15.お披露目の前に
フロスティーンがアウストゥール王国に来てひと月が過ぎた。
婚姻の式典より前に、国内の貴族らに向けたお披露目会として城にて夜会が催されることが決定する。
それは急遽決まったことだった。
「一度で済ませられなくて、すまない」
「いいのです。国内の貴族とはそういうものでしょう」
淡々と言ったフロスティーンは、自然な動きでゼインの腕に手を添えた。
エスコートというものに慣れぬのはゼインの方で、人知れず心が浮き立つのもゼインだけ。
──慣れているはずがないであろうに。いつまでも妙な女だな。
恥ずかしさを誤魔化すように内心でそう言ったゼインは、しかしフロスティーンには微笑み掛ける。
ほとんど毎日共に食事をしているうちに、表情が和らいでいったのはむしろゼインの方で。
侍女や侍従には、いつでも生温い目を向けられるようになったゼインだ。
だがフロスティーンとて、変化がないわけではない。
「このドレスの色は好きです」
「そうか」
「はい。ゼイン様はどうでしょうか?」
「……うん。綺麗だと思うぞ」
ゼインが言えば、フロスティーンはにこりと微笑んでみせた。
表情筋を鍛えたらどうか。
我慢出来ずに先に提案してしまったのも、ゼインだ。
そのときのフロスティーンの瞬きの回数の多さには、ゼインも思い出すと頬を緩めてしまうほどで。
『表情というものを失念しておりました』
フロスティーンはそう言って、自分の指先で両頬をきゅっと上向けるように押したのだ。
その顔には、ゼインも声を上げて笑ったものである。
フロスティーン曰く。
『動かさない方が色々と都合が良かったもので。そうですね。皆様のように顔を動かすようにいたします』
つまり、あえて表情を作らないようにしてきたという。
長くそうしているうちに、人間には表情というものがあることを忘れていたらしい。
フロスティーンは、その後にそっと心情を呟いている。
『完璧だと思ったのに。知識は経験には敵わないみたいね』
何やら理想形に擬態していたことを悟ったゼインは、それからよくフロスティーンを揶揄うようになった。
侍女らから助言を受けながら、表情を出す練習を重ねていたフロスティーンのその過程が、あまりにも面白かったせいもある。
いちいちその日の成果を見せてくれるフロスティーンが、ゼインには愉快で仕方がなかった。
そんな風にして距離を縮めてきた二人が、いつもとは違い着飾って城の廊下を並び歩く。
思えばいつもフロスティーンの部屋でしか会っていなかったことに、ゼインはここでやっと気付き、少しばかりの後悔をした。
──すっかり元気になったようだから、部屋から出すとするか。
いまだに『したいこと』が分からないフロスティーン。
よく語るようになった『好きなこと』だって、与えられたものすべてに好きだと言っている状況である。
だから『嫌いなこと』も分からないままだ。『したくないこと』だって決められない。
──圧倒的に経験が少ないのだろう。外にでも連れ出せば、もっと自分を知るようになるかもしれんな。
楽しい予定を立てながら、もうこのまま部屋に戻って、二人で食事を楽しみたくなったゼインであったが。
王であるがゆえに、それが無理なことは十分に理解していた。
ならば面倒事は早いところ終わらせてしまうに限る。
城の広間に通じる扉の前で、二人は並び待機した。
「緊張は……していなそうだな?」
「実は緊張というものを知らないのです」
「緊張しない質か?」
「どうでしょうか?経験がないもので分かりません」
──多くの人の前に出る経験がないとは言っていたが……。最初のときから緊張は見えなかったな?
何か少しでも気になるたびに、探るようにフロスティーンを見詰めてしまうゼインである。
そうすると、何故か長く目が合うことになった。
──表情を作るよう自覚させるのは早まったな。
フロスティーンがいつでもにこにこと微笑むようになったせいで、ゼインは余計に感情が読み取りにくくなっていた。
自然と湧いて出る笑顔というものを見てからにすれば良かったと……これについてはゼインも後悔を続けたまま。
──近いうちに、お腹の底から笑わせてやるがな。
笑うだけではない。泣いた顔。怒った顔。
様々な感情を露わにするフロスティーンを見る日を、ゼインは心から楽しみにしている。
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