第25話 きっと幼なじみよりも男の娘相手に恋に落ちる確率のほうが高い

 その後も百合の詰問攻めが収まる気配はなく、それに天が真摯に答えるというシチュエーションが続き、時折腰を折るような唐変木な行動を起こす姉貴を鎮静する俺の視界の端で、ゆかりは金髪男に回復魔法をかけていた。

 時折唸る男を見るに、覚醒の時は近いと思われる。


 ちなみにゴキブリくんは相変わらず無数の足をぐにょぐにょ動かしていた。百足と蜘蛛とゴキブリが融合した鵺なんて、嫌われ者の寄せ合わせにもほどがある。


「なるほどね。うん、大体呑めたわ」


 と、百合がいう。


 この間、俺は傾聴を装っていただけで、会話には一瞬たりとも参加していないのだが……ゆりゆりよ、話し合いに参加しろって言っといてこの仕打ちはあんまりじゃないか?


 横暴なお嬢様の横顔をジトっと非難がましく見つめ続けていると、


「なによ?」

「別に」


 視線を逸らして頬杖をつく。

 はぁとため息を漏らす音が聞こえた。


「……そのさっきはごめんなさい。それと、わたしのために無茶を承知で戦ってくれてありがと。なんだかんだ優しいアンタの性格、嫌いじゃないわよ」


 そう言う百合の言葉には、先ほどの振る舞いからは想像がつかない優しさが滲んでいて……。


「……」


 んん⁉ 

 これはもしかして、ゆりゆりデレてるんじゃね⁉


 確信めいた期待を胸に、ちらと横目で百合を見やれば、アンビリバボー! 顔を真っ赤にして俯いてるじゃあありませんか!


 仮にラブコメなら主人公がコロッと落ちて、甘い空気が漂いはじめる頃合いだが、現実ってのは残酷なもので距離が近すぎる相手には恋愛感情がまるで湧きやしない。


 痘痕もえくぼで毎日のツンとした態度も可愛く見えてしまうが、この可愛いは親類に向ける可愛いであり、愛情ではなく情愛なのである。

 愛は愛でもまったくの別物。わかりやすく言えば、ギャルゲーとエロゲーみたいなもんだ。……わかりやすいよな?


 それはさておき。


 それならどうして興奮してるのかって?


 決まってるだろ。

 愛玩動物をいじくり回すほど至高の瞬間はないんだぜ(個人差あり)。


「そうかい。でも、俺がピンチになったら百合もなりふり構わず助けてくれるんだろ?」

「ま、まぁそれは当然……友達だもの」


 しゅんしゅん萎縮していく百合。


 んん? 今の間はなにかなぁ?


 ネットに蔓延る鬼畜スレ民にも引けを取らないド畜生ぶりで、俺はボコスカ踏みつけられた足に代わって復讐を続ける。


 いいぞいいぞその調子だ兄貴! と、今は痛みの欠片もない親指が脳内で擬人化して鼓舞してくる。


 まかせろ。子分の敵を討つのが大将の責務ってもんだ。


「友達、か。十年来の付き合いで友達止まりなのか」


 悄然と肩を落として重々しく息をつく。コツはデクレシェンドを利かせて、最後の方は声にもならない声にすることだ。


「(趣味が悪いですよ兄さん)」


 瞳だけ動かして天を見やれば、咎めるような目でこちらを見ている。


 なに、心を許しあった親友だからこそできる迫真の演技だよ。まあ、見てなって。


「ち、違うって言うの?」


 どんどん顔を赤くしていく百合を見て、姉貴はまろやかに微笑んでいる。


 俺の演技は大根役者以下のひどいものだ。姉貴は俺が百合をからかっていると悟っているに違いない。


「なんだか甘い匂いがするのですが」


 金髪の胸に両手をかざしてくんくん匂いを嗅ぐ仕草をするゆかりを横目に、俺は芝居がかった笑みを浮かべて言った。


「十年以上の付き合いだぞ。家族も同然なんだから、もう少し昇格してくれてもいいんじゃないか? 例えばこ……ミカルマスコットとか」


 危うく本音が漏れそうになって誤魔化すテンプレート。


 ラブコメなら勝手に連想して狼狽える場面だが、果たして現実はどうか。


 今ここに、二次元と三次元の境界線が消滅しようとしていた。


 一時瞳孔を見開いた百合は、ちらちら視線を泳がせながら、


「無理よ。だってアンタ陰キャだもん」


 胸の前で指を回しはじめた。


 俺は知っている。

 これは百合が緊張した時に見せる仕草だ。


 どうやら二次元的手法は、現実でもそこそこに有効なようだった。すげぇな作家。


「誰が陰キャだ。ダウナー系と言え、ダウナー系と」

「けど、だからこそ、わたしだけが誰も知らない紫音を知ってるの」


 耳まで真っ赤にしながら何度も胸の前で手を握り直す仕草は、まるで聖なる夜に告白を控えたヒロインのようである。


 不安定な心持ちに共鳴するように、ポニーテールの先端が不規則に揺れている。

 三次元も捨てたもんじゃないなぁ、なんて他人事のように思いつつ、俺は自分の顔が熱くなっていることに気づいた。……あ、あれ?


「あ、あのね紫音」

「な、なんだよ」


 こんな時に限ってそんな猫撫で声を出すなよ……。


 茫洋とした百合の瞳は、秘められた俺の庇護欲を燻り……おかしいな。どくどくと心臓が早鐘を打つ音が脳内で響き渡っているんだが。


「わたし、ね? 実は紫音が……」


 ちょ、まずいまずい、色々とまずいって。


 詰め寄ってくる百合から逃れようと後退し、ドンと強い衝撃が全身を駆け巡る。

 

 壁だ。もう距離を取れない。


「紫音……」


 おいおいおいおい冗談だろ? 


 じっくりなぶるように緩慢と迫った百合の顔は、鼻差になっても動きを止めることはなく、甘い吐息が鼻を撫でた辺りで俺は強く瞼を閉じた。


「……な~んて。からかってるって知ってたから、逆にからかってやりましたぁ」

「は?」


 調子に乗った俺が悪い。そんな罪悪感が導いた覚悟も虚しく。


 二秒後の視界に収まったのは、下卑た笑みを浮かべる幼なじみの顔だ。

 忍び笑いする彼女は妖艶で扇情的で……ってチョロインかよ俺は。


 俺のトラップをいつの間にか乗っ取っていた百合は小馬鹿にするように笑い続けていて、なのに全然腹は立っていなくて。


「……可愛くない奴」


 それはきっと小一時間前まで重傷を負っていた彼女が、こうして平然と冗談を仕掛けられるくらいに回復していることを嬉しく思う自分がいたからだろう。


「そんな真っ赤な顔で言われましてもねぇ~」


 なんて案外他人思いな自分に酔い痴れる余韻も与えずに再度顔を近づけてくるこいつは、権謀術数をめぐらして楽しんでるんだろうな。


 他意はないと重々理解している。

 なのにバカ正直な身体は、バカ正直に明後日を向いてしまう。


 悔しさに歯を噛み締めながら他の他の三人の反応を窺えば、


「因果応報です」

「しーくんも男の子だねぇ。真っ赤になっちゃって可愛い♪」

「お師匠様……その、人の心を弄ぶのはよくないと思うのです」


 三者三様、俺を地に落とさんばかりの言いようである。


 中でもゆかりが申し訳なさそうな顔をしてるのがもう……決めた。もう絶対、百合をからかったりしない。俺みたいな小身者がクイーンに反旗を翻したところで、勝てるはずがなかったんだ。


「(心象操作すれば勝てますよ)」


 と悪魔(妹)の囁きが。


「(んなことするかよ)」


 悪魔めいた神様の進言を払いのけてなんとなく金髪を見やると、


「ルクシア様……あぁ、こんな奇跡があっていいのかな。はは、また全盛期のお姿をお目にかかれるなんて」


 半身を起こした男は、驚喜に身を震わせながら涙を流していた。


 ……ルクシアって誰?


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