は相手のそんな困惑など一切どこ吹く風、ただ宗頼を見つめる。人ではなく物を見るかのような目、品定めをするかのような視線であった。

 そして重季に不快そうに言う。


「何だこの酔漢よっぱらいは。官に仕える者らしくもない下卑た風体だが」


 重季もまた八郎の意を悟り、それに合わせた当意即妙の答えを返す。


「確かにそうですな。下郎の分際で、酒の勢いを借りて若君に挑むなど、不埒にも程があるというものでしょう。若君が相手をされるまでもない。誰ぞに命じて成敗致すのが宜しいかと」


 このやり取りを聞いて宗頼は激怒した。


「下郎とは無礼な! 太宰少弐・藤原宗頼であるぞ!」


 と大声を出すが、実は八郎も重季もそんなことは重々承知である。分かった上で挑発しているのだ。

 本殿にて郎党を引き連れ、あげくこの急場を打開せんと将同士の一騎打ちを挑んでくるとすれば、それは大宰府配下の武者を統括する立場の者、話に聞く太宰少弐・藤原宗頼しかあるまい。

 宗頼の名乗りを聞き、重季がさも納得したていで大仰に手を叩き、応じる。謹厳実直な重季にしては精一杯の迫真の演技である。


「おお、貴公が宗頼殿か。これは失礼した」

「知っておるのか?」


 という八郎の問いに答えて、


「はい。大宰府には藤原宗頼という、あまり利口でない知恵者気取りがおるそうで、世間ではもっぱらの噂になっております」


 これを聞いて八郎は吹き出した。重季らしくもない気の利いた挑発である。


「ははは。あまり利口でない知恵者気取りとは、それは始末が悪いな」

「此度の博多への襲撃も、その者が考え指揮したもののようで。我らの隙を狙った姑息な策でございます」

「なんだ、つまるところ外道の親玉ではないか」


 二人のこの態度と物言いに宗頼の怒りは更に増す。郎党もまたしかりである。そのひとりが堪えきれず怒鳴った。


「御館に対して重ね重ね無礼な! 大将ならば名を名乗れ!」

「外道に教える名など持ち合わせておらぬが、まあよい、教えてやろう。八郎為朝じゃ」


 投げやりに答えると、宗頼の表情が変わった。


(こ奴が都の信西殿から知らせがあった源八郎為朝か!)


 稀代の乱暴者であり、信西館でも狼藉を働いたあげく、父に勘当されて鎮西に下ったという。

 捕らえて京に差し出すか、手に余れば斬り捨てても謝礼は望み次第。まさか松浦党にくみしていたとは、存外の幸運じゃ。一石二鳥とはこのことぞ。

 太刀を抜き、八郎に襲いかからんとする構えを見せる。郎党たちもまたそれに倣う。

 両者の間の距離はおよそ四間。宗頼たちの立つ本殿の縁からは、精一杯の跳躍をしても届かぬ間合いである。


「望みとあらば相手をしないでもないが、そもそも貴様は俺に合う敵なのか? そうは見えぬな。弱者に勝っても誉れにはならん。むしろ我が武名の恥じゃ」


 八郎は揶揄するように言い捨て、弓を構える。重季は太刀の柄に手を置いて抜かりなく宗頼と郎党に備え、弁慶はといえば背後から襲い来る敵を振り返りもせず、片手に持った薙刀の一撃で袈裟懸けに斬り捨てる。

 これを見て宗頼は感嘆し、同時に己が見立ての甘さを悟った。


(なんという長大な弓か! それを易々と引いてみせ、己と儂との間合いも見切っておる。近習と荒法師との連携も見事)


 乱暴者どころではない。練達の勇士を従えた驍将の姿であった。このような際であり、相手は敵であるにもかかわらず、宗頼は思わず見惚れた。


(尋常の相手ではない)


 思った刹那、矢が宗頼の頭部を襲う。射抜く矢である。

 そのあまりの速さに宗頼は身動きもならず、烏帽子を飛ばされる。もとどりが解け髪がばらりと垂れる。


「あっ!」


 思わず頭を抑えてうずくまった。

 成人の男子が露わに頭部を見せるのは恥とされた時代である。冠や烏帽子を着用せず髪や頭を晒すのは、いまだ独り立ちせぬ童か、世を捨て男であることを捨てた僧のみという時代だったのだ。


「ふん。殺す価値もない。外道の親玉など、斬り捨てるだけ太刀の穢れというものじゃ。その矢はお前にやろう。八郎為朝の矢に射られたことを、せいぜい自慢にするがよい」


 宗頼の顔は瞬時に血の気を失い、真っ青に変じた。

 なんという恥辱か! まさかこのようなあしらいを受けるとは。

 武士が一騎打ちを望みながら相手にされず、あまつさえ矢で烏帽子と髻を射抜かれて、ざんばら髪を人目に晒すなど、あってはならぬことだ。しかも、俵藤太の血を引くこの藤原宗頼が!


「口惜しかったら唐津に来い。せいぜい多くの軍勢を引き連れてな。貴様如きの配下なれば、どうせ物の役にも立たたぬ半端武者ばかりであろうが、数を揃えれば少しは俺の相手になるやもしれんぞ」


 これでもかとばかりに相手を侮蔑する捨て台詞である。その言葉を最後に八郎は馬を返し走り去った。重季と弁慶も後に続く。


「よおし、もう充分! 引き上げるぞ」


 八郎の命が響く。宗頼はその声を虚ろに聞いた。


「御館!」

「お怪我は!」


 郎党たちが宗頼に駆け寄るが、それらの声も耳に入ってはいない。顔色は次第に赤黒く転じ、総身がおこりのように震えた。

 心にある念はただひとつ。

 この恥辱、如何にして晴らしてくれようか。

 知れたこと。出来る限りの大軍を集めるのだ。おのれ、八郎為朝とやら、首を洗って待っているがいい。あ奴も松浦党も只の皆殺しでは済まさん。考えられる限り最も無残で無様な死を与えてくれるぞ!

 宗頼の強く握りしめた拳に血が滲んだ。


 八郎はまさしく暴風のように大宰府を侵し、そして去る。

 先頭に立って颯爽と走るは月影。その後を三百を殆ど欠けぬままの騎馬隊が一団となって駆け、朱雀通りを一気に抜けるや進路を西へ転じた。

 陽が昇る。長い一夜の後の夜明けである。光が八郎たちの背を照らす。

 朝の冷たい空気が頬に心地よかった。


 行くこと数里、紀八が声を上げた。


「気に入らん!」


 これに重季が問いかける。


「紀八殿、どうしたのじゃ、突然に」

「突然じゃなか。ずっと考えて、どぎゃんしても納得いかん」


 八郎には紀八の不機嫌の理由は分っていた。

 大宰府を出るなりずっと押し黙り、難しい顔をしていたのだ。多くの敵を斬り、官舎を焼き、相手を挑発するという目的を果たした今、紀八の言いたいことは一つしかあるまい。

 だが、紀八がそれを自分から口に出すまで、敢えて構わずにいたのである。


「だから、何が納得いかぬのか」

「決まっとる。敵の大将のことじゃ。なんで血祭りに上げんかったのか。せっかく大宰府を討っても、あれでは画竜点睛を欠くちゅうもんばい」

「ほう、難しい言葉を知っておるではないか」

「馬鹿にすんな。田舎もんと思って侮ったら許さんぞ!」


 紀八は声を荒くする。

 ここで初めて八郎が口を開いた。


「重季、今のはお前が悪い。紀八に謝罪せよ。それから、なぜ敵の首魁を討たなかったのか、納得のいくよう説いてやるがよい。お前は常々俺と共にいるから、俺が何を考えているか、いちいち話さなくとも察することができるのだ。だが他の者は違う」

「は、確かに仰る通り」

「俺の思案が読めず、不安や不満を抱く者はこれからも出てこよう。その者たちに説いて聞かせるのは重季、お前しかできぬ役割だ。頼んだぞ」

「承知致しました!」


 八郎が宗頼の生命を奪わなかったのは皆が戦っている同じ戦場いくさばでのことだ。それを目にし、不可解に思っているのは紀八ひとりだけではないだろう。紀八の言葉は皆の疑問を代弁しているようでもあった。

 同じようなことは、これから戦を続けていく中でも再々起こり得る。そのような時にどうするか、八郎は重季を信頼し全て任せると言っているのである。

 重季は神妙な面持ちで紀八に頭を下げる。


「すまなかった。言葉が過ぎたようだ」

「おう、わしこそ声を荒げてすまんかった。それで、大将の言わっしゃる敵の首魁を見逃した訳というのは」

「それはな、時じゃ」

「というと」

「あそこで奴を討つのは八郎君には簡単なことだが、そうすると誰が大宰府の命で大軍を催し、我らに挑みかかってくるのか。大将がいなくなってしまうではないか」

「ならば敵対する小勢を全て討ち払えばよか」

「それでは手間と時がかかり過ぎる。下手をすれば、そのうちに都が討伐軍を送り込んでくるやもしれぬ」

「ううむ」

「それよりは奴を生かしておいて大軍を率いさせ、一回の戦で決着をつける方が良い。あれだけ虚仮こけにされれば怒り狂って急ぎ軍勢をかき集めるじゃろうし、怒りに流されれば采配にも齟齬が生じ、打ち破るのは一層容易になる。首を取るのはその時でも遅くない。さすれば肥前に加えて筑前と筑後、豊前あたりまでは我らのものとなり、京の朝廷も容易に手が出せぬようになろう。そしてその後は肥後や豊後、更には……」

「分かった!」


 重季の話が終わらぬうちに紀八は大声を発する。疑問も不満も消え失せた晴れやかな顔である。


「見事な軍略じゃ。感服した。そうとも知らず失礼なことを言うてしもうた。詫びのしようもなか!」


 紀八が深くこうべを垂れるのを横目で見やり、八郎は笑みを浮かべて月影を歩ませる。その目は近々に起こるであろう大戦だけではなく、そのずっと先の戦までを見据え、いかに戦うか、楽し気に思いを馳せているようであった。


 藤原宗頼が大軍を揃え唐津に攻め寄せて来たのは、およそひと月の後である。八郎と周辺はそれまでの間、できる限りの戦の準備に没頭した。

 だが、その最中、思わぬ経緯いきさつから心強い武器と味方を得ることになる。経緯とは王昇の来訪、そしてなんと大蛇おろち退治であった。


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