第24話 温厚篤実な天使様ほど機嫌を損ねたときは恐ろしい

 ゴキブリくん(姉貴命名)がカサカサ忙しい籠は部室の入り口に放置して、金髪男を数十分前まで百合が寝ていた簡易ベッドに寝かし、天が用意した五人分のティーカップが突如湯気を立てはじめたところで天による講義のはじまりである。


「ご覧のようにゆかりさんは魔法少女で、わたしは織姫の職務を担う神の端くれで、恐らく金髪の彼もなにか特別な力を持った人物です」


 まさかのアンチクライマックス法である。


 ぼかしの一切ないストレートな切り出しに対して、凡人類の二人の少女がどんな反応を見せたかというと、


「え⁉ すごいすごい! もしかしてわたしも特別な能力があったりするのかなぁ?」

「どうしてそんな事態になってるわけ?」


 興奮してるのが姉貴で、冷静なのが百合だ。


 何食わぬ顔で指をくるくる回して、ゆかりがお茶請けのどら焼きを用意する。

 一日におやつを二回取るのはカロリー的にどうかと思ったが、人類のレベルを超越した運動をしたから問題ないだろうと結論を出してどら焼きを頬張ると、爪先に激痛が走った。


「いっ⁉」

「なに傍観者を貫こうとしてんの! 会話に参加しなさい!」


 目を三角にする百合である。


 でも俺口下手だから……。ほら、国会議事堂の討論とかでもこくこくしてるおっちゃんいるじゃん? 同じ要領で、俺がこの場にいるって事実に意味があるわけで……


「いいから言うことを聞きなさい!」


 ゴキャッと響いた音は痛快なもので、包装ラップのぷちぷちって潰すの楽しいよね、と似通った心地よさを感じたが、瞬く間に全身を駆け巡った痛覚が尋常じゃなくて、回想シーンに入る余裕もなかった。


 お前なぁ、それはヤクザの手法だぞバカたれ。


「バカって言う方がバカなんですぅ。実際、あんたの評定を二倍したところでわたしに届かないわけだし」


 この野郎……。


「へっ、いい子ちゃんぶって好印象を植え付ける媚びビッチがなに言いやがる。それに一般教養を得たからなんだって言うんだ。ありをりはべりいまそかりってなんだよ。古代の散髪屋の必殺技かなんかか? はは、とても将来役立つとは思えないね」

「立ちますぅ~。時間旅行が可能になった将来、平安時代でコミュニケーションが取れますぅ~」

「そんときゃ、翻訳機も並行開発されてるだろうさ」


 などと、百合とくっだらない口論を繰り広げていると、


「二人とも、仲良くしようね?」


 穏やかな声に、ぞぞっと全身が総毛立つ。

 戦々恐々と首を巡らせれば、姉貴がいやに優しい笑みを浮かべている。


 俺は知っている。

 あの笑顔をした姉貴に逆らうとどんな目に遭うかを。


 姉貴の中の鬼が目を覚ますということを。


 そのことはもちろん百合も心得ている。口を噤んだ俺と百合は言葉を介すことなく思考を共有し、揃って空々しい笑みを浮かべた。


「はは、冗談だよ冗談。まさか咲月姉、わたしと紫音が本気で喧嘩すると思ってるの?」


 まぁ事実本気ではなかったよな。

 ガチギレしたら竹刀ぶん回して襲いかかってくるし。


「いつものことだ。目くじらを立てるほどのことじゃないよ」


 温和な笑みの裏でぐつぐつと煮えているであろう姉貴の腸の怒りを冷ますために、軽い調子で言い放つと、なにやらゆかりが羨望の眼差しらしき輝く瞳を俺に向けていた。


「いつもあの温度で。さすがお師匠様」


 うんうん感心したように頷くゆかり。

 今のどこに好感度アップポイントがあったんだ?


 姉貴は見せかけの笑みを浮かべたまま俺と百合を交互に見やると、


「うん。よろしい。お姉ちゃんの前でいざこざは禁止、だからね?」


 茶目っ気たっぷりにウインクする姉貴から、後を引いた気配は感じられない。


 ほっと安堵の息が漏れ出る。

 新たな厄介ごとの発生はなんとか食い止められたようだ。


 符節を合わせたように敬礼する俺と百合を見て、姉貴はいっそう笑みを濃くしたのだった。


 ……と、一難去ったところで軌道修正完了である。


 天に続きを話すよう目で促すと、呆れ交じりの微笑を浮かべて頷いた。


「……」


 気のせいだろうか。

 俺にはその笑顔が郷愁を漂わせているように見えた。


 いつもと変わらない調子で天は切り出す。


「どうしてこのような事態になったのか。――それはズバリ、紫音さんが6歳の頃に願ったヒーローになりたいという願いごとが叶ったからです」


 きゅっと百合が眉根を寄せる。


「なんで六歳の願いごとが今頃になって叶うのよ?」

「簡単なことだよ~」

 

 そう答えたのは、どら焼きを片手に持った姉貴である。


「アルタイルとベガって地球から16光年と25光年離れてるから、願いがお星様に届いて叶うのは16年後と25年後になるの。だから、16歳のしーくんの願いごとが今になって叶うのは当然なわけで……あれ?」

「理論が破綻してるな」


 それだと俺が0歳の頃にヒーローになりたいと願ったことになる。残念ながら俺は世界を救うべくして生まれたわけではないので、その説はボツだ。


 しかし実際どうなんだろう。

 地上の願いはどのようにして神様の元に届くのだろうか。


 対するアンサーは……。


「咲月の考察は地上の理論上は正しいものですが、神々の前では概念など存在しないも同然ですので、願いごとは瞬時に届きますよ」


 科学者が不憫に思えて仕方ないね。

 人類が何百、何千年という時を費やしても尚開けられないパンドラの箱も、神様って奴はものの数秒足らずで開けてしまうのだろう。


 さすが全知全能。ますます勉学に対する意気込みが失せちまったよ。


 

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