大宰府を討つ

第41話 夢の尖兵

 葬礼を終え、八郎は命を発した。


「これで取りあえず我らの為すべきことは終えた。唐津へ帰ろうぞ」


 これを聞き、松浦党の面々は驚き戸惑う。当然であろう。

 義親からは大宰府と戦になると聞いて覚悟を決め、普段は海戦では用いぬ鎧までを着込んで馬を長駆させて来たのである。それが何ら小競り合いさえもなく、休息し、死体運びを終えただけで早くも帰還するというのだ。

 勇猛さで聞こえた松浦党の強者つわものたちにとってはにわかに信じがたい、我が耳を疑う命であったろう。


「正気か?」

「御大将は年若ゆえ、ここにきて大宰府が恐ろしゅうなったか」

「ふん。昨日の戦いぶりでは少しは見込みのある若武者と思うたに、臆病風に吹かれおって」

「見損のうたばい」


 落胆や不平不満の声が起こるが、八郎はそんなことは気にしない。まるで何も聞こえないかのように平然と月影の馬首を西に向け、さっさと歩ませる。

 重季と弁慶はといえば、呆気に取られる皆をまたもや叱咤し、追い立て、八郎の後に続かせる。二人は八郎の真意を知らされている、あるいは察しているのか。


 唐津に向かう道程を二里ほども行った時、重季が八郎に馬を寄せ、囁いた。


「お気付きですか。博多からずっとけてきておりますな」


 八郎もまた小声で返す。


「ああ、距離を置いて二人だな。商人や百姓を装い、ある時は身を隠したり、また現れたと思えば身なりを変えていたり。三人だったのが、つい今しがた百姓姿の男が減った」


 周囲はすっかり暗闇だが、経験豊かな重季、ましてや鋭敏無比な八郎の目をごまかすことはできない。月影もまた不穏な気配を察知して興奮するのを、ここまでなんとか宥めながらやって来たのである。


「御懸念通り間諜が動いているようで」

「当り前だろう。三百騎が博多に入ったのだ。知られぬで済むはずがない」

「減った諜者は、大宰府に向かったのでしょうな」

「間違いない。我々の動向を報告に行ったのだ」

「どうなさいます」

「討ち漏らすと面倒だ。やがて一人になる。それまで待とう」


 そしてまた行くこと二里あまり、商人姿の男が姿を消した。やはり報告に向かったのであろう。暫くしても再び現れる気配はない。


「そろそろ頃合いでは。唐津までの四半も過ぎましたし」

「少し先に村があるはずだ。そこで小休止にしよう。さすれば今しがた消えた一人にも気取けどられまい」


 村は廃村であった。家々の屋根や壁はことごとく朽ち、ぼろぼろになった枠組みと柱が辛うじて残るばかり。重税に耐えかね、村人たちが逃散してしまってから数年にはなると思われた。

 そこで八郎は部隊に休息を命じた。

 部隊の歩みが止まったと見て、最後に残った諜者も歩を緩めた。機を見計らい、素早い身のこなしで道脇の雑木林に潜む。

 ふん。もう小休止とは暢気なものだな。やはり本当に唐津へ帰るつもりとみえる。いや、まだ分らんぞ。せめて唐津への道程の半分に達するまでは油断は禁物だ。

 諜者がそう考えた時、道を猛然と走り来る一騎があった。弁慶である。大柄な馬にその巨躯を乗せ、声をあげながら鞭を入れる。夜の静寂しじまに響き渡るけたたましい蹄の音は、のっぴきならぬ何事かが出来したと思わせた。


(しまった! もしかして気付かれたか)


 木陰にて息をころす。そしてまた、商人姿のその懐に手を差し入れて短刀を握る。いざとなれば戦う構えである。

 しかし、弁慶の乗る馬は勢いををそのままに東へと走り去った。尾行を察知された訳ではないようだ。


(博多の方向ではないか。どういうことだ?)


 不審に思いながらも取りあえずは安堵し、短刀を握りしめたまま、反対の手で胸を撫で下ろす。木陰から離れて弁慶の後ろ姿を見やろうとしたその時、背後に異様な甲高い音が迫った。

 八郎の大雁股の矢が放つ鏑の音である。

 振り返る間もなく男の首級は宙を舞い地に転がった。残された身体は首から血を吹き出しながらひざまずき、鈍い音を立てて倒れた。

 弁慶の派手な疾走を陽動として、密かに八郎もまた月影を木々の間に駆り、男の背後に迫ったのだ。

 あまり近づけば気付かれる。暗闇の中、幹や枝の隙間を縫って矢を放ったのは諜者までおよそ一町の距離。八郎にとっては容易い仕儀である。

 陽動を終えた弁慶と馬を並べて廃村へ戻るや、八郎は隊の全員を村の入口に集め、そして告げた。


「聞けい! 今から道を変え、大宰府へ向かう」


 道中の寛いだ様子とは一変した厳しい声である。


「博多から我らを見張っていた諜者は始末した。後は何の気遣いもなく、夜陰に紛れて大宰府へと押し寄せるのみ。到着は深夜になろう。敵は我らが唐津へ帰ったと思い込み、安眠を貪っておるに違いない。そこを討つ!」


 これを聞くや兵たちは驚喜した。


「そうか。そういうこつか!」

「長い一日になるのう。そのため、博多に着くなりまずは我らを休息させたのじゃな」

「諜者を惑わし片付けようと、唐津へ帰るを装うとは、若いに似合わん頭の回る大将たい」

「よし。大宰府の奴ばらに目にもの見せてくれる」


 八郎は手を挙げてそれらを制す。そして更に声に力を込めた。


「博多の衆の仇討ちだけではない。これは我らが鎮西に覇を唱える手始めの一戦じゃ! 長年のあいだ権力に胡坐をかき、民を見下し利を貪ってきた輩をこの地から駆逐するのだ!」


 期せずして「おお!」という感嘆の声が上がる。一戦の覚悟は出来ていたが、その先の展望までは聞かされていなかったのである。


「公卿や官人にへつらう必要なく、理不尽な搾取をされることもなく、誰もが自由に生を謳歌することのできる国、それこそが我が祖父・義親や王昇殿、そして俺の大望であり、皆の夢でもあろう。大宰府だけではない。我らの夢を邪魔する者は全て討つ。三年のうちに、ここ鎮西に楽土をうち立てるのだ!」


 ここで八郎はいったん言葉を切り、皆の顔を見た。

 ひとりの例外もなくその目は爛々と輝き、頬は紅潮している。


「何より自由を愛する松浦党こそは、その尖兵として最もふさわしき軍であると信ずる。俺が先頭を切る。我らの力で世を変えようぞ!」


 重季と弁慶、そして打手の紀八が「応!」という気合と共に拳を突き上げた。続いて隊のあちこちで拳が突き上がり、すぐにそれは全員のものとなった。誰からともなく次々と声が湧き起こる。


「八郎様と共に!」

「大宰府を討つのだ!」

「討つべし!」

「楽土を築くのだ!」

「我らが尖兵とならん!」


 時は仁平元年四月末。これから三年間、その言葉通りに八郎は鎮西を席巻する。

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