33.誰も逃げられない


 ひとたびフロスティーンに意識が向かえば、ゼインからは勝手に肩の力が抜けていく。

 しかしこんなところで手を緩めるわけにはいかないと、ゼインは気を引き締めて侯爵を睨みつけた。


「国に虚偽の申告をしていたとでも言う気か?」


「い、いえ!滅相もございません!申告通りです!」


 威圧的なゼインの声に、ようやく本気で怯え始めた侯爵は、なおもゼインの視線から逃れるようにして、ちらちらと自分より後ろに立っている夫人を見るが。


 夫人はつんと澄ました顔をして、夫を相手にせず前を向いている。

 隣に寄り添う娘はもうすっかり怯え、夫人の腕に腕を絡ませ顔を伏せているというのに、娘を宥めることもない。


 やがて侯爵のいる方向から、ちっというそれは小さな舌打ちの音が漏れた。

 ゼインの耳にはこれが届き、舌打ちをしたいのはこちらの方だぞと心中だけで零しておく。


 より大きな舌打ちを返すような品位なき行動を思い留まれたのも、フロスティーンがずっと自分を見ていることを知っていたから。ということをゼインは知らなかった。


 戦争をしていた頃のゼインとはまるで違う対応に、心をざわざわと乱していたのは重臣たち。

 少し前のゼインなら、舌打ちを返すどころか、無礼討ちとしてこの場で血を流すことも躊躇わなかったはず。


「お前にはまだ聞きたいことがある」


 いつから彼は、話をよく聞く紳士的な王に変わったのか。

 愚者相手にこれは凄いぞと、重臣たちは時々目を見合わせては、驚きを共有してしまうのだった。


 ゼインとしてはまだ聞きたいことがあるから生かしてやっているだけ、という認識にあるが。

 重臣たちはそうは受け取ってはくれなかったのだ。


「戦中から他国と通じることを禁じてきたな?それで?今年は領外との取引もせずにいたお前はどこからどうやってフロスティーンの情報を得たと言う?」


 禁じたところで貴族たちが完全に従うとは思っていなかったゼインであるし、人々から流れて来る話もあるだろう。

 それでも他国の王女の話を、侯爵はゼインのいるこの場で堂々と話してはいけなかったのだ。


「そ、それは……今年の取引がなかろうとですね、付き合いというものはございますので」


「取引がなかろうと付き合いを続けるなら、国を通せと言ったはずだ」


「は、はい。そ、それは分かっておりますが……今や平時でありますから……その……併合した国の商人となればもう国内の者となり………こうなっては年来の友人のような存在で」


「戦中か平時かは関係ない。お前は俺に知らせずに、併合した元隣国の商人らとの付き合いを続けていたということでいいか?」


「い、いえいえ、そんな!偶然です!偶然!そう、あれは商人ではなく……領民たちが……そうです噂をしていて。偶然にも耳に挟んでしまったからには、早急にこれを陛下にお伝えせねばと。そういう使命感からですね。必ずや謁見出来るこの場にて……」


「お前は偶然耳に入れた噂話をそのまま裏付けも取らずに鵜呑みにし、俺の前で語る男であったということか。俺の考えていた通り、お前はこの国には不要だな」


「いえ、違います!裏付けは……サヘ…ではなく、領民たちが!そうです領民たちが!それは確かな情報だと言っておりましたので」


「それを裏付けと語るなら、お前は要らん」


「いえ、あの、これも違いました。気が動転していて記憶があやふやとなっているようです。申し訳ありません。偶然にも。偶然にも……その、領内にサヘラン王国に詳しい者がおりましたので」


「異国の民を囲うことも許してはおらんぞ?受け入れたくば、国の許可を得ろと言ってあったはずだ」


「囲っていたのではなくてですね。えぇと……趣味だと言っておりました」


「無茶苦茶だな。今しがたに商売をしていたら情報に精通するのだと得意気に話していたのは誰だ?」


 この発言には、重臣たちも驚きを隠せなかった。

 と言い切ったゼインに、それほどに魅力がある王女だったのかと、各々まじまじとフロスティーンを見詰めてしまう。


 しかしこれに素早く気付いたゼインに鋭い視線で睨まれることになって、彼らは皆一様にこれから夫婦となる二人の関係が格別に良好であるように理解した。

 実際のところ、二人はまだほとんど通じ合えてはいないのだが。


 だがそんなゼインたちの視線によるやり取りに気付けるような余裕が侯爵にはない。

 いいや、この会場にいる多くの貴族にそれはなかった。


 次は自分の番ではないか。

 無関係を装って余裕の顔をしていた貴族たちも今や怯え始めている。

 それぞれの頭に浮かんでいるのは、同じ内容で責められたときに自分は逃げ切れるのか、という不安ばかり。


「あ……えぇと、それはですね……それは……そうです、言葉の綾と言いますか。これまでの経験でつい口から出てしまった言葉でして……えぇ、ですから。私はただ望まずして耳に挟んだ情報をですね、早急に陛下にお伝えしなければと、そういう使命感を持参して……そうその使命感ばかりが先に立って、それで領内のどこから仕入れた情報かという部分が記憶から抜け落ちてしまったようですね……はは……ですからその……あのですね……」


 もはや何を言っているのか自身で理解しているかも怪しくなってきた侯爵は、がくがくと震える膝を止められないのか、屈むようにして両手を膝に置いていた。


「よく分かった。詳しい話は消す前にとくと聞いてやる」


 侯爵からは悲鳴の声も出ず。

 その侯爵の横を越えて、すすっと足を前へと進める者があった。


「陛下。発言をお許しいただけますでしょうか?」


 侯爵夫人だ。






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