第14話 重要な情報ほど後回しにしがち
「――嫌ですっ!」
屋上に到着するなり耳を劈いたのは、切羽詰まった拒絶の声だった。
「ここはゆかりさんのいた世界とは違うんです」
続けて宥め賺すような柔らかい声が聞こえてくる。
「あなたの魔法に耐えられるほど、この世界の人工物は強固ではないのです」
「だから魔法を控えろと言うのですか? 仮にカルマが侵略してきて、その時わたしの魔力が劣っていたら、天はどう責任を取ってくれるんですか?」
「それは……」
「家族を皆殺しにした相手に、頭を垂れて命乞いをしろと言うのですか?」
修羅場だな。街中で名前も知らない無関係の女生徒がいがみ合ってたら、やってんなぁくらいにしか思わないが、いざ自分が関係者となると厄介ことこの上ない。
フィクサーなんて担ったことないが、取りかえしのつかない事態になって世界滅亡シナリオが完成してしまってはもっと困る。
そんなわけで、考えなしに俺は飛び出した。
「悪い遅れちまった……ってどうしたんだ二人とも。顔が怖いぞ?」
まぁ、正確には目を三角にしているのはゆかりだけなんだが。
一方の天は、助けてと言わんばかりの困り顔を浮かべている。
まぁ仮にも妹だからな。
兄貴としてちょいと袖をまくるとしよう。
「天が魔法を金輪際使うなと言うのです。紫音はどう思いますか? 魔法はわたしの生き甲斐なんですよ?」
同意を求めるように、身振り手振りを交えて自らの意見を主張するゆかり。
不幸中の幸いと言ったところか、天に敵意が向いたことで俺に対する嫌悪感が和らいでいる。
これはチャンスだ。
気分を害さないよう細心の注意を払いながら、解決策を探るとしよう。
「そいつは横暴がすぎるな」
「そうでしょう? それに魔法は毎日発動しないと威力が弱まってしまうのです」
なるほど。だから毎日、修行に励んでいたのか。
「それでサボらず毎日魔法を放ってたと」
「はい。ここ十年は一日だって欠かしたことはありません」
ゆかりはまっすぐに俺を見つめている。
これでホラだったら大した道化だが、恐らくこの子の言葉にはこれまでもこれからも裏がないと思っていいだろう。
一目見ればわかる。
この子は率直な女の子だ。
こんなへんてこな事態に巻き込んじまったのが申し訳なくて仕方ない。
俺がいなければ、この子はアルザスの村で家族と仲睦まじく平穏な日々を送っていたに違いない。
そんな彼女の日常を壊したのは俺だ。
なのに彼女の生き甲斐である魔法も奪えって?
地球が滅ぶ可能性があるから?
冗談じゃない。それなら俺は世界を敵に回してでもゆかりの意志を尊重するさ。
その程度では拭いきれないほどの罪を俺は背負っている。
考えろ考えろ。
彼女の願いが叶えられて且つ、このだらっとしたなんでもない日々が続く方法を。
「すごいな。俺は何事も三日坊主で終わってばかりだよ」
真一文字に結ばれていたゆかりの口がほころんだ。
「わたしも魔法以外は継続できないことばかりです。お菓子の我慢も二日が限界でした」
お菓子、ね。
そんな子どもだましがいつまでも通用するとは思えない。
もっと長期的な効果が期待できる術は……。
と、昨日の出来事が脳裏に浮かぶ。
「ところで、インフェルノ、だったか。あの魔法は成功した例しがあるのか?」
天はやはり俺の言動にノータッチである。
先ほどから置物と化していて、けれどその顔に笑みはなく、瞳はまるで俺を試しているようで……といかんいかん。今はゆかりとの会話に集中しないと。
ゆかりはからかうように、小さく笑みを漏らした。
「紫音は変わった人ですね。話に一貫性がありません」
そりゃあ、話しながら考え事してるからな。どちらかと言えば思考を巡らせることに力を入れてる分、会話は疎かになって当然だ。
なんて正直に言うこともできず、
「これが俺なんだ。甘んじて受け入れてくれ」
両手を空に向けて浅いため息をつく。
悪いな、今は小洒落た言葉を返す余裕もないんだ。
つまらない返事だが、失望して会話を中断したりしないでくれよ。
お前の言葉が、唯一シナプスを刺激する可能性を秘めてるんだ。
ゆかりは微苦笑を浮かべる。
「変な人です。でも、悪い人ではないみたいですね」
言葉の棘がどんどんなくなっていく。今朝は絶望的に低空飛行だった関係性が、奇跡的に上昇の一途を辿っている。
この調子でどんどんガードを甘くしてほしいもんだね。
「インフェルノが成功した例しはあるのか、という質問でしたね。その問いに対する答えはノーです。わたしは一度も成功させたことがありません」
憂い顔をしてゆかりは俯く。
正確には失敗していない。制御出来ていないだけで、魔法の発動には至っている。
が、本人はそのことを自覚していないようだ。
目を伏せたままゆかりは続ける。
「アルザスの村では、インフェルノは『
ただでさえ頭がパンクしそうだってのにテクニカルタームの追加は勘弁してくれよ……なんて思ったのも束の間、そんな苦衷を容易にかっ消す衝撃の事実が明かされる。
「実在するのかわからない魔法を十年も練習してたのか?」
「はい」となんでもないように頷くゆかり。
テキストも範もなしとなれば、それは修行ではなく研究だ。彼女は魔法少女ではなく、魔法研究家を名乗った方がいい。やってることはメンデルと変わらんからな。
しかしこれはいい情報を得た。天と姉貴の助力があれば、双方にとって有益な解決策を講じることができる。
二人の許可を前提として、アドバルーンを上げておきたいところだが。
「……仮にインフェルノを使える奴がいたら、お前はそいつに会いたいか?」
ここでゆかりが想定した通りの反応を見せれば条件達成だ。
懐柔待ったなしとなる。
固唾を飲んで彼女のリアクションを待っていると、
「え⁉ そんな方を知ってるんですか⁉」
目をキラッキラと輝かせながら、鼻と鼻がくっつくほど至近距離に迫ってきた。
よし、これなら大丈夫そうだ。
さて未来の安泰が約束されたはいいが、今の危機的状況をどう回避したものか。
少しでも頭を動かせば、お互いはじめてを失ってしまう。
こんなラッキースケベみたいな感覚でファーストキスを失いたくないよぅ!
助けて天!
「おめでとうございます。ようやく雪解けのようですね」
うん。実にいいハリウッドスマイルだが、さては天さんや、傍観者を貫くおつもりですかい?
じっと天を見つめる。
待てども待てども、天の足は地面に固定されたかのように動かない。
お、お前……願ったらなんでも叶えてくれるんじゃかったのかよぉぉ!
「(気分的に嫌です♡)」
と、声がしたのは俺の脳内である。
まさかまさかと思いながら、俺は身体を大きく仰け反った体勢のまま念じる。
「(もしかして天さん、テレパシーとかできちゃったりします?)」
「(はい。兄さん限定、ですけどね)」
「(早く言えよぉぉ!)」
そういうのはもっと早く明かしてだな……けどまあ、ゆかりからの好感度が上がったからよしとしよう。
それから間もなく、俺は仰け反り体勢に堪えきれなくなり、盛大に尻餅をついた。
その後は一瀉千里に溢れ出す質問を躱しに躱し、明日の朝一番にインフェルノを使える人物を連れていくということで話は落ち着いた。
一連のやりとりを脇で見ていた神様は、終始笑いを堪えるような顔をしていて、帰り道でなぜ助け船を出さなかったのかと訊くと、
「能力の使用回数にも制限がありますからね。今回はわたしの助力なしでも解決できそうだったので傍観に徹しようかと」
なんて、またしても極めて重大な案件を補足事項のように言ってくるものだから、軽くゲンコツをお見舞いしてやった。そう言うことは早く言えよ。
「いたぁ~暴力反対です」
「自業自得だ。他に隠してることは?」
「別に隠してるつもりはないんですけど……」
聞けば能力は一万回までが限度なのだとか。
曰く、異界と現世を繋ぐ『門』(地上とは定義が異なるらしい)は一年ほどで塞がる見込みだそうだから、えっと……一日あたり27回は使えるってことになるのか。
そんだけありゃ十分だな。今日なんて一回しか使ってないし。
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