32.幻想の中で生きる


「お前が小麦を販売してきた相手国は、かつての隣国、つまり我が国が併合した国のみであったな?」


「は、はい。その通りにございますが」


 急な話に、それが何か?と問い掛ける気力も、侯爵には残されていなかった。

 だが問い掛けずにいれば、ゼインが気休めの時を与えてくれるわけもなく。


「戦中は当然禁じてきたが。お前たちが築いてきた販路まで奪おうという気はなかったからな。しかし今まで通りとはいかん。今後も同じ商売相手らと取引を継続したいなら、必ず国を通せと俺が言ったことは覚えているか?」


「は……それはもちろん記憶しておりますし、必要な手続きも済ませておりますとも!」


 まだ震えは止められないようではあるも、ここで少しだけ侯爵の元気が戻ってきた。

 この急激な変化は侯爵がなおもゼインを下に見ている証明となる。


 そうやって無意識に見下しているからこそ、高い自尊心も相まって、自分は現王の治世に必要な人間だ、という希望を創り出すのだ。


 自領の特産物を輸出することで外貨を取り入れてきた貴族たちが、長く国に貢献してきたことは事実。

 その間に長い時間を掛けて築いてきた販路にも、彼らは誇りを持っていた。


 侯爵も多くの貴族らの例に漏れず。

 この国にはまだ自分が必要だと信じている。


 しかし続くゼインからの言葉は、侯爵がこの場で創生した微かなる希望も、あっさりと撃ち落としてしまった。


「ほぅ。おかしいな。お前からそんな届けは受け取っていない」


「なっ。そんなはずはございません!それは取次ミス……手続きを管理するのは……そうです。そちらの無礼なる者たちが斯様に子どもじみた嫌がらせをし、勝手に我が家の申請を取り下げたに違いありません」


 この私をあれほど侮辱していたのだから間違いない。

 侯爵は胸を張って、ゼインの重臣たちを糾弾した。


 無論、証拠など何一つない世迷い事だ。


 その無駄に豊かな想像力には、ゼインは呆れながらも感心する。

 それは豊かな想像とよく見えぬ現実の線引きの曖昧さが、こうした愚かなる言動を起こさせるのか?という、人間観察における感心だった。


「今年は取れ高が悪く、すべて領内で流通させるから届けは出さぬと聞いていたが。それは偽りだったと言うのだな?」


「は?取れ高が悪い?そのような報告を聞いては……」


 最後まで言わずして侯爵が後ろを向いて視線で縋った相手は夫人だった。


 だが夫人は何の反応も示さない。

 

 その様子にこれまでのフロスティーンと重なるものを感じてしまったゼインは、思わずフロスティーンを見てしまった。

 するとやはり即座に目が合って、ゼインはここで一度一息ついてしまう。



 ──夫人とは似て非なるものだな。纏う空気まで妙な女だ。




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