第16話 おどおどと語る真実は相手の不審を煽り、活き活きと語る嘘は相手の信用を誘う
翌朝、昨日より十分ほど早く屋上の扉を開くと、朝風にそよと靡くショートカットが目に入った。振り返ると朝日に反射して瞳が輝くが、その光量は左右で異なっていて、右の瞳の放つ反射光は左の瞳の三倍増しだ。
眩しさに目を細めながら俺は言った。
「悪い。待たせたか」
「いいえ、待っていませんよ。今来たばかりです」
そんな初デートで彼女を気遣う彼氏のような台詞を口にしながら、ゆかりは温和な笑みを浮かべた。
やっぱりそれって魔眼なのか?
「はい。先祖代々受け継がれてきたものです。魔眼が解放しているときにしか、わたしは魔法を使えないんです」
えらい縛りプレイだな。目潰しされようものなら普通の女の子に成り下がりだ。
個人的な意見としてはそっちの方がありがたいんだが。
「ところで紫音、インフェルノの使い手はどこですか?」
右へ左へ、ゆかりは忙しくなく四方八方に目を配るが、扉の裏で天に待機してもらっているだけで、他には誰も呼び立てていない。
二人しかいない。
現時点でゆかりがそう認識していることは、これからの計画において重要なポイントだ。
「いるよ」
「どこにですか?」
振り返るよりも返答が俺の耳朶を打つ方が早かった。興味津々なようでなによりだ。
期待と興奮を宿した眩しい瞳から目を逸らすことなく、
「ここに」
とんとんと俺は拳で胸を叩く。
ゆかりは意表を突かれたように、ぱちくり瞬きを繰り返すと、
「……インフェルノを発動できるのですか?」
主語は抜けていたが、俺が、と代入して間違いはないだろう。
「ああ。できるよ」
爽やかに言ったつもりだ。
ゆかりは眉根をきゅっと寄せる。
「ですが、天は紫音は少ししか魔法を使えない言ってました」
並の人間だからな。少しどころか、魔法なんてこれっぽっちも使えやしない。
けど、今はちょいと特殊な境遇にあるから、大抵のことはできてしまうのさ。
他力本願だけど。
「人間がインフェルノを発動できない、なんて理屈はないだろ?」
計画の成功に必須の条件がふたつある。
ひとつは、堂々とした態度を取り続けること。
もうひとつは、デタラメな理屈で相手を軽く洗脳することだ。
「人類は常に未知の可能性を拓いてきた。偶発的に魔法能力が開花したっておかしな話じゃないだろ?」
一見、因果関係のない二つの事象でも、言葉巧みな言い回しと効果的な演出があれば人は勝手にモンタージュの手に落ちる。
「この世界とゆかりのいた世界は別物かも知れないが、根本的な部分は似通っているのかも知れない。現に俺とお前は同じ容姿をしている。ここまで一致しているのに、これを偶然の一言で済ませちまっていいのか?」
極端な話、嘘っぱちだろうが真実だろうが関係ないのさ。
作り話にちょっぴり真実を混ぜれば人は簡単にその話を信じる。
喩えそれが99%の嘘で作られたものだとしても。
「確かにそうですが……」
ほら、話術だけで人の心はこうも簡単に揺らぐ。
加えて、デタラメ理論が実現されたらどうだ?
「ま、疑心暗鬼になるのも当然だろうさ。今から見せてやるよ――インフェルノを」
否、それは概念へと昇華する。
疑う余地などない、既成のものとして。
狐に抓まれたような顔をしたゆかりを歯牙にも掛けず、俺は胸に手を添えてゆっくりと目を閉じた。
「我に生命を授けし尊き主よ。今ここに刹那の奇跡を起こすことをお許しください――」
記憶力が優れているのが救いだった。でないと、オリジナルの詠唱になって効果が半減しちまうからな。手筈が同じなら、誰だって親近感を覚えるってもんさ。
当然だが、人間はいくら努力したところで魔法を会得することはできない。炎だの水だの風だの、自然の恵みを無から創造することは決してできない。普通は。
ところが今の俺には神様の後ろ盾がある。
奇跡も、魔法も、大抵のことはできちまう。
つまり、屁理屈を理屈として体現させるのに十分な力を持っているのだ。
天から聞いたが、インフェルノという魔法はどの世界にも存在しないものらしい。ゆかりが放っていた魔法は、既に存在する空間に亀裂を起こす魔法だそうだ。
よくわからんが、時空干渉魔法とかいうかなり高難度の魔法のようで、天も見たのははじめてだと驚いていた。
ゆかり、お前はすごい奴だよ。
存在の有無も定かではない魔法があると信じて疑わずに十年も練習し続けて、お前の望んだことではないかも知れないけど、神様もびっくり仰天する魔法の創造に成功しちまった。
けど、そう伝えたところでお前は満足しないんだろうな。
だからさ、俺がインフェルノって魔法を生み出してやるよ。
そうすればお前の努力も無駄じゃなくなるだろ?
「火神アグニート様より授かりし神聖なる焔。今こそ諸悪を業火で炙りし時」
さぁ、いよいよ詠唱も終盤だ。
風が染みるくらいに目を見開き、さらに一段階声を励ます。
「焼き尽くせ! ――インフェルノ!」
叫び声が春空に轟き、直後、視界の遥か先の山の麓を起点に一筋の光が閃いた。
音叉のような音を伴いながら光はやがて半円状となって街を覆い尽くし、数瞬の沈黙ののち、山は腹部を軸に弾け飛んだ。
まるでポップコーンが跳ね上がるかのように木々が宙を舞うその光景は壮観であったが、あまりに現実離れしすぎていて感動も清々しさも覚える余裕がなかったね。
頭の中は真っ白だった。
……と茫然としている場合じゃない。あの山の付近に村落はなかったはずだが、土石流や瓦礫の二次被害が起こる可能性は極めて高いと考えられる。
「(天、もう十分だ)」
「(了解です)」
脳内に返事が届くや否や、瞳に映った光景。
ネットで拡散されないことを願いたいね。
まるでビデオを逆再生するかのように、浮遊していた木々が元あった場所に遡行していく。
十秒も経てば元通り。超常現象の痕跡はほんの少しも残されていない。
「これがインフェルノだ」
「……」
ゆかりはあんぐりと口を開けて瞠目していた。
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