空劫と蝶

シュピール

第1話「空虚に咲き世界を知る」

 風化しかけたビルの屋上で、私は風に揺られていた。

 眼下からはざわざわとした葉擦れと、その他にもざあざあと轟く水の音。雨上がりの澄んだ空気が、花と水の匂いを運んでくる。


 水の音の根源、崩壊したビルとビルの隙間をくまなくひたすようにして流れるせせらぎは、夜中に降ったらしい大雨で随分と水かさを増して本流の渓谷へと。その湿気を吸った空気もまた、濡れた気配をともなって緑に呑まれた世界をうるおしていく。


 植物に蝕まれ、花が咲き乱れるそのビルの屋上に差すのは、天を覆う巨樹の枝葉に遮られてまばらになった木漏れ日。その木漏れ日も、風に揺れ動く枝葉に合わせてゆらゆらと形を変えていく。


 私にとってこれが、世界とのファーストコンタクト。目に映る全てが未知で―――そして私から一切の希望を奪ってくる。


 なびく髪とスカートが、今はちょっとわずらわしい。


 見渡す限りの建物は、例外なくつたに覆われ、苔生こけむしていて。

 風化して崩れそうなビルの残骸を、巨大な樹の根がしっかりと支えている。

 コンクリートの道は永い年月をかけて水流に削られ、さながら渓谷のような様相を呈して雨水を湛えていた。


 ここは荒廃した都市の中心部。既に滅んだ人類の遺産が、自然と調和した美しい景色を晒している、いわば文明の亡骸なきがらのような場所。


 そこには誰もいない。

 私の姿を見る者も。

 私の声を聴く者も。

 世界の何処どこに行っても、それはきっと同じだろう。


 人類の遺物を容易たやすく呑み込む自然の雄大に、死ぬまで終わる予定のない孤独への恐怖がようやく実感を帯びて私を蝕みはじめる。


 この廃墟の国には誰もいないのが正常なはずだ。だって人類は、もう滅んでいるのだから。生き残りなど、たったひとりも存在しないはずなのだから。


 だというのにこうして生きている私は、終焉を迎えた世界に紛れ込んでしまった、異物なのだろうか。


 荒唐無稽な考えだが、けれど否定してくれる人は居ない。

 立ち尽くす私のすぐ横で、木の葉がひとひら風に舞う。それを追って振り返れば、地平の果てまで広がる緑、緑、緑。世界はただ、私に美しさを見せびらかすだけ。


 あぁ、やっぱり。

 私に希望は残されてなかった。


✢✢✢


 待っていれば、何か起こるのではないか。

 気付いていないだけで、この景色のどこかに人の痕跡があるのではないか。


 そんな淡い期待を抱きながら、しばらく呆然と、眼下に広がる廃墟を眺めていた。


 廃墟という表現は、もう適切ではないかもしれない。だってこの崩れゆく建物たちの元の姿は、私を含めもう誰も知らないのだから。植物に支えられ、あるいは蝕まれ、ときに雄大な水の流れを形作るそれらは、もう自然の一部だった。


 いつまでも、こうしてはいられない。

 どこまでも澄んだ空気に、少しだけ活力を取り戻す。まだ、絶望するには早い。


 私が目覚めたとき、不思議な機械が言っていた。

 私は再興の希望の星。滅んだ文明が遺した火種のひとつなのだと。だから世界のどこかに、私のような人間がまだ居るはず。すぐ近くに見当たらないだけで、きっと。


 そう思っていないと、もう二度と立ち上がれないような気がした。


 ゆっくりと、崩れかけのビルの階段を下っていく。

 天井に穴が開いて、そこから踊り場へ光が差していた。その光を糧にひっそりと咲く、背の低い花々があった。……今は、そんななんでもない景色さえ恐ろしかった。人の痕跡を渇望していた。


 行こうか、心が壊れぬうちに。

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